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第九十三話 伝えたい気持ち
四月の終わり。
湊は、作品集の担当者との
打ち合わせに向かっていた。
バッグの中には、カメラとノート、
そして撮影した写真をまとめたデータが入っている。
何度も確認したはずなのに、
駅へ向かう途中でまたノートを開いてしまった。
自分の写真について、誰かに詳しく話す。
それは、思っていた以上に緊張することだった。
写真を見せるだけならできる。
けれど、どうしてその瞬間を撮ったのか、
何を伝えたかったのかと聞かれたら、
うまく説明できるだろうか。
そんな不安が、頭の片隅に残っていた。
打ち合わせの場所に着くと、
担当者が笑顔で迎えてくれた。
「送っていただいた写真、拝見しました」
「ありがとうございます」
「特に、イベントの最後に撮られた写真が印象に残りました。あの一枚を選んだ理由を、もう少し聞かせてもらえますか?」
湊は、用意していた言葉を探した。
けれど、
ノートに書いた文章を
そのまま読むのは違う気がした。
「……あの日、参加していた人たちが、帰る直前まで楽しそうに話していたんです」
少しずつ、自分の言葉で話し始める。
「最初は、みんな少し緊張しているように見えました。でも、時間が経つにつれて、自然に笑ったり、
相手の話を聞いたりするようになっていて」
担当者は、黙って話を聞いていた。
「イベントが終わったら、みんなそれぞれの生活に戻るじゃないですか。でも、あの日に出会った人のことを、あとから思い出すこともあると思うんです」
湊は、膝の上で軽く手を握った。
「そういう時間があったことを、写真に残せたらいいなと思いました」
話し終えると、少しだけ恥ずかしくなった。
もっと上手な説明が
できればよかったのかもしれない。
けれど、担当者は写真を見ながら頷いた。
「なるほど。写真そのものだけでなく、その場で起きていたことも伝えたいんですね」
「……はい」
「その考え方は、これからも大切にしてください。技術については、まだ学べることがたくさんあると思います。でも、何を撮りたいのかを自分で考え続けることも、同じくらい大事ですから」
湊は、その言葉をゆっくり受け止めた。
技術を磨くこと。
自分の視点を育てること。
どちらか一方ではなく、
両方を続けていく必要がある。
打ち合わせの最後に、
作品集への掲載が決まったと伝えられた。
「ありがとうございます!」
思わず、声が大きくなった。
担当者が笑う。
「こちらこそ。完成したら連絡しますね」
建物を出たあと、湊はしばらくその場に立っていた。
嬉しかった。
自分の写真が、誰かの目に留まったこと。
そして、自分が伝えたいと思っていたことを、
少しだけ言葉にできたこと。
湊はすぐにスマートフォンを取り出した。
一番に知らせたい人がいた。
『紬、聞いて!』
その頃、紬は大学の図書館にいた。
企画の準備を進めるために、
国際交流について
書かれた資料を読んでいたところだった。
スマートフォンが震え、
湊からのメッセージが表示される。
『どうしたの?』
『写真、作品集に載せてもらえることになった!』
紬は、思わず顔を上げた。
『えっ、ほんと!?』
『ほんと!』
『おめでとう!! すごい!』
続けて、拍手の絵文字がいくつも送られてくる。
湊は画面を見ながら笑った。
『ありがとう。まだまだこれからだけど』
『うん。でも、ちゃんと一歩進んだね』
その言葉を見て、
湊は少し前の打ち合わせを思い出した。
一歩進んだ。
確かに、そうなのかもしれない。
大きな夢を叶えたわけではない。
それでも、
自分が目指している場所へ向かうための、
小さな一歩だった。
紬は、もう一度メッセージを送った。
『今度、どんな写真なのか見せてね』
『もちろん』
そこで会話は一度途切れた。
紬はスマートフォンを置き、
目の前の資料に視線を戻した。
けれど、しばらく文字が頭に入ってこなかった。
湊が自分の夢に向かって進んでいる。
それを嬉しく思う一方で、
自分はどうだろうと考えていた。
大学に入ってから、人と関わる機会は増えた。
