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佐伯は促されるままに宇佐美の手をとり、もう一方の手は肩甲骨あたりに回した。
「じゃあ、最初のステップから」
声が近い。当たり前のことなのだが、こう意識してしまうともう全部が気になってしまう。彼の匂いも、ちょっと高い体温も、後ろに回された大きな手も。
今まで散々一緒にヒーロー活動してきて急接近には慣れていたはずだったのに、ダンスとなると何故こんなにも緊張してしまうのか。
「いち、に、さん、し」
聞き心地のいい声が近くていつもなら安心感があって落ち着くのに今は毒にしかならない。彼は方向転換する方に素直に顔を向けるからたまに息がかかったりする。驚いて少し体勢を崩すと後ろに回していた腕でぐい、と抱き寄せられた。
心臓に悪すぎる。
「テツ、ちょっと早いかも」
「う、うん」
四拍子のゆったりとしたテンポを崩さないようにゆっくり。平常心。
ふと顔を上げると目と鼻の先に彼の顔があった。整った童顔で、いつもは大口開けて笑って活発な様子なのに、今は凛としていて大人びた表情をしていて…。
何食わぬ顔を装ってそっと目線をずらす。
ダメだ、近すぎる。それに、そんな顔初めて見た。心臓がもたない。まずい、考えてること全部聞こえてたらどうしよう。
動揺のあまりそんな馬鹿なことを考える。いや、顔を逸らしすぎても不自然だ。もっと自然体で。あれ、どうやってたっけ。
「……どうした?調子悪い?」
彼が動きを止めてこっちを覗き込んでくる。
今顔を正面から見られたら全てがバレてしまいそうで、目を伏せて言う。
「そうかも。ごめん。今日はこれで終わりにしていい?」
「分かった」
嘘をついた。いや、具合じゃなくて調子が悪いかどうかなら嘘ではないか。
すっと手を離す。急に離れたら不審に思われるかもしれないからあくまでそっと。平常心で。ほんの数秒間に何度も自分に言い聞かせた。
「テツ」
半歩離れたところで呼び止められた。
「こっち見てくれない?」
静かな声だった。
は、と息が漏れた。
なんで? なんでそんなことを?
痛いくらいに鼓動を感じた。もしかしてバレてしまったのでは、と。
いや、まさかそんな。動揺はしたが彼に対しての好意がバレるようなことは一切していない。そうだろう。
細やかな沈黙。
「ごめん。変な事言った」
数秒後、我に返ったように彼は言った。
さすがにノーリアクションは不味いと思ってちら、と彼の顔を見た。
「あー、気にしないで。今日あんまり目が合わなかったなと思って言っただけだから」
ちょっとキモかったか、と彼は申し訳なさそうに眉尻を下げて笑っていた。
「ごめんね…。あの、えっと……なんか緊張しちゃった」
本心を誤魔化すのに必死で余裕がなくて、そんなこと言わせてしまったことへの罪悪感からしどろもどろになりながら変に嘘をつく訳にもいかなくてなんとか言葉を紡いだ。
でも、ただの心配にしたってなんで彼がこんなに気を遣っている様子なのか分からない。いつもなら茶化しながら聞いてくるような些細なものなのに。
というより、ここまで気にしてしまう俺がおかしいのか。我に返って作り笑いする。
「やー、こんなんじゃ本番は緊張しすぎで相手が不安になっちゃうよね」
だって、ただ目が合わなかっただけだから。
帰宅後。
宇佐美はシャワーを浴びながふと、手のひらを見つめる。ダンス練習の時、握った佐伯の手は微かに震えていた。彼の目は自分から逃げるように落ち着きなく彷徨っていた。体はなぜか強張っていていつものしなやかさはなかった。
俺と踊った時だけそうだった。
東堂や周央と踊った時はあんな風ではなかった。確かに緊張はしていたが、素直に向き合おうとしてそれが気恥ずかしいような素振りだった。
俺の時は向き合おうとするのを怖がっているようだった。
そもそも一緒に踊ろうと提案したのは動きの確認は勿論、彼のあの目が気になっていたからそれを見ようとしたことも理由の1つにあった。
しかし、目を見ようとする以前に彼の動揺が気になった。
知りたい。
一体俺の何から逃げようとしたのか知りたかった。