テラーノベル
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重苦しい空気が車内に漂う。
運転席の壱月はただ黙ってハンドルを握っている。
迎えに来てもらった私は助手席で、何も言えず黙っていた。
花斗の寝息だけが、静かな車内にかすかに聞こえる。
壱月はマンションの駐車場に車を止めると、ハンドルに手を置いたまま、ようやく口を開いた。
「恋人、やめようか」
「え……?」
突然のことに思考が追いつかなくて、私はちらりと壱月を見た。
壱月は頭をハンドルに垂れていたけれど、ため息をこぼすとふと起き上がる。
「あー、ごめん。今じゃないな。部屋、戻るか」
壱月はそう言って車を降りると、後ろの席の花斗を抱き抱える。
「え、ちょっと、壱月……」
さっさと歩いていってしまう壱月を、私は必死に追いかけた。
*
その後、ベッドに花斗を寝かせてくれた壱月は、部屋の明かりを消すとリビングへ戻って来た。
「ご飯は?」
「いらない」
「そう」
壱月はそっけない態度で、リビングのソファに座った私の前を通り過ぎてゆく。
「ねえ、壱月」
「コーヒー、淹れてくる」
そう言って、さっさとキッチンへ行ってしまった。
「あ……」
手を伸ばせば届く距離にいるのに。
どうして、そんなに遠くにいるの?
コポコポと湯が沸騰する音が、しんとした部屋にやたらと響く。
やがてコーヒーの香りが部屋に広がると、壱月はコトっとマグカップを私の前のローテーブルに置いた。
「あのさ、壱月」
まだ立ったままの壱月に、声をかける。
これ以上、遠くに行ってほしくなかった。
「花斗のこと、ありがとう。お迎えも、ご飯も、お風呂も。パジャマ着たまま車乗ってたのは、少し笑ったけど」
「うん……」
壱月は立ったまま、居心地悪そうに大窓の外を見つめる。
その横顔からは、なにを考えているのかわからない。
そんな彼をじっと見つめていると、壱月は向こうを向いたまま、不意に口を開いた。
「さっきは、邪魔して悪かった」
「ううん、全然! むしろ帰ろうと思ってたところだったから、お迎え嬉しかったよ」
すると、壱月がこちらを振り向いた。
「花斗が愛音がいないと寝れないと言うからから、仕方なくだけどな」
壱月は無理やりに笑顔をつくり、話してくれる。その様子に安堵しつつも、彼の不自然な笑顔に胸が苦しくなった。
どうして、そんな顔をするの? それに、さっきのことも――。
そう思っていると、彼は苦笑をこぼした。
「やっぱり、愛音には敵わない」
「え?」
「愛音がいないから寝るのは嫌だと、大泣きしていたんだ。じゃあ、お迎えに行くかと言った瞬間、ケロッと泣き止んだよ、花斗」
床に寝そべり、全力でヤダヤダ抗議をする花斗の姿が脳裏に浮かぶ。
それから、それに対応する壱月の姿も。
「私は、壱月のほうがすごいと思うよ」
「いや、俺なんて……」
まだまだだ、と言いたげな壱月の言葉を、私は遮り首を横に振った。
「有言実行、花斗を連れて私のお迎えに来てくれた。それってなかなか出来ないよ。私だったら、なんとかそのまま寝かせようとすると思う。壱月は、花斗の気持ちに寄り添ってくれたんでしょう?」
「そう……なのかもな」
壱月はぽつりとそう言って、手に持っていたコーヒーをごくりと飲み込む。
彼の喉仏が動いた後、また沈黙が私たちを包んだ。
だがしばらくの後、壱月が口を開く。
「それでも、さ」
そこまで言うと、何度か気まずそうにまばたきをして、それからこちらに視線を向けた。
「俺はやっぱり、父親になれないんだなと思った」
え?
なにを言っているの?
理解が追いつかなくて黙っていると、壱月は大窓のほうへ行ってしまう。
待って、まだ話は終わってない!
私は慌ててマグカップを片手に、壱月の後を追った。
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コメント
1件
うわあ、壱月の「恋人、やめようか」から始まるこの重い空気感…読んでるこっちまで息が詰まりそうでした。「父親になれない」って自分のことを責める壱月の横顔、胸がぎゅっとなりますね。でも愛音さんが「壱月の方がすごい」って言い返すところ、すごく好きです。花斗くんの気持ちに寄り添ったお迎え、確かに簡単にできることじゃない。続きがすごく気になります!