いろいろな考え方に触れることもできた。
それでも、誰かと誰かをつなぐことの
難しさを感じる場面もあった。
自分では良かれと思って提案したことが、
相手にとっては負担になることもある。
言葉を交わしているのに、
気持ちがうまく伝わらないこともある。
人と人との距離は、
ただ話す機会を作れば縮まるというものではない。
だからこそ、どんなきっかけがあれば、
お互いを知ろうと思えるのだろう。
紬はノートを開いた。
そこには、
先日の話し合いで書いた言葉が残っていた。
「写真から始まる交流」
その下に、新しく書き加える。
――自分のことを伝えるだけではなく、
相手のことを知りたいと思える企画にする。
紬は、その一文をじっと見つめた。
自分がやりたいことが、
少しずつはっきりしてきた気がした。
数日後、二人は電話で話していた。
湊は、作品集に掲載される写真について説明し、
紬は大学で進めている企画について話した。
「写真を使った交流って、具体的にはどんなことするの?」
湊が聞く。
「参加する人が、自分の好きな場所とか、大切にしているものを写真で紹介するのはどうかなって」
「へえ」
「例えば、毎日通ってる道とか、よく食べるものとか。特別なものじゃなくても、その人のことが分かるような写真」
湊は、少し考えた。
「それなら、写真を撮るのが得意じゃなくても参加できそうだな」
「そうなの。上手な写真を撮ることが目的じゃないから」
「うん。何を見せたいかが大事なんだよな」
そう言ってから、湊はふと気づいた。
自分が作品集の写真について話したときと、
紬が企画について話しているとき。
二人は違うことをしているようで、
似たようなことを考えている。
何を伝えたいのか。
相手に何を受け取ってほしいのか。
そして、その先にどんなつながりが生まれるのか。
「紬」
「ん?」
「その企画、実現したら面白そうだな」
「うん。まだ決まってないことも多いけどね」
「写真が必要になったら、声かけてよ」
紬は、少し間を置いてから答えた。
「……ありがとう。でも、湊に頼むって決める前に、ちゃんと企画として実現できるように頑張るね」
「もちろん。それが先だな」
二人は笑った。
相手の夢を応援することは、
何でも引き受けることではない。
それぞれが自分の力で進みながら、
必要なときには手を差し伸べる。
今の二人には、そんな関係が自然になっていた。
電話を切ったあと、湊はカメラの電源を入れた。
画面には、最近撮った写真が並んでいる。
その中から、作品集に選ばれた一枚を表示した。
あの日、イベントの終わりに撮った写真。
何度見返しても、特別に派手な瞬間ではない。
けれど、自分が何を伝えたかったのかは、
今なら少し分かる気がした。
湊は、写真の下に新しいメモを残した。
――伝わるまで、考え続ける。
それは、写真だけではなく、
これからの自分にも必要なことだった。
📷 Photo.093「伝えたい気持ち」
撮影日:4月26日
伝えたいことがあっても、
必ず相手に届くとは限らない。
言葉も、写真も、想いも。
だからこそ、どうすれば届くのかを考え続ける。
湊は写真を保存し、カメラを閉じた。
紬もまた、自分の考えを誰かに伝えようとしている。
二人が選んだ道は違う。
けれど、その先で大切にしたいものには、
どこか共通する部分があった。
そして、二人が今取り組んでいることは、
やがて思いがけない形でつながっていくことになる。
まだ、そのきっかけは小さなものだった。
――次回、第九十四話「一枚がつなぐもの」へ続く。
コメント
1件
お疲れさまです、編集部の寺島です🌷 「伝えたい気持ち」、じんわり沁みました。 湊さんが自分の言葉で写真の理由を説明する場面、あの緊張と誠実さがすごく伝わってきて、担当者の「何を撮りたいのか考え続けること」という言葉に一緒に頷いていました。 紬さんの側も、企画の目的を「相手を知りたいと思える」と練り直すところ、二人が違う場所で似たような問いを持っているのが素敵です。 「伝わるまで考え続ける」――その一文が特に好きでした。
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