「おっはよー。」
「わぁ、ミキちゃん、おはよ!」
僕の目の前ではいかにも楽しそうに、笑いながら挨拶を交わす二人の女子たちがいた。二人ともこの辺の高校の制服を着ていて、スクールバッグにはお揃いのキーホルダーを付けていた。
僕は、それに冷ややかな目線と深いあくびを送ってからその人達の脇を通り過ぎた。その後も二人の弾むような声が聞こえてきて、僕は少し歩く速さを速めた。
僕は5歳の時に両親を事故で亡くした。それから親戚の叔母さんに引き取られ今まで暮らしてきた。しかし、叔母さんはほとんど家に居らず、帰ってきたとしてもすぐに出て行ってしまうから、僕は叔母さんをあまり知らない。学校でも極力人と話さないし、そのせいか、さっきの二人のように楽しそうに笑うこともない。だから、僕は楽しいという感情がわからない。いや、感情の変化がないからわからない、と言った方が正しいだろう。僕の心はいつも一定に保たれていて、何に対しても揺らぐことはない。
別にこれが辛くはない。人間は緊張して何か失敗したり、恥じたり、苦しい思いをしたり、そういうことになりがちだけれど、僕には感情の変化がないせいで、普通の人がするだろう辛い思いをしなくていい。だから、僕は僕であることを肯定できる。
しかし、最近思うのだ。感情を持たない僕が生きる意味って何だろうって。まだ15年しか生きていない僕が『生きる意味』なんて語っても説得力がないだろう。笑われるかもしれない。だが、人は感情があるからこそ、人生が華やかになる。生きたい、と思える。誰かを愛し、その人と一緒に幸せになりたい、と願う。大切にしたい誰かがいない。そして誰かを大切にしたいという感情を持たない僕は人間失格であるだろう。そんな僕に生きる価値などあるのだろうか。
…考えても、きっと答えは出ない。この思考は無意味だと思い、僕は考えるのをやめた。そして、青い空を見上げた時だった。
ドンッ。
そう鈍い音がして、僕は後ろに倒れた。
「ごめんなさい。怪我はないですか?」
状況が理解できていない僕に向かって、僕にぶつかったであろう人が手を差し出してきた。僕はその手を無視して、無言で立ち上がった。
僕にぶつかってきた人の後ろには小さな路地があって、この人はそこから飛び出してきたんだろう、と僕は予測した。
「あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫なんで気にしないでください。」
そう言って僕は初めてその人を見た。
綺麗な、人だった。漆黒に染まった髪とそれと同じ色の大きな瞳。色白な肌に桜色の唇がよく映える。あまりにも整いすぎていて人間ではないように思えた。
僕が無言で見つめているのが気まずいのか困ったように笑う綺麗なその人。
僕も少し申し訳なくなって正直に伝える。「すみません。見惚れてました。」
「えっ…?」
そうすると、その人は驚いたように目を丸くしながら、少し頰をピンク色に染めた。 僕はその人がどうして、そういう表情になったのか考えていると、その人は腕につけた、白いシンプルな時計を見て「もうこんな時間か。」と呟いた。
「本当にすみませんでした。では、私はこれで。」
その人は花より美しく微笑んだ。そして、僕に一礼してその場を去って行った。その時に香った苺の甘い匂いに、僕は体が少し熱くなるのを感じた。
あの人が着ていた服は僕の学校の女子用の制服だった。しかし、学校であの人のような二度と忘れられないぐらい綺麗な人を見たことがない。
あの人は僕のクラスに来る転校生。
そんな小説に出てくるような、ベタなシチュエーションなんてないだろう。そう思ったが、なぜかそうなるよう期待している自分がいて、僕は自分自身に混乱した。
電線にとまっているカラスが不吉に鳴いた。
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