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そんなことを考えてたら、東堂製粉所の息子さんがやってきた。
「おはようございます」
穏やかな優しい声。
「おはよう。いつもありがとうね」
あんこさんの元気な声が響く。
「こちらこそ。あ、社長がよろしくって言ってました」
やっぱり……
「たまには一緒に飲みにいこうって言っといてよ。独身同士、傷を舐め合おうって」
「あっ、はい。ありがとうございます、伝えます」
そう、東堂社長も……独身。
残念だけど、数年前に奥様とは離婚されたみたい。
息子さんの東堂 慧(とうどう けい)君もお母さんがいなくなって寂しいだろうな。
「おはよう」
あんこさんが奥に入っていった後、慧君は私に話かけてくれた。
「おはよう、慧君」
「この前聞かれてた小麦粉、新しいの入ったから良かったら使って」
「ありがとう! 嬉しい。お代金は?」
「いいよ、そんなの。それより美味しいパン作って。この強力粉すごくいいから」
「たまには払わせてよ」
「いいから、ほんの少しなんだし」
「あっ、うん……何だか、ごめんね。じゃあ、甘えるね。慧君、いつもありがとう」
「気にしないで」
発する言葉も、声も、すごく優しい。
慧君の年齢は私と同じ25歳。
ほんのりブラウン、ナチュラルショート。
軽く毛先にパーマをかけている爽やか系のイケメン。
高い鼻、ほんの少し厚みのある唇、うるうると潤んだ瞳が印象深くて。
だからかな……
ちょっと刹那的な魅力を感じてしまう。
照れ屋で物静かな彼を、影で慕う女性は少なくないはずだ。
「これで美味しいの作るから、出来上がったらまた食べてね」
「うん。雫ちゃんの新作のパン、楽しみにしてるから」
私は、ニコッと微笑みながらうなずいた。
あんこさんの作るパンに比べたら、私のなんてまだまだだけど、いつも新しいアイデアが浮かんだら自分なりに試行錯誤しながら作るようにしてる。
日々、勉強って感じだ。
美味しいパンが焼けたら、ただただ嬉しいから。
今はそれだけ。
慧君も帰って、いろいろ準備をしてから開店。
だいたい朝は、あんこさんとあと3、4人くらいで対応してる。
7時半からテイクアウトとカフェをオープンしてるから、結構早くから賑わう。
店員、バイト、みんなシフト制であんこさんが管理してる。
本当に、あんこさんはすごい人だ。
仕込みは私も含め店員も手伝ってるけど、何から何まで頭も体もフル回転だろう。
疲れてるはずなのに、そんな素振りは一切見せずにいつも明るく笑顔で振舞っている。
お客様も、そんなあんこさんを見たら元気になるみたい。
だから、私もできるだけ笑顔を絶やさないように心がけてる。
レジに入っていたら、小さな子どもを連れた若いお母さんがパンをトレーに取っている様子が見えた。
子どもが何を食べたいのか、ちゃんと優しく聞いてあげてる。
すごく良いお母さんだな……
たぶん、20歳過ぎくらい?
3歳くらいの可愛い男の子が、お母さんの洋服を掴みながらゆっくりパンを選んでいる。
好きなパンを差してるその人差し指が小さくて可愛い。
子どもは……嫌いじゃない。
だけど、子育てって、きっとすごく大変なんだろうと想像だけはできる。
私には無理なんじゃないかなって。
いやいや、私はその前に無事に結婚できるかどうかでしょ。
それも厳しい……?
誰かの奥さんになるのも、お母さんになるのも、簡単なようで難しいんだよね。
目の前にいる、この若いお母さん。
どれほど毎日の生活に疲れていても、この子の笑顔を見たら、それだけでいろんなことを乗り越えられるんだろうな。
私も、少しはまともに恋愛しなきゃダメ……だよね。
過去のトラウマがどうとかって、逃げてるばっかりじゃ何も変わらないし前に進まない。
それは、よくわかってるつもりなんだけどね。
なかなかそう簡単にいかないのが、悲しいけど現実なんだ。
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