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「渚、渋い顔だな」
翌朝、渚はいつものように、社長室でスケジュールの説明を聞いていたのだが。
脇田は、途中で手帳を読み上げるのをやめ、そう訊いてきた。
脇田を見上げ、
「お前が課長代理の話を俺にしろと蓮に言ったそうだな」
と言うと、
「他人に聞かされるよりいいだろ?
人が話すと、面白おかしく話を広げるからな」
聞きたくなかったか? と言って、脇田は笑う。
「まあ、……聞いて楽しい話じゃないからな」
溜息をつき、
「いろいろとめんどくさいな、恋愛って。
相手の過去まで気になるし」
と弱音を吐くと、
「まあ、お前は初めてだからな」
と言ってくる。
渚は、デスクを指で弾きながら、今日はムカつくな~、脇田のこの余裕が、と思っていた。
このどんなときでも、大丈夫です、と言って、いつも落ち着き払っているところを買って秘書にしたのだが。
今日はちょっと上から目線に感じてムカついてしまった。
「めんどくさいと思うなら、別れたらどうだ」
社長に別れろという秘書とかどうなんだと思ったが、まあ、親友として、言ってくれてるのだろうと思う。
だが――。
「お前、蓮が好きなんだろ」
「……そうだったとしても、秋津さんが好きなのは、お前だから、別に関係ない。
僕にはまたすぐに誰か好きな人が現れるさ。
お前ほど一途じゃないから」
と言ってくる。
それが本心かはわからないが。
「だが、仕事に支障をきたすようなら、別れろ。
社長秘書としての忠告だ」
どんな上から目線の秘書だよ、と思うが、友人であるだけに、ズバズバ言ってくれる脇田の存在はありがたかった。
イエスマンなら居ないのと同じだから。
なんの戦力にもなりはしない。
「別れない。
確かに蓮を好きになって、振り回されてるなと思うけど。
別れるとかいう選択肢はない」
と言い切る。
「いっそ、この世に俺と蓮だけならいいのにな」
と溜息をつく。
そしたら、なんの心配事も揉め事もないのに、と言うと、
「中高生か」
と言われた。
「お前がいいと思ってるだけだ。
そんなに誰も彼も彼女を好きなわけないだろ」
「女に興味のなかったこの俺がいいと思うんだ。
みんないいと思ってるに違いない」
ある意味すごいな、その思い込み、と言われてしまう。
「っていうか、お前のその設定だと、その世界、俺も居ないじゃないか」
と脇田は子供のような文句を言ってくる。
「じゃあ、お前は入れてやる。
いや、駄目だ。
蓮がお前を好きになったらどうしてくれる?」
「妄想で怒るなよ……」
なるわけないだろ、と言う脇田に、
「いや、わからん。
俺はその阿呆な婚約者より過去の男より、お前が怖い」
と言うと、脇田は少し俯いて笑い、
「それは光栄だね」
と呟いていた。
無駄に評価高いな、渚の中の僕は。
あまり警戒されると、隙がなくなるじゃないかと思いながら、脇田は社長室から出た。
「脇田さん、お茶入りましたよ」
と蓮が微笑みかけてくれる。
お客様からいただいた羊羹を葉子が切ってきたようだ。
「ありがとう」
と微笑む。
渚はそれほど気にならないような強がりを言っていたが、僕は気になるな、その、喧嘩した上司とやらが、と思いながら、蓮が淹れてくれたお茶を啜る。
そのとき、誰かが秘書室のドアをノックした。
はい、と一番戸口付近の蓮が立ち上がる。
少しだけドアを開け、石井奏汰が顔を出した。
「あの、お客様みたいなんですが、どうしましょう」
……どうしましょうってなんだ? と思う。
外部の人間か?
普通、受付から先に連絡が来るものだが、と思っていると、
「駐車場で捕まっちゃったんですよ~」
と奏汰は半泣きだ。
そのとき、勝手にドアが全部開いた。
「やあ、蓮。
こんな狭いところで働いてるのか」
何処がなにがとは言えないが、派手な男が入ってきた。
さすが、一応、地位のある人間なので、落ち着いたスーツを着ているのだか、その言動のせいか、なにもかもが派手に見える。
なにしに来た、ボンクラ息子……。
だが、なるほど、これは無理矢理には返せない。
これでも一応、秋津グループのお偉いさんだ。
「なにしに来たの、和博さん。
此処は職場よ、おうち帰って」
いい年した男におうち帰ってってどうなんだろうなー、と思いながら、蓮の言葉を聞く。
「いやいやいや。
仕事で来たんだよ。
ついでに秘書室に寄らせてもらっただけだ。
まさか、こんなところに潜んでるとは思わなかった僕の婚約者の顔を拝みにね」
えっ? 婚約者? と葉子が目を輝かせる。
また新たな展開を喜んでいるようだ。
……暇なのか、浦島。
確かに、此処の仕事は結構単調で、気ばかり使う感じだが。
そのとき、騒ぎを聞きつけたのか、社長室の扉が開いた。
「なにしに来た、ボンクラ息子」
さすが、渚。
みんなが腹の中だけで思っていることを口に出して言う。
「お前が、稗田渚か。
僕は蓮の婚約者の秋津和博だ。
稗田渚、お前は蓮とは結婚できない」
いきなりか。
奏汰はなにがなんだかわからずに、全員の顔を見回している。
「聞いたぞ。
お前のところのジイさんは、お前に急いで子供を作れと言ったそうだな。
お前だけに」
「和博さん」
と蓮が止めようとする。
「稗田会長はお前に後を継がせるつもりなんじゃないのか?
