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「……えっと……あのっ、そんなに見られると、困ります」
「あはは、ごめんなさい。でも、本当に驚いちゃって。穂乃果さん、首筋から鎖骨にかけてのデコルテライン、すごく綺麗ですね。ライトブルーが映えるっていうか……。ナオミさんが執着する理由、なんだか分かってきちゃったな」
「し、執着だなんて、そんな大袈裟な……」
否定する穂乃果の耳朶は、自分でもわかるほど熱く色づいている。
鏡の中に映る自分は、湊の手によって、まるでくすんでいた原石が磨き上げられたかのような輝きを放っていた。
いつもは生活感という名のゴムで無造作に束ねていた髪が、今はふんわりとまとめられ、一筋、二筋と頬に落ちる毛束が、自分でも驚くほど艶っぽく見える。
自分は、平凡で、どこにでもいる、三十路手前のナースだ。
直樹に選ばれず、里奈に嘲笑される、価値のない人間。
そう自分に言い聞かせてきたはずなのに。鏡の中の「女」が、それを静かに、けれど力強く否定していた。
けれど、鏡の中に映る一人の女性は、琥珀色の光を浴びて、確かに少しだけ誇らしげに見えた。湊の屈託のない笑顔に、凍り付いていた穂乃果の胸が、じわりと解けていく。
「さて。じゃあ行きますよ。ナオミさん、相当イライラしてると思うから」
「はっ……はいっ!」
湊に連れ添われ、穂乃果は恐る恐るバックルームの扉を押し開けた。
カウンターに立つナオミは、腕組みをしながら、不機嫌を絵に描いたような顔で二人の到着を待っていた。
「お待たせしました。穂乃果さん、準備OKです」
湊がナオミの傍に立ち、茶目っ気たっぷりに耳元で囁く。ナオミは怪訝そうな顔で、穂乃果をじろりと見上げた。
穂乃果はというと、ライトブルーの裾を落ち着かない手つきで握りしめ、恥ずかしさのあまり顔を上げることができずにいた。
「ふぅん……。悪くないんじゃない? やっぱりその色にして正解だったわね」
「ですよね。僕もそう思います」
湊が満足げに頷く。
「っていうか、この服、穂乃果さんのために準備したんでしょう? ナオミさんらしくない清楚なデザインだなぁと思ってたけど、謎が解けました」
「違うわよ。たまたま見かけて買ったけど、やっぱりアタシには似合わないから取っといただけ。ゴミ箱に捨てるよりマシでしょ」
ナオミはフイッと視線を逸らしたが、その言葉にはいつもの鋭い毒が欠けていた。
「ふぅん? そのわりには穂乃果さんにピッタリサイズじゃないですか。世界一の審美眼を持つナオミさんが、サイズ間違いの服を《《たまたま》》買うなんて、あり得ないと思うんだけどなぁ」
「……チッ。余計なことは言わなくていいの!」
ナオミの激しい舌打ちが響く。けれど、その頬が、店内の照明のせいだけではなく、微かに上気しているような気がするのは気のせいじゃない筈だ。
「ふふ、ありがとうございます。ナオミさん」
「だから! 違うって言ってんのに」
ナオミは一層声を尖らせて言い返したが、その瞳は泳ぐようにグラスへ落とされた。
普段の彼女なら、もっと冷徹に、あるいは完璧な論理で湊を黙らせるはずだ。それが、今のナオミはまるで図星を突かれた子供のように、必死に自分の余裕を取り繕っているように見える。
「とにかく! 仕事よ仕事! あぁ、アンタは基本的に表には出なくていいから。どうしても回らなくなったら呼ぶけど、それ以外はお皿洗ったり、その辺の片付けしてくれる?」
「はい!」
穂乃果は元気に返事をした。お世話になっているナオミに対して今の自分には、これくらいしか返せるものがない。
けれど、横で聞いていた湊が、不思議そうに首を傾げた。
「あれ? ナオミさん、穂乃果さんをホールに出さないんですか?」
「……文句ある?」
「いや、文句っていうか。せっかくこんなに綺麗に仕上げたのに。勿体ないなぁと思って。……もしかして、他の男に見せたくないだけだったりします?」
湊の意地悪な追求に、ナオミがピクリと眉を跳ねさせた。
「……湊……。あんた、最近ちょっと口が過ぎるわよ。クビになりたいのかしら」
「おっと。失礼。……さ、穂乃果さん、奥へ行きましょうか。ナオミさんの大事な『宝物』に傷がついたら大変だ」
湊に背中を押され、穂乃果は戸惑いながらもバックヤードへと促される。
ナオミが自分を「表に出したくない」と言った理由。それは、直樹の時のような「恥ずかしいから隠しておきたい」という否定的なものではないような気がして、穂乃果の胸の奥は、先ほどとは違う熱さで疼いていた。
直樹はいつも、穂乃果を自分の所有物か、あるいは背景の一部のようにしか扱わなかった。「地味でいろ」という言葉は、彼にとって都合のいい、管理しやすい女であれという意味でしかなかったのだ。
けれど、ナオミの放つあの鋭い視線は、まるで大切なものを他人の目に触れさせたくないという、剥き出しの独占欲に近い色を帯びているように見えた。
(そんなはず、ないのに……。でも……)
きっと、自分の勘違いだ。ナオミははっきりと「女性には興味が無い」と言っていたのだから、期待したり、勘違いしたりしちゃいけない。
そうだ。湊に魔法をかけてもらって、鏡の中に知らない自分がいたから。綺麗に着飾って、自分が自分じゃないみたいに思えるから、そんな風に浮ついた感じ方をしてしまうだけ。
自分を落ち着かせるように、穂乃果はライトブルーの生地を上からそっと撫でた。
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かんな
あかね ♛❤️♛