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世利里🗝️🫧🖤
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#🐢超えて🐌超えて🦥投稿
アイリス🌙
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『本好きの下剋上』秘密のお菓子作り
二人きりの厨房にて
「マイン、こっちこっち!」
アーティはローゼマインの手を引き、厨房の奥へと駆け込んだ。
「ちょっと、アーティ! 急にどうしたの?」
「いいから、座って!」
「ええっ? 何なの、もう……」
ローゼマインは困惑しながらも、アーティに促されるまま椅子に腰掛けた。
目の前には、小麦粉や卵、砂糖に乳製品。さらに、すでに焼き上がった小さな焼き菓子まで並んでいる。
「……これ、お菓子?」
「そう! 一緒に作ろうと思って!」
「お菓子作り? でも、わたし、試験勉強をしなきゃいけないんだけど……」
「知ってるよ」
「だったら……」
「マイン、さっきからずっと難しい顔してた」
アーティは、ローゼマインの前に焼き菓子をひとつ置いた。
「これ、食べてみて?」
「……アーティ」
「ね、お願い」
ローゼマインは小さくため息をつき、焼き菓子を口に運んだ。
さくり、と軽い音がする。
「……おいしい」
「本当?」
「うん! 外側はさくさくなのに、中は柔らかいね。これ、どうやって作ったの?」
その瞬間、アーティの顔がぱっと明るくなった。
「えへへ、知りたい?」
「知りたい!」
「じゃあ、一緒に作ろう!」
「……もう。アーティには敵わないなあ」
ローゼマインは笑いながら、袖をまくった。
二人だけの時間
「ねえ、マイン。卵、割ってくれる?」
「任せて!」
ぱきっ。
「あっ」
「……マイン?」
「……殻が入っちゃった」
アーティは一瞬きょとんとしたあと、くすくすと笑い始めた。
「もう、マインったら!」
「だって、いつも料理なんてしないんだもん!」
「神殿にいた頃は、もっと上手だったよ?」
「それはアーティが手伝ってくれたからでしょ!」
「そうだったかなあ?」
「そうだよ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
貴族院に入ってから、ローゼマインはいつも気を張っていた。
領主候補生としての振る舞い。側近たちへの指示。試験の準備。
誰かと話すときは、相手の立場を考え、言葉を選ばなければならない。
けれど、アーティと二人きりなら違う。
神殿で暮らしていた頃と同じように、遠慮なく笑って、失敗して、ふざけ合える。
「ねえ、アーティ」
「なあに?」
「こうやって二人でお菓子を作るの、久しぶりだね」
アーティの手が、ほんの少し止まった。
「……うん。そうだね」
「神殿にいた頃は、よく一緒に作ったよね。怒られるってわかってるのに、こっそり厨房に行ったりして」
「だって、マインと一緒だと楽しかったんだもん」
「ふふっ。わたしも!」
ローゼマインは、アーティの肩にこつんと頭を寄せた。
「……最近、ちょっと疲れちゃった」
ぽつりと落ちた言葉。
アーティは何も言わず、隣にいる友達の顔を覗き込んだ。
「試験、難しい?」
「難しいというか……全部一発で合格しなきゃいけないでしょう? 間違えたら図書館に行けないし、勉強しても勉強しても、まだ足りない気がするの」
「そっか」
「みんな頑張ってくれてるから、わたしも頑張らなきゃって思うんだけど……」
ローゼマインは困ったように笑った。
「ちょっとだけ、何も考えたくなくなっちゃった」
アーティは彼女の手を握った。
「じゃあ、今だけ何も考えなくていいよ」
「……いいの?」
「うん。ここにはわたしとマインしかいないもん」
