テラーノベル
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数日が過ぎた。
一時保護施設の小さな個室。
きれいなシーツと、夜中も消えない非常灯の明かり。
スンホは膝を抱えて、スマホの画面を眺めていた。
韓国の銀行口座の残高は、ゼロに近い。
保護されても、あの借金は帳消しにはならない。
詐欺被害を訴えたところで、残った債務は消えないと担当者に説明された。
「……2억 원……。」
小さく韓国語でつぶやく。
(2億ウォン……円にしたって、結局200万円近い……)
返せるあてもない。
保護されても、ここにずっとはいられない。
新しい住まいを探して、働いて、自分で生活していくしかない。
でも、日本で?
日本語も不自由で、資格もない自分が?
韓国に戻れば家族はどう思うだろう。
そもそも、もう頼れる場所なんて残っているのか。
「……どうすれば……」
目を閉じても、
真っ白な天井の向こうに、借金取りの声が響く気がした。
施設の廊下を歩く職員の足音が近づいてくる。
「イさん。入国管理局の担当者が面談をしたいそうです」
部屋のドアがノックされる。
どちらを選ぶべきなのか。
日本で生き直すか。
韓国に戻って、借金を抱えたまま再出発するか。
スンホは息を吐き、立ち上がった。
(まだ終わりじゃない……どっちにしても、もう逃げない)
心の奥で、ほんの少しだけ何かが決まった気がした。
「……日本に残りたいです。」
面談室の机を挟んで、スンホは俯きがちに言った。
入管の担当者は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに落ち着いた声で答えた。
「日本で、ですか。」
「はい……働きたいです。」
「借金のことは、わかっていますか。」
スンホは小さく頷いた。
「わかってます……戻っても同じです。……ここで、働いて……返したいです。」
机の上には、日本語と韓国語で書かれた書類が積まれている。
保護ビザの申請、就労許可、支援施設の紹介。
すぐに全てが解決するわけじゃない。
けれど、
(ここで、また生きていく……)
スンホの中で、ようやく少しだけ現実の輪郭が固まった気がした。
数日後、スンホは支援団体の紹介で、外国人労働者を積極的に雇っている小さな清掃会社で面接を受けた。
面接の途中、日本語が詰まってうまく答えられなくなると、社長が笑って肩を叩いた。
「大丈夫、ゆっくり覚えればいい。」
その夜、支援施設に戻ると、スンホは少しだけ涙を流した。
誰もいない談話室の片隅で、
机に額をつけて、
声を殺して泣いた。
まだ借金は2億ウォン。
一生かけても返せるかどうかはわからない。
それでも、
今日、ここで「生き直す」と言えた自分がいる。
(……大丈夫だ。大丈夫だ……)
誰に言うでもなく、何度も心の中で繰り返した。
東京の街は、今日もどこまでも眠らないままだった。
それでも。
スンホにとっては、やっと来た静かな夜だった。
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