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<前書き>
・短編集第5話、6話の「わるいこ」の続きとなるお話です。未読の方でも楽しめる内容となっていますが、元貴くんの幼少期のエピソードが書かれているので良かったらそちらもどうぞ。
【注意】
・現実の方々とは全く関係ありません。
・虐待、暴言、自傷行為などショッキングな描写があります。苦手な方は控えることをおすすめします。
・児童養護施設の描写がありますが、現実のものとは大きく異なった内容となっております。誤解のないようにお願いいたします。
・なんでも大丈夫な方のみ続きをどうぞ。
(長らく投稿できずすみません…)
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怪物が帰ってきた音がした。
重苦しい地鳴りのような振動が、床を伝って背中を叩く。
扉の向こう側で、濁った声で咆哮している。
言葉の体をなさない、ただの呪詛だ。
鋭い破砕音が響いた。透明な破片が部屋中に散らばる。
怪物の腐った吐息が部屋全体に立ちのぼっている。焦げ付いた麦の腐敗臭。それが肺の奥まで入り込み、僕の身体を侵食していく。
息を止めた。
気配を殺し、壁の染みに成り代わる。
見つかれば、僕の形は粉々にされてしまうから。
一段と大きな衝撃が走った。
また何かが、砕け散った。
僕は音もなく這い出し、廊下へと滑り込む。
ここには、怪物が食い散らかした残骸が詰まった袋が積み重なっている。
そこから漏れ出す腐った卵のような匂い。
足元には、いつからそこにあるのか分からない、液体の水溜まり。
それを避けながら、一歩ずつ出口へと這い進む。
背後から、怪物の怒号が飛んでくる。
僕の背中を刺し貫くような罵詈雑言。
床に散らばったガラスの破片が、逃げる僕の足を切り裂こうと待ち構えている。
振り返らない。
すべてを置き去りにして、僕は外へ出た。
別れの日から3年。
藤澤は現在、元貴と暮らしていた「あおぞら子ども園」から「太陽の園」という別の児童養護施設に派遣され、そこでも子どもたちの成長を支える日々を送っている。ふとした瞬間に窓の外を眺めると、あの冬の日に元貴と一緒に見たような、淡い太陽の光が差し込んでいた。
元貴とは彼が4歳の時に出会い、8歳の冬が終わる頃、藤澤は園を去ることになった。
今頃はもう、小学5年生。胸の奥に、温かくも少し切ない感慨を抱かずにはいられない。
これまで数多くの子どもたちをみてきたが、元貴ほど深い関わりを持った子はいなかった。
母親の呪縛に囚われ、なかなか自分を肯定出来ず、苦しんでいた子。それでいてプライドが高く弱さを見せるのが苦手だった。
それでも元貴は、藤澤に対してだけは、たどたどしくも少しずつ心を開いてくれた。
別れの日、抱きついて離れない子や、大声で泣きじゃくる子で溢れかえる中、元貴は一人離れた場所で、涙を堪えながら自分の服の裾をぎゅっと引きちぎらんばかりに握りしめていたのを覚えている。
藤澤は園の前を竹ぼうきで掃きながら、午後の柔らかな日差しを浴びていた。そこは近隣の小学校の通学路にもなっていて、黄色い帽子や色とりどりのランドセルが列をなして通り過ぎていく。園に戻ってくる子どもたちに「おかえり!」と声をかけ、賑やかな下校風景を眺めていたその時、夜ご飯の買い出しを頼まれていたのを思い出した。
「やばい、もうみんな帰ってきちゃう」
独り言をこぼしながら、慌てて財布を取りに戻り、そのまま大通りへと足を向けた。急ぐあまりかなりの距離を走ったため、体がカッと熱くなっている。
上着を脱いでくればよかった、と後悔しながら赤信号で足を止めると、隣に4人ほどの男子小学生のグループがやってきた。
何気なく耳に入ってくる彼らの会話は、年頃の男の子らしい、刺々しく乱暴な言葉が目立つ。どうやら一人の少年を、残りの数人が執拗にからかい、言葉の礫を投げつけているようだった。園の子どもたちの間でもよく見かける光景だ、と苦々しい気持ちでそのやり取りを聞き流す。
藤澤は安全のために点字ブロックよりかなり下がって立っていたが、興奮した少年たちは、言い合いをしながらどんどん車道ギリギリの危ない場所まで寄っていく。危ないよ、と一言注意しようと距離を詰めたその時だった。
「お前コジインなんだもんな笑」
「汚ぇんだよ!!死ね!!」
投げかけられたあまりに露骨で残酷な言葉に、思わず眉を顰める。
「コジイン」__。
その一言に込められた蔑みと悪意。
もしかして言われているのはうちの園の子だろうか。
そう思い確認しようと顔を覗き込もうとしたが、深く俯いていて表情がよく見えない。
しかし次の瞬間、それまで黙って罵倒を浴び続けていた少年が、弾かれたように顔を上げた。