そして、にっこり笑った。
「今日は二人でお菓子を作って、いっぱい食べて、いっぱい笑おう?」
ローゼマインはしばらくアーティを見つめていた。
やがて、その目元がふわりと緩んだ。
「……うん!」
「やっぱり、アーティが大好き!」
焼き上がったケーキを二人で囲み、紅茶を注ぐ。
ローゼマインはひと口食べると、目を輝かせた。
「おいしい! これ、すっごくおいしいよ、アーティ!」
「本当? よかったあ!」
「ねえ、これ、もっといろんな味で作れないかな? 果物を入れたり、クリームを挟んだり……」
「ふふっ。マイン、もう新しいこと考えてる!」
「だって、おいしいんだもん!」
「もう、仕方ないなあ」
アーティは笑いながら、ローゼマインの皿にもうひと切れ載せた。
「はい。マインの分」
「ありがとう!」
しばらく二人で食べていたローゼマインは、ふとアーティの顔を見つめた。
「……ねえ、アーティ」
「なあに?」
「今日、連れ出してくれてありがとう」
「……うん?」
「わたし、ずっと頑張らなきゃって思ってたから。こんなふうに笑うの、忘れちゃってたかもしれない」
アーティは目を丸くした。
それから、少しだけ照れくさそうに笑う。
「……マインが笑ってくれて、わたしも嬉しいよ」
「アーティ」
「なあに?」
ローゼマインは、ぎゅっとアーティに抱きついた。
「やっぱり、アーティが大好き!」
「わっ、マイン!」
「大好き! ほんとに大好き!」
「もう、どうしたの?」
「だって、アーティといると安心するんだもん!」
アーティは一瞬驚いたあと、ローゼマインの背中に腕を回した。
「……わたしも、マインが大好きだよ」
二人はしばらく、そのまま抱き合っていた。
貴族院では領主候補生と上級貴族の令嬢。
けれど、二人きりのときは、そんな肩書きは関係ない。
ただ一緒に笑って、お菓子を食べて、明日のことを少しだけ忘れられる。
神殿にいた頃から、何も変わらない二人だった。
「……ねえ、マイン」
「なあに?」
「明日も一緒にお菓子作ろうね?」
「えっ、明日も!?」
「うん!」
「……試験勉強は?」
「お菓子を作ってから!」
ローゼマインは数秒黙り込んだ。
そして、アーティと顔を見合わせる。
「……ふふっ」
「えへへ」
「もう、アーティったら!」
二人の笑い声が、厨房いっぱいに響いた。
お菓子作りを終えた二人が厨房から出てきたとき、廊下の向こうには、見慣れた側仕えたちが待ち構えていた。
そして、その中央に立っていたのは。
「……ローゼマイン様」
リヒャルダだった。
いつも穏やかな彼女の顔から、笑みが完全に消えている。
「アーティ様」
「……はい」
アーティは反射的に背筋を伸ばした。
ローゼマインも、そっとアーティの袖をつかむ。
「お二人とも、こちらへいらしてくださいませ」
「リヒャルダ、あのね、これは……」
「ローゼマイン様。まずはお部屋に戻ります。その後、お話を伺います」
「……はい」
有無を言わせない声だった。
アーティはローゼマインと顔を見合わせた。
「……マイン」
「……うん」
「これ、怒られるやつだね」
「アーティが連れ出したからでしょう!?」
「ええっ、マインだって一緒にお菓子作ったじゃない!」
「そういう問題ではありません!」
「お二人とも」
リヒャルダの声が低くなった。
二人は同時に口を閉じた。
「今は、黙ってついていらしてくださいませ」
「「……はい」」
怒りの矛先
ローゼマインの部屋に戻ると、側近たちが集まっていた。
リヒャルダは二人を椅子に座らせると、静かに口を開いた。
「ローゼマイン様。貴女様が突然いなくなられたとき、周囲がどれほど心配したか、おわかりですか?」
「……ごめんなさい」
「アーティ様。貴女様もです」
「……はい」
「お二人が一緒にいらっしゃること自体を責めているのではありません。問題は、何の連絡もなく、護衛もつけず、周囲に行き先を知らせずに移動されたことです」
