呻き声の響く救護所の天幕に、簡素な衣を纏った青白い膚の男がいる。天幕には負傷者が次々に運び込まれる。男は、負傷者の中でも軽傷の者に、素早く正確な応急処置を施している。
同様に立ち働いている、より重傷の者を担当している女が男に話しかける。「救う者さん、だっけ? 昔はヴィリーハントにいたって本当? 傭兵ってわけじゃないのよね?」
アイドーンは苛立ちつつも手足を動かし続け、途切れることのない呻き声に負けない大きな声で言葉を返す。
「山茶花さん、だったか。今、君の手次第で生きるか死ぬかの瀬戸際にいる者たちの前でよく無駄話ができるな」
二人が言葉をぶつけ合っていると、突然、炎が救護所に吹き込み、人々が炭の塊に変えられていった。アイドーンはパストリテに覆いかぶさりながら炭へと変わる。パストリテはなんとか天幕の外へと這い出る。
火が不思議なほどにすぐ消えると、白い毛皮の外套に身を包んだ戦士たちが現れた。戦場には不釣り合いな白の外套は、雪景色に身を隠すというヴィリーハントの戦士たちを示している。
生き残った者を探すように、敵兵たちは焼け焦げた死体に剣を刺していく。アイドーンの肉体もまた二つの刃に刺し貫かれる。しかしアイドーンは凶刃を握りしめる。
「どうしてこんなことをするんだ?」と黒焦げのアイドーンが敵兵を問い詰める。「倒れ伏す者たちに追い打ちをかけるのがお前たちのやり方だったか?」
アイドーンは自らに刺さった剣を得物にして、雄叫びをあげながら敵兵に斬りかかる。新たに天幕へ飛び込んで来た応援も斬り捨て、天幕の中に動く者がいなくなれば外に飛び出して白い衣の戦士たちを赤く染める。そして、最後には背を向けた者たちを追いかけて斬り捨ててゆく。
「やめろ! やめてくれ!」と地に這いつくばりながら訴える者がいた。「アイドーン! 俺だ!」
「お前たちが救護所を戦場に変えたんだ。命乞いが聞き入れられ……、お前は、豪雪か?」
「そうだ。かつてあんたと共にライゼン氏族と剣を交えたエピゾロスだ。戦友だ。そうだろ?」
「竜をも恐れぬヴィリーハントも今やライゼンの属邦だ。そしてお前も、卑劣な男に成り下がったようだな」
その時、どこからか飛来した投げ槍が運悪くアイドーンの胸を貫き、地面に釘付けにした。エピゾロスはその隙に逃げ果せる。
ガレイン半島の勢力を率いる諸将の集う天幕で、アイドーンは軍団長天意と相まみえる。黒く焦げたはずのアイドーンの体は元に戻っていた。
マティゴーは救護所でのアイドーンの活躍を褒め称える。アイドーンはただ怒りのままに戦っただけだと返す。
「怒り。最もだ。皆が怒っておる。神聖なるガレインの地を侵さんとするライゼンの軍勢に対する怒りは私も、ここに集う諸将も同じくしている。そこでだ。是非君には前線に、突撃部隊に参加して欲しい」とマティゴーは力強く拳を振り回して語る。
「突撃部隊に属したところで私が救える者など、いざ戦いが始まればすぐに生存者などいなくなると思いますが」とアイドーンは返す。
「ああ、得てして皆が死ぬ。誉れ高き一番槍の部隊だ。どれほど勇敢な者でも臆し、槍を繰り出すこともできずに死ぬ者が大半だ。だが君が前を行けばどうだろう? 勇ましく突き進む君の背中を見て、皆が鼓舞され、臆することなく前進できる」
「私は、私の力は仲間を救うために――」
「結果的に、君が戦った方が多くの仲間を救えるのだ」マティゴーはアイドーンの肩を掴んで説得する。「戦うべきなのだ。いずれ死ぬ誰かの代わりに、決して死ぬことのない君こそが」
味方には命知らずと称えられ、敵には悪霊と謳われる突撃部隊、その隊長幽谷とアイドーンが初体面する。だが、グモシュテはアイドーンのことをよく知っているようだった。それもそのはず、まさに救護所での戦いぶりを目撃し、マティゴーに報告したのがグモシュテだったのだ。
「お前のお陰で、私の救いの魔術が宝の持ち腐れだ。突撃部隊の隊長ともあろう男が今更命が惜しくなったのか?」と挑発するアイドーン。
「俺が隊長、お前は部下だ。まず口の利き方を教えてやろう」と凄むグモシュテ。
喧嘩など突撃部隊では日常茶飯事だった。明日死ぬとも知れぬ身の彼らに恐れるものなど何もない。