あまりに急激な動作に、一瞬だけ周囲の空気が止まる。少年は目の前にいた一人の胸元に、両手を強く叩きつけた。
「……っ!」
ドン!!と激しい音が響き、突き飛ばされた少年がバランスを崩して車道側へ倒れ込みそうになる。背後からは車が迫る音が聞こえていた。
「危ない!」
藤澤は咄嗟に身を乗り出し、突き飛ばされそうになった少年の腕を間一髪で掴んだ。心臓が跳ね上がるような衝撃と共に、惨事は免れた。藤澤は少年の安全を確保してから、激しい勢いで突き飛ばした方の少年へと、厳しい視線を向けた。
だが、藤澤の喉元まで出かかった叱責の言葉は、その少年の顔を見た瞬間に凍りついた。
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荒い呼吸を繰り返し、周囲を睨みつけるように立ち尽くしているのは——6年前、クリスマスにパズルのピースを見つけて泣いていた、あの元貴だった。
一瞬見間違えかとしれないと思ったが、 あんなに長いこと過ごしたのに見間違える訳がなかった。
少し大人びた輪郭、けれどあの頃の面影を残した瞳。その瞳が、今は激しい怒りとそれ以上の深い闇で濁っている。
嫌な汗がじわりと滲んだ。
突然割って入ってきた見知らぬ大人の存在に、騒いでいた3人は一瞬で静まり返る。元貴は、それが誰であるかに気づいた瞬間、その目を見開いた。
「りょ…っ…」
元貴の唇が微かに動いた。けれど、彼は今の自分の状況を悟ったのだろう。元貴はすぐに激しく目を泳がせ、気まずさと罪悪感が混ざり合ったような表情で、地面に視線を落とした。
藤澤も一瞬、名前を呼びそうになるのを必死で堪えた。
今の元貴は、周囲から「孤児院の子」として差別されている。ここで親しげに接すれば、余計に彼を追い詰めることになるかもしれない。藤澤は大人としての理性を引き戻し、あえて初対面の人間として、低く落ち着いた声を出した。
「…今、この子のこと押したよね?」
藤澤は元貴の目を見据えて言った。
「……ごめんなさい」
元貴は小さく呟いて、さらに深く俯いた。それを聞いて藤澤の胸は張り裂けそうだった。
あんなに優しく、繊細だった元貴に、ここまで乱暴な真似をさせた原因はなんだ。
藤澤は視線を、周りの3人の少年たちへ向けた。
「でもさ、君たちも良くないよね。全部聞いてたよ。孤児院とか、汚いとか……人に対してそんな言い方したらダメだよね」
藤澤の厳しい視線に晒されても、少年たちは反省するどころか、鼻で笑うような態度を見せた。大人からの説教など受け流し慣れているのだろう。一人はポケットに手を突っ込み、もう一人は地面を蹴り始める。隠そうともしない面倒くさそうな態度が、彼らの傲慢さを物語っていた。
「別に、本当のこと言っただけじゃん」
「そうだよ、おじさんに関係ねーだろ」
その言葉を聞き、いよいよ藤澤が本格的に語気を強めて説教を始めようとすると少年たちは分かりやすく「面倒な大人に捕まった」という顔をした。彼らは藤澤の目を見ることもなく、適当な相槌を打ち、形ばかりの反省を装う。
「すいませんでしたー。ごめんなさーい」
一人が棒読みでそう言うと、間髪入れずに時計を見た。
「あ、俺、塾あるんで。行かなきゃ」
それを合図に、残りの二人も「俺も」「親がうるさいから」と口々に言い出し、逃げるようにその場を去っていった。嵐が過ぎ去ったかのような静寂が訪れる。
元貴の方を見ると、身長はあの頃よりずっと伸び、体つきも少年らしくなっていた。
誰もいなくなった歩道で、藤澤はもう隠す必要のない名前を、そっと呟く。
「元貴、だよね? 覚えてる?」
あの頃と同じように少し腰を落とし、視線を合わせるように優しく語りかけた。
呼ばれた元貴が、重い蓋を開けるようにゆっくりと顔を上げた。至近距離でその顔を直視した瞬間、藤澤は思わず息を呑んだ。
3年の歳月は、少年の幼さを削ぎ落としていたが、代わりにそこにあったのは、あまりにも乏しい表情と、健康さを欠いた青白い肌だった。そして、藤澤の目を最も引きつけたのは、彼の顔のところどころに残る生々しい傷跡だった。よく見れば、袖から覗く腕や、ズボンの裾から見える足にも、擦り傷やアザが痛々しく散らばっている。
(この傷……さっきの喧嘩だけじゃない。一体、どんな毎日を…)
藤澤の胸に、言葉にできないほど鋭い痛みが走る。
「……涼先生でしょ」
そう言って元貴は、一瞬だけ藤澤の目を見たが、耐えきれないといった様子ですぐに視線を地面へと逃がした。低く、掠れた声だった。
「正解。覚えてくれてて嬉しいなぁ」
藤澤は、あえて傷のことについては触れず、再会できた喜びをそのまま声に乗せて微笑んだ。元貴を包む刺々しい空気が、少しでも和らげばという願いを込めて。 だが、元貴はその笑顔を見た途端、弾かれたように顔を背けた。
「……全然変わってないもん」