リヒャルダは一度、深く息を吸った。
「特にローゼマイン様は領主候補生でいらっしゃいます。貴女様に何かあれば、誰が責任を取るのですか?」
「……わたしです」
ローゼマインが小さく答えた。
「いいえ。ローゼマイン様ご自身だけではございません。護衛騎士、側仕え、そして貴女様をお預かりしている領主一族にも責任が及びます」
アーティは膝の上で手を握りしめた。
自分がローゼマインを連れ出した。
少しでも気を休めてほしかった。それだけだった。
けれど、リヒャルダたちがどれほど心配したのか、今になってようやく理解し始めていた。
「……あの、リヒャルダ」
「何でしょう、アーティ様」
「マインを連れ出したのは、わたしなの。だから、マインだけを怒らないで」
ローゼマインが勢いよく顔を上げた。
「アーティ!」
「だって、本当のことだもん」
アーティはリヒャルダを見つめた。
「マインが疲れてるように見えて、少しだけ休んでほしかったの。お菓子を作ったら元気になるかなって思って……。でも、みんなに心配をかけることまで考えてなかった。ごめんなさい」
言い訳をするつもりはなかった。
ただ、ローゼマインに責任を押しつけたくなかった。
リヒャルダは、しばらくアーティを見つめていた。
「……貴女様のお気持ちは、わかりました」
アーティの表情が、ほんの少し明るくなる。
しかし。
「ですが、それとこれとは別です」
「……はい」
「お友達を心配するお気持ちは立派です。けれど、心配だからといって、相手を無断で連れ出してよいことにはなりません」
「……うん」
「次からは、せめて側仕えに一言お伝えください。お二人で過ごしたいのであれば、こちらも方法を考えます」
「……わかった」
「アーティ様。返事は?」
「はい。申し訳ありませんでした」
リヒャルダはようやくローゼマインへと視線を戻した。
「ローゼマイン様もです。貴女様は連れ出された側であっても、その後、ご自分の意思でお菓子作りを続けられたのですよね?」
「……はい」
「でしたら、途中で側近に連絡することもできたはずです」
「……ごめんなさい」
「お二人とも、今回は大変心配いたしました。どうか、二度とこのようなことはなさらないでくださいませ」
「「……はい」」
2.そして、リヒャルダにも災難が降りかかる
その日の夕刻。
リヒャルダは、領主一族の関係者から呼び出しを受けていた。
ローゼマインが行方不明になり、側近たちが貴族院内を探し回ったこと。
アーティが彼女を連れ出し、厨房で二人きりで過ごしていたこと。
そして、二人が無事に見つかったものの、周囲に大きな心配をかけたこと。
報告を受けた者たちが問題視したのは、二人の行動だけではなかった。
「ローゼマイン様とアーティ様の動向を、なぜ把握していなかったのですか」
「……申し訳ございません」
リヒャルダは深く頭を下げた。
「ローゼマイン様の側仕えとして、また貴族院での生活を支える立場として、貴女にも監督責任があります。領主候補生が無断で移動し、周囲が所在を確認できなくなるなど、あってはならないことです」
「はい」
「今後は、ローゼマイン様の予定と行動をより確実に把握するように。側近間の連絡体制も見直してください」
「承知いたしました」
厳しい指摘が続いた。
リヒャルダは反論しなかった。
ローゼマインを守ることが自分の務めである以上、責任を問われるのは当然だったからだ。
しかし、部屋を出たときには、さすがに疲れた様子で小さく息を吐いた。
「……まったく。お二人とも、もう少し周囲の心配も考えていただきたいものです」
3.リヒャルダ
夜。
ローゼマインの部屋を訪ねたリヒャルダは、扉を開けた瞬間、足を止めた。
アーティが、ローゼマインの隣に座っていた。
二人とも、いつになく神妙な顔をしている。