文字通り不死身のアイドーンが喧嘩に降参することなどなく、かといって歴戦の勇士グモシュテを打ち倒すほどの力を持ち合わせてもいなかった。止める者もおらず、とうとう囃し立てる者もいなくなったところでグモシュテが口を開く。
「何本骨を折ったかわかりゃしねえ。これ終わるのか?」
「何本折っても無駄だ。お前が降参すれば終わる」
「じゃあ終わらないってことだ。休戦にしよう」
こうして日暮れに始まった喧嘩は夜明けに休戦した。
アイドーンの加入はマティゴーの思惑通りの結果をもたらした。突撃部隊の戦果は増し、死を恐れないアイドーンの戦いぶりに戦士たちは勇気を与えられた。が、それ以上に、アイドーンの癒しの力の成果が大きかった。突撃する度に人員の入れ替わる死の部隊で、死傷者が減少した。肉体の傷を癒すばかりではない。心の傷さえも癒して経験した恐怖を取り除き、苦痛を軽減して勇気を蘇らせた。そして突撃部隊の活躍ぶりによって全軍団の士気をも高め、その反攻の勢いを強めた。海の向こうからやって来て、山の裾まで押し寄せていたライゼンの手勢たるヴィリーハントは、再び海岸まで後退することとなった。
アイドーンがエピゾロスと再会したのは、古くより異民族との戦いの舞台となった地峡でのことだ。地峡沿いに迫り来る敵勢力を追い返す戦いは、やはりグモシュテ率いる突撃部隊の果敢な戦いに足並みを乱されたヴィリーハントが敗走して終わった。
足を怪我したエピゾロスは死体に紛れてやり過ごそうとしたようだったが、アイドーンは見破った。
「そもそも何故救護所なんか狙ったんだ? 何の意味がある?」アイドーンは問い詰める。
「俺たちが狙ったのはあんただよ、アイドーン。札の魔性。不死身の化け物。札を貼った者の命令に逆らえない傀儡のお前だ。その力が欲望を招き、あんたの大切な怪我人たちを死なせたのさ」
「減らず口が」そう言って止めを刺そうとしたのはグモシュテ隊長だった。
「待ってくれ」とアイドーンが制止する。「私心で殺すつもりはない。こいつも捕虜にしてくれ」
他の負傷者も含め、捕虜を連れ帰る。
「また!?」と軍医パストリテが金切り声をあげる。「捕虜が金になるのは知ってるけどさ。もう手一杯なんだけど? せめてあなたが戻って来てくれないかな!?」
救護所は負傷者で一杯だ。ただでさえ時間に追われ、一定の目途をつけて次の戦場へと移動しなくてはならない。
「そうだ。アイドーンさん。ここにいてくれ。この女の治療は痛いんだ」と捕虜たちが訴えるも、パストリテの平手打ちによって黙らされる。
久々に軍団長マティゴーに呼び出され、逆にアイドーンは自分の考えを説いて聞かせる。自身が持つ救いと癒しの魔術を活かした方が戦いよりも成果を出せることを。現に結果を出していることを詳しく示す。マティゴーは耳を傾け、しっかりと頷いている。
「なるほど、そうかもしれん。丁度良い。癒して欲しい者がいるのだ」
その場に連れて来られた男は酷い外傷を負っている。目が抉れ、鼻が潰れ、あらゆる骨が粉砕されている。アイドーンは持てる魔術を駆使し、男を治療する。腫れあがった顔では誰か分からなかったが、魔術によって腫れが引くと分かる。エピゾロスだ。
アイドーンと目があっても、エピゾロスは黙した。
「さあ、君、話したまえ。死によって救われることはないぞ」
マティゴーが宣言すると、再び拷問官の仕事が始まった。アイドーンは目を背けるが、退出することはマティゴーが許さない。拷問によって負った傷を癒させられる。そして再び拷問が始まる。
「終わらせたくば君からも説得したまえ、アイドーン。白状しない限り救いは与えられない、とな」
その言葉が決定打になって、それまで耐えていたエピゾロスもとうとう口を開く。
結局、エピゾロスは生き延びる。アイドーンがその魔術でエピゾロスを癒す。だが、肉体の傷は癒せても、祖国を売ってしまった心の傷はどうにもならなかった。
「もう殺してくれないか?」とエピゾロスは呟く。「捕虜としても役に立つことはないだろう」
「それは自分の手でやってくれ」とアイドーンは返す。「目も鼻も全ての骨も元通りにするから」
アイドーンは再びマティゴーに呼び出される。