だから、お前だけに、早く結婚して、社会的信用を得て、後継ぎも作れと言ったんだ」
「和博さん、そんな憶測を……」
「なんだよ。
蓮だって、ほんとは、そう思ってるんだろ?」
と和博は言う。
蓮は罰が悪そうな顔をしていた。
「お前はジジイが厳しいから、そんな簡単に自分を後継ぎに決めるはずもないと思ってるんだろうが。
お前の今までの業績と、ジジイとの関わり方、親戚連中の話を解析したら、稗田の後継者はお前しか居ない」
さすが、秋津の役員。
すべてにおいてボンクラというわけではないようだ、と思った。
「蓮と蓮の夫が、秋津を継ぐんだ。
お前は蓮の夫にはなれない。
この会社もジジイの信頼も社員も全部捨てて来れるんならともかくな」
小さい会社なら、合併とか手はあるかもしれないが、それぞれが大きすぎる組織なだけに、いろいろ難しいかもしれないな、と思っていた。
「蓮は僕と結婚して、秋津を継ぐんだ」
「和博」
いきなり呼び捨てか。
「帰れ」
……一言か。
「蓮は秋津の家を出て、俺と結婚するんだ。
帰れ」
「お前、そんな簡単に、一族の結束とか家族の繋がりとか、思い出とか消えると思うなよっ」
「……結構まともなことを言うな、和博」
だからなんで呼び捨てだっ、と和博が叫ぶ。
「僕の方が年上だっ」
「知ってる。
調べたら、お前、俺の友達の大学の先輩だったよ」
だが、帰れ、と言う。
……なんだろう。
魔王VS最初に殺される村人、みたいな様相を呈してきたが。
格が違いすぎる。
いっそ、あえて立ち向かっていこうとする和博をちょっと偉いと思ってしまった。
ふん、と和博は、渚を見て、鼻で笑い、
「お前なんかより、あの課長代理の方が男前だったけどなっ」
と言い放つ。
「和博さん~っ」
「他人を使って張り合うな。
お前も見栄えは悪くないぞ」
と言われ、和博は鼻白む。
「……あ、ありがとう?」
礼まで言っている。
なんだかもう、完全渚のペースだな、と思っていた。
「その課長代理とやらが、どれだけ男前でも関係ないな。
蓮が好きなのは俺だから。
でも、お前のことも、身内としては大事にしているようだぞ。
だから、帰れ。
危害を加えられる前に」
「誰が危害を加えるんだ?」
「俺に決まってるだろ」
と渚は後ろに隠し持っていたらしいライフルを出してくる。
「此処は日本だぞっ!?」
「大丈夫だ。
許可を得て所持している」
許可を取るのは大変なんだ、と言いながら、銃口を和博に向ける。
何故か、奏汰の方が隠れた。
「人に銃口を向けたなんて知れたら、取り上げられるがな。
まあ、見せてくれと、秋津の莫迦息子がうるさくて。
立場上断れないから、見せてやってたら、莫迦だから、暴発させたってことで。
そう、此処に居る全員が証言してくれる。
なあ?」
と渚がどっしりとした銃を手にしたまま、周囲を見回す。
渚は、お前の方がヤバイだろ、と言いたくなる笑いを見せた。
蓮が苦笑いし、洋子は笑い、奏汰は、ええっ? 僕もですかっ、とドアの陰で固まっていた。
「……蓮は誰とキスしたことがあるんだろうな?」
銃口を和博に向けたまま、渚はそう呟く。
「俺以外の男は好きになったことはないと言っていたが。
何処の男が無理やりしたんだろうな?」
和博は首を振る。
「あのー、和博さん、渚さんは、ほんとにやる人だから」
蓮がそう言い終わらないうちに、和博は、
「お、覚えてろよっ」
と言って、去りかけ、振り返った。
「蓮っ。
必ず、後悔するぞ。
泣いて僕のところに帰ってきても……
遅くないからなっ。
遅くないから、戻ってこいよっ」
最後でヘタレるな……。
奏汰が戸口で見送りながら、
「ほんとに居るんですね。
覚えてろよとか、あの一連の負け犬の捨て台詞を言う人」
といっそ、感心しながら言っていた。
渚が銃を下ろしながら、鼻で笑う。
「弾が入ってるわけないだろうが」
「本物だったんですか」
と近くまで行ってライフルを確認した蓮が言っていた。
「競技用のライフルだ。
人に向けたなんて知られたら、取り上げられるが。
ああ……あれ、人じゃないか」
と渚は平然と言う。
「お前を襲おうとしたケダモノだから、クマ以下だ」
蓮は苦笑いしている。
誰がこの男に許可を与えたんだ、と思っているようだった。