「リヒャルダ」
ローゼマインが立ち上がった。
「今日は、本当にごめんなさい」
「……ローゼマイン様」
「わたし、アーティに誘われたとき、少し嬉しかったの。ずっと勉強ばかりで疲れていたから。でも、みんなが心配していることを考えなかった」
アーティも立ち上がる。
「わたしが勝手に連れ出したの。リヒャルダにも、ほかのみんなにも、迷惑をかけちゃった」
二人はそろって頭を下げた。
「「ごめんなさい」」
リヒャルダは、すぐには何も言わなかった。
やがて、ゆっくりと息を吐く。
「……お二人とも、顔をお上げください」
二人が顔を上げると、リヒャルダは少し困ったような表情を浮かべていた。
「お二人が仲良くなさることは、私も嬉しく思っております。特にローゼマイン様が、あのように楽しそうに笑われるのは喜ばしいことです」
ローゼマインの目が丸くなる。
「……リヒャルダ」
「ですが、私は貴女様をお守りする立場です。貴女様が突然いなくなれば、心配せずにはいられません」
「……うん」
「アーティ様も、ローゼマイン様を大切に思われるのであれば、どうか周囲に心配をかけない方法を考えてくださいませ」
アーティはこくりと頷いた。
「わかった。次はちゃんと相談するね」
「ぜひ、そうしてください」
少しだけ空気が和らいだ。
すると、ローゼマインがそっとアーティの袖を引いた。
「……ねえ、アーティ」
「なあに?」
「また二人でお菓子を作りたいね」
「うん!」
リヒャルダの眉が、ぴくりと動いた。
「……お二人とも?」
「「……はい」」
「次回は、必ず事前に私にお知らせくださいませ」
「はい……」
「護衛もつけていただきます」
「……はい」
「厨房の使用許可も、きちんと取ってくださいね」
「……はい」
二人は顔を見合わせた。
そして、リヒャルダに気づかれないように、小さく笑った。
リヒャルダは、その様子を見逃さなかった。
「……ローゼマイン様、アーティ様?」
「「何でもありません!」」
「本当に、もう……」
リヒャルダは額に手を当てた。
二人が無事で、笑っている。
それ自体は喜ばしいことだ。
けれど、これから先もこの二人には、気を揉まされることになりそうだった。
ローゼマインがいなくなった騒動からしばらく後。
ローゼマインはリヒャルダに連れられて自室へ戻り、アーティも側仕えたちに連行されるようにして自室へ帰された。
そして、その日の夕方。
「アーティ」
部屋に入ってきたハルトムートの声は、いつもよりずっと低かった。
アーティは机に向かい、何事もなかったかのようにお菓子のレシピを書き留めていた手を止める。
「……はい」
「こちらを向きなさい」
「はい」
ゆっくり振り返ると、ハルトムートは笑っていた。
ただし、目はまったく笑っていない。
「今日、君が何をしたのか、最初から説明してもらおうか」
「えっと……ローゼマイン様と、お菓子を作りました」
「それは知っている」
「楽しかったです」
「アーティ」
「……はい」
「誰が、ローゼマイン様の側近を勝手に連れ出していいと言った?」
アーティは口を閉じた。
「誰が、主の予定を無視していいと言った? 誰が、側仕えたちに何も告げず、領主候補生であるローゼマイン様を連れて姿を消していいと言ったんだ?」
「……誰も言っていません」
「そうだな。誰も言っていない。君が勝手にやったことだからな」
ハルトムートはアーティの前まで歩いてくると、机の上に置かれたレシピ帳をそっと閉じた。
「こちらを見なさい」
アーティは恐る恐る顔を上げた。
「君は自分が何をしたのか、本当にわかっているのか?」
「……ローゼマイン様が、疲れていらっしゃるように見えたので」
「それは聞いた」
「だから、少し休んでもらおうと思って……」
「それで?」
「……お菓子を作りました」
「それで?」
「……怒られました」
「違う!」
