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それは、新たな別の個体のパンダに全身全霊を注ぎ、熱い視線を送っている明彦を置いて、麗がトイレに行った帰りの事だった。
麗は女子大生と思われる三人組とすれ違った。
「ねえ、さっきのイケメンすっごいパンダに夢中だったね」
「イケメンとパンダ。二度美味しかった」
「いとをかし イケメン魅入る パンダかな」
うん、明彦の事である。それと、季語がないので川柳だ。
麗が明彦の近くに戻ると案の定、明彦は女性の視線を集めていた。
さて、どうするかと麗は悩んだ。
1、「お・ま・た・せ」と正面から抱きつく。
2、「だーれだっ?」と後ろから目隠しする。
3、「あげる!」と横から首に冷たいジュースをつける。
4、はぐれたふりをして、スマートフォンに連絡だけ入れて別の動物を見に行く。
一瞬、4にしようかと麗の中の悪魔が囁いたが、5にすることにした。
屋台型のショップで目当ての物を買い、明彦の元に戻る。明彦はタイヤで遊んでいるパンダがすってんころりんと転がった姿に息を呑んでいた。
「お待たせ、これプレゼント」
麗は言うや否や、明彦にパンダの帽子を被せ、首の下でずれ防止のマジックテープを止めてあげた。
パンダ帽はモコモコしたぬいぐるみ素材で、頭から顔の回りまでしっかりと覆ってくれる優れものである。
だいたいこの明彦という男は女性の視線を集めすぎなのだ。
今は麗といるのだから、麗だけがみていればそれでいいはずなのに。
(あれ?)
明彦が人に見られることを見ることに慣れているはずの麗は、自分でもよくわからないもやもやとした感情に気づいた。
「明彦さん、かわいいー」
だが口に出すことはなく、麗は適当に誉めながらパンダが写り込むようにスマートフォンで連写する。
「いいね、似合ってるよー。可愛い。パンダと一体化してる」
「……ちょっと恥ずかしいんだが。俺より、麗の方が似合うだろう?」
明彦には若干の照れが残っているが、今日一日これで過ごせば自然な姿で撮れるだろう。
「でもこれ、明彦さんのために買ったから」
「幾らだった?」
明彦が財布を出そうとするので麗は手を横に振った。
「気にせんとって」
きづけば女性達の明彦に向かっていた視線が生温いものへとなっていくのを肌で感じ、麗は満足した。
これも一種のマーキング行為かもしれない。
「そういう訳には……、あと、待たせて悪かった」
パンダに夢中になっていた自覚はあるようで、明彦はばつが悪そうだ。
「ええよ、明彦さんが楽しいなら私も楽しいわ」
「麗は見たい動物はいるのか?」
「うーん、初めて来たからあんまり何がいるかわかってないねん。明彦さんに案内して欲しいな」
昨今、一人で何かをする人が増えている。ソロキャンプ、一人カラオケ、一人焼き肉。
多分、これまで明彦は一人動物園をしていたのかもしれない。
長い付き合いのつもりだったが、結婚してから明彦の知らない一面を見ることが増えたなと感じていたが、多分これが最大の秘密だろう。
「わかった。動物に餌やりはするか?」
「やる。絶対やる!」
「じゃあ行こうか」
明彦が歩きだし、麗もその横を歩く。
そっと、明彦の手に、麗は自分の手を絡めたのだった。