「えぇ、そうかなぁ」
藤澤は思わずクスッと笑ってしまった。言葉の端々に滲む、素直になれない頑なな態度。それは、あの頃の元貴と全く変わっていなかった。
けれど、笑ってばかりはいられない。藤澤は表情を引き締め、先ほど彼が起こした行動について、真剣な眼差しで切り出した。
「……さっきのことだけどさ」
「それはもう謝ったじゃん」
元貴の表情が、一瞬でどす黒い影に支配された。藤澤の言葉を遮るように、被せ気味に吐き出された早口の拒絶。
思わず言葉を失った。
かつての怯えていた少年の面影はもうない。
一瞬の沈黙。しかし元貴の顔に、一筋の後悔のような色が浮かんだのを藤澤は見逃さなかった。けれど、彼はそれを無理やりかき消すように、光を失った真っ黒な瞳で藤澤をじっと見据えた。その瞳は、誰も信じない、何も期待しないという強い意志で塗り固められているようだった。
「…ううん、それじゃなくて」
藤澤は、喉まで迫る心配な気持ちをぐっと抑え、できるだけ冷静なトーンで言葉を継いだ。
「…なに」
元貴の表情が、一気に怪訝なものへと変わる。藤澤は、その露骨なまでの感情の起伏に、内心では驚きを隠せなかった。あんなに感情が上手く出せなかった子が、今はこんなにも「拒絶」という形で嫌悪感を顕にしている。
「さっきの子たちは知り合い? それとも…」
「知り合いなんかじゃない」
また、言葉を最後まで言わせてもらえなかった。食い気味に放たれた元貴の声には、その話題に触れてほしくないという焦りが混じっている。
「じゃあ、……」
「虐められてるとかでもないから」
元貴は、藤澤が何を言おうとしているかを全て先回りして、諦めたような、どこか聞き飽きたとでも言いたげな態度で遮った。その被せ方はあまりに手慣れていて、彼がこれまでどれだけの大人から、同じような表面的な心配を向けられてきたかを物語っていた。
「……」
藤澤は、言葉を飲み込んだ。元貴の体にある無数の傷、そして先ほどの数々の罵倒。それらが日常の一部になってしまっているかのような、彼の乾いた態度。
目の前の元貴は、自分が知っている元貴ではない。かといって、健全に成長した姿とも言い難かった。自分が去ったあとの3年間で一体彼に何が起きたのか。
様々な考察が頭を駆け巡り、胸の奥がキリキリと痛む。藤澤は、これ以上無理に踏み込むのは逆効果だと判断し、今度は自分が視線を落とした。
しかしその沈黙を破ったのは、意外にも元貴の方だった。
「…ねぇ、涼先生は今どこの施設にいるの」
低く、探るような声。元貴がこちらを意識している証拠に、藤澤は少しだけ救われたような気持ちになった。
「ん? 今はね、あそこ。太陽の園ってとこ」
藤澤が少し離れた場所にある建物を指差すと、元貴も釣られるようにその指の先へ目を向けた。その横顔には、一瞬だけ年相応の少年の好奇心が混じったような気がした。
「…ふーん」
元貴は、興味なさそうに装いつつも、その場所を記憶に刻むようにじっと見つめている。
「元貴とお別れした時は、遠くのとこに行ったんだけど、結局こっちに戻ってきたんだよね」
藤澤は努めて明るい声で笑った。本当はもっと早く会いたかったとか、ずっと心配していたとか、溢れそうな思いは山ほどある。でも今の元貴を見てからは、ただ何でもない顔をして笑うことしかできなかった。
藤澤の笑い声を聞きながら、元貴はまた小さく「ふーん」とだけ呟いた。その表情からは何を考えているのか読み取れなかったが、少なくとも先ほどのような鋭い拒絶の色は、少しだけ薄らいだように見えた。
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長らくお待たせしてしまいすみません…。
新生活の忙しさに翻弄されていました…,。
「死にたい君に、依存する。」の方も並行して書き進めつつ、リクエストもどんどん書いていこうと考えています…!
そしてフォロワーさん300人ありがとうございます!!!!!
私の作品をこれからも見たいという方がこんなにもいてくださると思うと、凄く嬉しいです!
これからも精進していきます!
新作もどうぞよろしくお願いします!!
コメント
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第1話、読み終わりました……もう、胸がぎゅっとなりました。あの頃の元貴くんが、まさかこんな形で再登場するとは思わなくて。3年で傷ついた姿になっているのが切なくて、でも涼先生が「変わってない」と微笑んだところに、彼の変わらぬ優しさが滲んでいて、じんと来ました。「全然変わってないもん」って言いながら顔を背ける元貴くんの描写に、彼の強がりと心の奥が透けて見えるようでした。続きが気になります……! ゆっくりで大丈夫なので、どうか無理せず書いてくださいね🌷