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第九十四話 一枚がつなぐもの
五月の初め。
湊のもとに、
作品集の完成予定について連絡が届いた。
自分の写真が、誰かの手に取る作品集の中に載る。
そう考えると、嬉しさと同時に、
不思議な緊張もあった。
これまでは、撮った写真を自分で見返したり、
紬に見せたりすることが多かった。
けれど今回は、
自分のことを知らない人が写真を見る。
その人が何を感じるのかは、湊には分からない。
同じ写真を見ても、
心に残る部分は人によって違うだろう。
それでも、何か一つでも伝わったらいい。
湊はそう思っていた。
数日後、担当者から完成した
作品集の見本が送られてきた。
湊は、届いたデータを開いた。
ページをめくっていく。
さまざまな人が撮った、地域の日常。
商店街の店先。
夕方の公園。
仕事を終えて帰る人たち。
その中に、自分の写真があった。
画面いっぱいに広がる、イベントの終わりの光景。
自分が撮った一枚が、ほかの写真と並んでいる。
それだけのことなのに、
胸の奥がじんわりと温かくなった。
湊はページを閉じ、もう一度開いた。
何度見ても、自分の写真だった。
「……載ったんだ」
誰に聞かせるでもなく、呟いた。
すぐに紬へ連絡しようと思ったが、
その前に、もう一度写真を見た。
そして、ふと気づいた。
写真の端に、小さく写っている二人の姿。
イベントの終わりに、
参加者同士が連絡先を交換していた場面だった。
撮影したときは、
全体の雰囲気を残したいと思っていた。
けれど、改めて見ると、
その二人の姿が目に留まった。
あの日、二人は初めて会ったはずだった。
今も交流が続いているのだろうか。
湊には分からない。
けれど、あの一枚の中には、
イベントが終わったあとも
続いていくかもしれない関係が写っていた。
写真は、過ぎた時間を残す。
でも、残された一枚が、
これから誰かに何かを伝えることもある。
湊はそのことを、
以前より少しだけ実感できた気がした。
その週、紬は大学の企画について、
担当の先生に相談していた。
写真を使った交流企画の案をまとめ、
実施するために
必要な準備や参加者の募集方法を確認する。
まだ、すべてが決まったわけではない。
けれど、少しずつ実現に向けて話が進んでいた。
「写真を使うという発想は面白いですね」
先生は、紬の資料を見ながら言った。
「ただ、写真を見せ合うだけで終わらないように、交流の目的をはっきりさせるといいと思います」
「目的……」
「自分の文化を紹介することなのか、相手の文化を知ることなのか。それとも、共通点を見つけることなのか。そこを整理すると、企画の形も見えてくるはずです」
紬は頷き、ノートに書き留めた。
自分の好きなものを紹介する。
相手の話を聞く。
そこから、互いの違いや共通点を知る。
言葉にすると簡単に思える。
けれど、実際に企画として形にするには、
考えなければならないことがたくさんあった。
どうすれば、参加者全員が安心して話せるのか。
日本語や英語が得意でなくても、
自分の気持ちを伝えられるようにするには
どうしたらいいのか。
そして、交流の時間が終わったあとにも、
何かが残るようにするには。
紬は資料を見つめた。
そこで、湊の作品集の話を思い出した。
湊が写真に添えた文章。
――同じ時間を過ごしたことが、
いつか誰かの大切な記憶になりますように。
あの言葉は、
今の自分が考えていることにも
つながっている気がした。
一度会っただけで、
すべてを理解できるわけではない。
それでも、出会ったことをきっかけに、
相手について知ろうとすることはできる。
紬は企画書の最後に、新しい一文を書き加えた。
――交流の時間が終わったあとにも、
相手を知りたいという気持ちが残る企画にする。
書き終えると、少しだけ気持ちが整理された。
まだ課題は残っている。
それでも、自分が目指したい方向は見えていた。
その夜。
湊は、作品集のページを紬に送った。
『見て!』
少しして、紬から返事が来る。
『え、もう完成したの!?』
『見本だけどね。ちゃんと載ってた』
紬から、すぐにメッセージが届いた。
『本当におめでとう!』
続けて、
作品集のページを拡大した画像が送られてくる。
『この写真、やっぱり好き』
『どこが?』
『みんながそれぞれ違う方向を向いてるのに、同じ場所にいるところ』
湊は、もう一度写真を見た。
確かに、写っている人たちは、
みんな違う方向を向いている。
話している人。
笑っている人。
帰る準備をしている人。
それぞれが、自分の時間を過ごしている。
それでも、その一瞬だけは同じ場所にいた。
『言われてみれば、そうだな』
『それぞれ違うのに、同じ時間を過ごしてるって感じがする』
紬の言葉を読みながら、湊はしばらく考えた。
自分が写真を撮るとき、
どこかで「一枚の中に何を残すか」を考えている。
でも、その一枚から何を受け取るかは、
見る人に委ねられている。
紬は、湊が撮影したときには
意識していなかった部分を見つけてくれた。
それが、少し嬉しかった。
『紬に見てもらえてよかった』
送信してから、湊は画面を見つめた。
しばらくして、紬から返事が届く。
『私も、湊の写真を見てると気づくことがあるよ』
その一文を、湊は何度か読み返した。
自分が見つけたものを、誰かに渡す。
そして、その人がまた別のものを見つける。
それも、写真の面白さなのかもしれない。
『今度、企画の相談も乗ってほしいな』
紬から、続けてメッセージが届いた。
『写真を使った交流のやつ。まだ決まってないことが多くて』
『俺でよければ』
『ありがとう。写真を撮る側から見た意見も聞いてみたい』
『分かった。今度詳しく聞かせて』
二人のやり取りは、そこで終わった。
湊はスマートフォンを置き、
もう一度作品集を開いた。
一枚の写真。
それが、自分の知らない誰かに届く。
その写真を見た人が、何かを感じる。
その感想を聞くことで、自分も新しい見方を知る。
写真は、
撮った瞬間に完成するものではないのかもしれない。
誰かに見てもらい、
何かを受け取ってもらうことで、
また違う意味が生まれていく。
湊は、そう考えるようになっていた。
📷 Photo.094「一枚がつなぐもの」
撮影日:5月8日
一枚の写真が、誰かの目に留まる。
その人が何を感じるかは、
撮った本人にも分からない。
けれど、そこから新しい会話が始まることもある。
知らなかった考え方に出会うこともある。
そして、ときには、
まだ形になっていない
誰かの夢を後押しすることもある。
湊は、作品集を閉じた。
自分が写真でできることは、
まだほんの少ししか分かっていない。
それでも、残した一枚が誰かに届く可能性を、
これからも信じていたいと思った。
そして紬もまた、
一枚の写真から始まる交流を、
少しずつ現実のものにしようとしていた。
二人が別々に積み重ねてきたものは、
少しずつ同じ方向へ伸び始めている。
まだ、それがどんな形になるのかは分からない。
けれど、その小さなつながりは、
確かに生まれ始めていた。
――次回、第九十五話「形になり始めた夢」へ続く。
コメント
1件
湊が自分の写真を作品集で見て「載ったんだ」って呟く場面、すごく沁みたわ…。自分の一枚が誰かの手に渡るっていう感覚、ちゃんと描かれてて、写真にそんな力があるんだって気づかされた。紬が「みんな違う方向向いてるのに同じ場所にいる」って気づいたところも、二人のやり取りが優しくてじんわりした。写真が人をつなぐっていうテーマ、良いエピソードだった👏