ハルトムートの声が部屋に響いた。
アーティの肩がびくりと跳ねる。
「君が怒られたことなど、今はどうでもいい!」
「……っ」
「ローゼマイン様が突然いなくなったとき、周囲がどれほど騒ぎになったと思っている? 護衛騎士は捜索に動き、側仕えたちは自分たちの監督責任を問われ、リヒャルダ様まで厳しく叱責されたんだぞ!」
「……はい」
「しかも、君はローゼマイン様を連れ出す前に、誰にも相談しなかった。居場所を知らせることもしなかった。君たち二人に何かあったらどうするつもりだったんだ!」
アーティは膝の上で両手を握った。
楽しかった。
マインと二人でお菓子を作るのは、神殿にいた頃に戻ったみたいで、本当に楽しかった。
だから、少しくらいなら大丈夫だと思ってしまった。
けれど、ハルトムートが怒っている理由は、もうわかっていた。
「……ごめんなさい」
「謝罪を求めているんじゃない。考えなさいと言っているんだ」
「はい……」
「君はローゼマイン様のことになると、途端に自分の立場も周囲の事情も忘れるな」
その言葉に、アーティは小さく目を伏せた。
ハルトムートは深く息を吐いた。
「ローゼマイン様がお疲れなのに気づいたこと。それ自体は悪くない。むしろ、よく見ていたと思う」
「……本当?」
思わず顔を上げたアーティに、ハルトムートはすかさず言った。
「話はまだ終わっていない!」
「はいっ」
「勝手に連れ出すのではなく、休憩を提案すればよかっただろう。側仕えに一言伝えることだってできた。厨房を使いたいなら許可を取ればよかった。君にはいくらでも方法があったんだ!」
「……はい」
「それなのに、君は一番騒ぎになる方法を選んだ」
「……マインが、すごく疲れているように見えたから」
「ローゼマイン様のことを心配するのは構わない。だが、心配しているから何をしても許されるわけじゃない」
アーティは黙り込んだ。
ハルトムートの言葉は厳しかった。
けれど、怒鳴られたことよりも、自分の行動で周囲に迷惑をかけたことのほうが、じわじわと胸に重くのしかかってきた。
「……リヒャルダ様にも、迷惑をかけました」
「そうだ」
「ローゼマイン様にも……」
「そうだな」
「……ごめんなさい」
今度の謝罪は、さっきよりもずっと小さかった。
ハルトムートはしばらくアーティを見つめていたが、やがて隣の椅子を引いて腰を下ろした。
「アーティ。顔を上げなさい」
アーティは少しだけ顔を上げる。
「君がローゼマイン様を大切に思っていることは知っている。神殿でどんな時間を過ごしてきたのかも、君がどれほどローゼマイン様を心配しているのかも、俺は知っているつもりだ」
「……うん」
「だからこそ、だ」
ハルトムートは妹の頭に手を置いた。
「君には、ローゼマイン様を支える側近であってほしい。君自身の行動で、ローゼマイン様の立場を危うくするようなことはしてほしくないんだ」
アーティの目が揺れた。
「……私、マインを困らせたかったわけじゃないの」
「わかっている」
「ただ、あの子がずっと勉強していて……神殿にいたときみたいに、一緒にお菓子を作ったら元気になるかなって」
「うん」
「そしたら、笑ってくれるかなって思ったの」
最後の言葉は、少しだけ震えていた。
ハルトムートは妹の頭を撫でる手を止めた。
それから、困ったように眉を下げる。
「……君は本当に、昔から変わらないな」
「怒ってるのに?」
「怒っているよ。今も、ものすごく怒っている」
「……うん」
「だが、君がローゼマイン様を笑顔にしたかったことまで否定するつもりはない」
アーティはじっと兄を見つめた。
「次からは、ちゃんと考えて行動しなさい。主を大切に思うなら、主の周りにいる人たちのことも大切にしなければならない」
「……はい」
「それから、リヒャルダ様と側仕えたちには、君自身の言葉で謝罪すること。ローゼマイン様にも、明日きちんと謝りなさい」
