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「奇遇、だな、燭台切」
「国広くん、どうしてここに?」
「あの後世話になった婆さんから頼まれてな」
「そっか」
コトリとカルピスのボトルをカウンターへ置く。
ボトルには、ひんやりとした中身のせいで水滴が貼り付いていた。
「これ、好きだったよね。主」
「そうだな。あいつは好きだった」
国広くんは、そう言って水滴を手ぬぐいで拭いている。
その瞳はどこか懐かしそうだった。
「燭台切は、今何をしているんだ?」
「僕は政府の所で監査、みたいなことしているよ」
「そうか」
「497円だ。袋付けるか?」
「ああ、お願いするよ」
財布には小銭が入っていなくて、仕方無しにお札を出した。
「大きいのしか無くてごめんね」
「別に構わない。釣りだ」
そう言って国広くんはレシートと、昔ながらのビニル袋に入ったカルピスをわたしてくれた。
「ありがとう」
「また、いつでも来い」
「ああ、また」
国広くんは、笑って手を振ってくれた。
僕も手を振り返す。
この日の帰路は、彼女の葬式帰りのようだった。
国広くんは、主を「あいつ」と呼んだ。
また、彼女が死んだ。
心のなかに生き続けるだなんて有り得ない。
心のなかに生きる誰かだっていつか、死ぬだろう。
対流してぶわりと舞い上がるカルピスの原液を想像する。
この透明な水はきっと時間だ。
時間が、君を溶かして、溶かしきって、飲めてしまう薄さにする。
僕は、止まっていた。
彼女が居なくなってから、一歩も動けずに居た。
あの日みたいに、憎らしいほどカラッと晴れた晴天。
一歩も進めていない心を置いて、身体はずんずんと進んでいく。
日照りが、僕をじんじんと照らしている。
暑いだか、寒いだかはよくわからないが、眩しさだけは鮮明に感じる。
僕にとって夏は穏やかな季節だ。
黒色のコンクリートが光を吸う限り、何も眩しくない。
雨音の影も無く、同じような日が続く。
これほど春が夏に淘汰されつつある今、これほどまで穏やかな季節は珍しいだろう。
そんな事を考えているうちに、男士寮へと到着した。
勢いよくドアを開け、靴を脱ぎ捨てる。
何かに追われているように部屋着に着替えた。
やっとの思いでコップを取り出す。
それにカルピスの原液を注ぐ。
それに、3倍の水を加える。加えた。
一体彼女は、君はこれの何に楽しみを見出したのだろうか。
カルピスと水は対流なんかせずに、ただ白濁した液体が薄まるだけ。
ずっと呆気なかった。
呆気なかった。あっけなかった!!!
彼女の最期だってあっけなかった!!!
君はいつだって、僕に絡みついて、離れてくれない。
まるで混ぜてしまったカルピスと水を分けようとするように、君のことを忘れようと、忘れようと祈って願って。
いっそ君を追いかけようとする度に、君のあの言葉が。
「全部、私のものでいてね。」
それが脳内に木霊して、僕をここに縛り付けた。
付喪は地獄に行けるのか、確証がない。
君のその言葉を守ることでしか、僕の中の君を生かす方法がわからなかった。
なんども君の死を見てきた。
何度も、君の本丸に居た男士たちが、君を呼ぶ時に三人称になる所を見た。
前の主と呼ぶ所を見た。
君が死ぬ夢で何度も魘される。
君が生き返る夢で何度も魘される。
おまじないだ。君の掛けた魔法だ。
君がカルピスに掛けた呪いだ。
頬を熱いものが伝う。
呼吸がおかしくなる、ずっと息を止めていたのか?
こんなの、初めてだ。
君が死んでから、こんなに悲しくなったのは初めてだ。
涙が、頬が伝ったのは、初めてだ。
重症を負った時の、どくどく溢れてくる血液みたいに、涙が溢れてとまらなかった。
もう何もする気になれなくて、洗濯機も回さずに朝を迎えてしまう。
漸く飲んだカルピスは、しょっぱくて、ぬるくて、君が飲んだら眉をしかめるような味だった。