エピゾロスが明かしたのはヴィリーハントによる大攻勢だ。今、再び港にライゼンから海を越えて戦力が向かっている。その前に港を制圧し、防衛しなくてはならない。
自身の癒しの魔術を拷問に利用され、意気消沈するアイドーンにマティゴーは囁く。
「これでこの戦争は終わる。奴らの野望を打ち砕けるとも思えんが、一度得た港を失えば、奴らも計画を大きく修正するだろう。アイドーンよ。戦争が終われば誰も傷つかず、傷つける必要もない」
その時、兵士たちの慌ただしい声が聞こえる。捕虜が逃げたのだと分かる。そして報告に来た兵士によって逃げたのはエピゾロスだと分かる。
マティゴーが大袈裟に溜息をつく。「君は君の力を拷問に利用したことを怒っているのだろう? だがどうだ。君が奴を救ったことによって、最低限の被害で済んだであろう港の制圧が、強力な防備の待ち受ける全面戦争になるのだろうな」
マティゴーの予想通り、港は要塞と化していた。どちらの軍勢も最速で準備を整えて、最大戦力がぶつかる。
しかしアイドーンは再び救護所で負傷者の手当てをしていた。
「ずっと救護所に戻ることを望んでいるんだと思ってたけど、暗い顔をしているね?」というパストリテの言葉に耳を貸さず、アイドーンは癒し続ける。
当然、突撃部隊の仲間たちが最初に運ばれてくる。アイドーンは癒しの魔術を使い続けたが、死傷者が増えるにつれ、手に負えなくなった。仲間を救うそばで、仲間の死を見届ける。ついにはグモシュテ隊長までもが運び込まれてきた。しかし既に事切れている。
それでも懸命に働いているアイドーンはマティゴーの元へと呼び出される。
マティゴーは敵の救護所へ忍び込み、癒しの魔術師たちを殺せ、とアイドーンに命じた。
「忍び込む? そんなことが出来るなら苦労はしないでしょう」
「できるのは君だけだ。札の魔性よ」
気が付けば怪我を負ったヴィリーハントの戦士の体で港へと逃げ帰るふりをしていた。血に塗れ、剣も持てない大怪我のふりをして、敵方の救護所へと逃げ込む。
アイドーンほどに優れてはいないが、多くの魔術師が戦士たちを戦場へ送り返していた。命令のままに動くアイドーンが医療者へ近づこうとすると、エピゾロスが立ちはだかった。
取っ組み合いになるがアイドーンは再び札を剥がされ、貼り直される。
アイドーンを覗き込むエピゾロスを睨み返し、次はどんな命令を与えられるのだろうと絶望する。
「あんたの好きなようにしろよ」とエピゾロスは命じる。
アイドーンは医療者たちと負傷者たちを眺めながら、叫び声と呻き声を聞きながら考え込む。そして何も言わずにヴィリーハントの戦士たちを癒し始める。初めは困惑する魔術師たちだが、アイドーンの優れた魔術と負傷者を思いやる態度を見て、アイドーンを補佐するように働き始める。
「一体どういうつもりだ?」とエピゾロスは尋ねる。
「復讐だよ」とアイドーンは答える。
エピゾロスはそれ以上何も言わず、アイドーンを手伝う。次々に送り返されるヴィリーハントの戦士たち。とうとう運び込まれるより早く、送り返し、救護所が空になってしまう。
魔術師たちはアイドーンを褒め称えるが、アイドーンは何も言わずに戦場へと戻る。
「おい、どこへ行く?」とエピゾロスは尋ねる。
「言っただろ? 復讐だよ」とアイドーンは答える。
戦場へと戻る。道中、這う這うの体で戦場から離れようとしている軍団長マティゴーを見つける。矢傷を受け、落馬し、骨折したらしい。
「こちらは港の方角ですよ。あなたの自陣はあちらです」
「アイドーンか? 貴様、裏切ったな! 打ち倒したばかりの敵がすぐに戻って来たぞ! 貴様の仕業だろう!?」
「救護所を戦場に変えるのが貴方たちのやり方なら、戦場を救護所に変えるのが私のやり方という訳です」
アイドーンはマティゴーの矢傷を癒すと戦場の真っただ中へと戻る。そして誰も彼もを、敵も味方もを救い続ける。流れた血を瞬時に止血し、失われた四肢を縫い直す。震え上がる戦士の勇気を奮い起こさせ、再び立ち上がらせる。確実に殺さなければ、少しでも手心を加えれば、アイドーンの手によって負傷者が舞い戻る。地獄のような様相となった戦場で、アイドーンは笑みを浮かべ、戦士たちを救い続ける。