「わかった」
「返事」
「はい。わかりました」
ハルトムートはようやく小さく息を吐いた。
「よし。では、説教はここまでだ」
アーティはほっと肩の力を抜いた。
その瞬間。
「ただし、今後一週間、厨房へ行く際は事前に俺か側仕えに伝えること。ローゼマイン様を含め、誰かを連れ出す場合も同様だ」
「えっ、一週間も?」
「二週間にするか?」
「一週間でいいです!」
「そうか。なら最初から素直に受け入れなさい」
「……はい」
アーティはしょんぼりとうなだれた。
ハルトムートはそんな妹を見て、とうとう苦笑した。
「まったく。君は勉強なら何も言わなくてもできるのに、こういうところは昔から目が離せないな」
「お兄様がいろいろ教えてくれたから、勉強はできるんだよ」
「そうやって可愛らしく言えば許されると思っているだろう?」
「……ちょっとだけ」
「反省しているのか?」
「してます」
「本当に?」
「……してます」
ハルトムートは額に手を当てた。
「はあ……。君のその人懐っこさは長所だが、時と場所を考えなさい」
「はい」
「それから、今度ローゼマイン様がお疲れのようだったら、まず俺にも相談すること」
「お兄様にも?」
「そうだ。俺だってローゼマイン様のお役に立ちたいからな」
「……でも、お兄様に相談したら、マインの予定がいっぱい増えそう」
「アーティ?」
「なんでもありません」
ハルトムートは再び妹をじっと見つめた。
アーティは口をきゅっと結び、視線をそらす。
数秒後。
「……ふふっ」
先に吹き出したのは、ハルトムートだった。
「まったく。君という妹は」
「お兄様、もう怒ってない?」
「怒っている」
「まだ?」
「まだだ」
「……そっか」
アーティはしょんぼりしたまま、兄の袖をちょんとつまんだ。
「でも、お兄様」
「なんだ?」
「マイン、今日は笑ってくれたよ」
ハルトムートは一瞬、言葉を失った。
アーティは少しだけ嬉しそうに微笑む。
「すごく嬉しそうだった。昔みたいに、二人でお菓子を作れて」
その顔を見て、ハルトムートはまた深いため息をついた。
「……わかった。そこは認めよう」
「本当?」
「ああ。だが、次は正しい手順を踏みなさい」
「はい」
「絶対だぞ」
「はい、お兄様」
ようやく、ハルトムートは妹の頭をくしゃりと撫でた。
「……まったく。俺がどれだけ心配したと思っているんだ」
その声だけは、先ほどまでの叱責とは違っていた。
アーティは兄の袖をつまんだまま、小さく答えた。
「……ごめんね、お兄様」
「次はないからな」
「うん」
「本当に、次はないからな」
「……うん」
「アーティ」
「はい」
「その返事は、次もやるつもりの返事だな?」
「……そんなことないよ?」
ハルトムートは再び妹を問い詰めるため、椅子から立ち上がった。
「そこに座りなさい。説教を再開する」
「ええっ! もう終わりって言ったのに!」
「君が反省したと信じた俺が愚かだった!」
「お兄様、ごめんなさい! 反省してます! 本当に!」
その夜、アーティは結局、もう一度たっぷりと叱られることになった。
そして翌日、ローゼマインに会う前に、リヒャルダと側仕えたちへの謝罪を済ませるよう、ハルトムートから念を押されたのだった。
コメント
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ああ、もう、すごくいいお話でした……! アーティがマインの疲れに気づいて、何も言わずに連れ出すところ、優しさがぎゅっと詰まってるなと思いました。二人きりの厨房で笑い合う時間が、どれだけ特別か伝わってきて、胸が温かくなりました😊 あと、リヒャルダやハルトムートの叱り方も、愛情があるからこそ厳しくなれるんだろうなって感じられて。二人の仲の良さと、それを心配する周りの大人たちの対比がすごく好きです。