『ちゃんと凛さんと話は出来たの?』
電話口から聞こえるナギの声に、蓮は躊躇いがちに「うん」とだけ返した。自分の思いはきちんと伝えたし、兄が何を考えているかも吐き出してもらった。
でも、どうにも釈然としない。あれで本当に良かったのだろうか。もっといい方法があったのではないか――そんな思いが頭を離れない。
酔いつぶれて眠った兄の寝顔を見下ろしながら、蓮はそっと溜息を吐いた。
「頑なに話したくないって言ってたのを、無理に言わせちゃったんだ。傷口に塩を塗るみたいなことをして、失恋した直後に『前を向け』なんて言うなんて、弟として最低だよね、僕」
『お兄さんは優しいからそう思うのかもしれないけど、きっと凛さんにとっては必要なことだったんじゃないかな。今は辛いかもしれないけど、そのうち笑って肩を並べられるようになる日がまた来るよ。血の繋がった兄弟なんだしさ。……まぁ、凛さんが笑ってるところなんて見たことないけど』
「そう、かな」
『そうだよ。じゃないと困るし。おじいちゃんになってもあの人から目の敵にされちゃうなんて嫌だよ、俺』
ナギの苦笑いが電話越しに伝わる。
「えっ、おじいちゃんになってもって……?」
『そのまんまの意味だよ。俺たちだってこれから年を取るでしょ? そのときに、ずっと凛さんに執着され続けてたらたまんないもん』
その豪快さに面食らって、蓮は言葉を詰まらせた。
『……お兄さん?』
「ごめん、ちょっとビックリして。ナギが、そんな将来のことまで考えてくれてるなんて思わなくて……」
こんな自分でも、ずっとそばにいてくれると言ってくれることが純粋に嬉しかった。
『え、なに? お兄さんは違うの?』
「ううん。違わない……。僕も、ずっと……ずーっと君のそばにいたい」
その胸に溢れる思いをどう言葉にすればいいか。電話越しで良かった。今の自分の顔は、人には見せられないくらい緩んでいるだろうから。
「どこでもドアがあったらよかったのに。今すぐにでもナギに会いたい」
『だめ。今夜くらいは、お兄さんの隣にいてあげなよ。……僕は逃げないし、絶対に君の前からいなくならないから』
切実な声が心の琴線に触れ、蓮は胸がぎゅっと締め付けられるのを感じた。彼は本当に、自分を大切に想ってくれている。しかも、兄に対しても真摯に向き合おうとしてくれている。
優しいのは、自分ではない。自分は結局、自分のことで精一杯で、一番大切な兄を思いやれなかった。
『じゃあ、また明日スタジオで』
そう言って通話は切れ、画面の明かりが消えても、蓮はしばらくスマホを手放せなかった。
それから数カ月。銀次の加入で動画やCGの作成もグッと楽になり雪之丞の負担が大分減った。一時は獅子レンジャーを凌駕する勢いだったドラゴンライダーはメイン二人の子供たちへの圧力や、スキャンダルが相次いで公のなった事により低迷。早朝の戦隊ものシリーズとしては異例の視聴率を叩き出し、ようやく平穏無事な日々が訪れた。
「グッズの売り上げも絶好調で、SNSのフォロワー数も過去一をキープ出来てるみたいですね」
「うん。銀次君が来てくれたお陰で、話題性には事欠かないし、動画の視聴率も凄い事になってるよ」
「ほんっと、来てくれてよかった。まぁ、演技は素人に毛が生えた程度だけど」
「でもさ、その下手くそさがウケてるらしいぜ」
「ちょぉっ、酷くないですか!? 皆さん! そんなディスらんで下さいよぉ」
銀次は、自分の事をボロクソに言うメンバーを涙目で見回した。だが、その反応が面白いのか、一同は顔を見合わせて笑い合う。
「ディスってないわよ。褒めてるのに」
「姉さん。誉め言葉になってませんよ」
「そう? だってさ。演技はド素人なのに、あの棒読み具合が逆に味があるってファンの間でも人気なのよ?」
「そうそう。それに、あの棒読み具合が逆に子供にもウケてるって。最近では真似してる子もいるらしいし」
美月と東海に追い打ちをかけられ、銀次はがっくりと項垂れる。
「棒読み棒読みって、みんな酷いなぁ。これでも俺、めっちゃ頑張ってんのに」
「大丈夫だよ。銀次君、ぼくらも最初はみんなそんな感じだったんだから」
「ゆきりん……優しいなぁ。チューしていい?」
雪之丞のフォローに、銀次は感動した様子で目を潤ませ、彼の肩をガシッと掴む。
「えっ、えっ!?」
「ちょっと! なにセクハラ親父みたいな事してるんですかっ! 棗さんが困ってるから止めてくださいっ」
「フハッ、冗談やって。弓弦クン、そんなムキにならんでも。妬いてんのバレバレやん」
雪之丞に抱き付こうとする銀次を慌てて引き剥がした弓弦に、銀次はニヤニヤしながら彼の頬を突く。
「や、私は別に、妬いてなんかっ! へ、変な事言わないで下さい!」
ふいっとそっぽを向いて、でもしっかりと雪之丞の側に立つ弓弦。困ったような表情をしながらも雪之丞自身も満更では無さそうな顔をしているのが、なんとも微笑ましい。
「取り敢えず、銀次君が来てくれて全てが上手く回りだしたって感じだね」
ワイワイとやり取りしているメンバー達を少し離れた場所から見ていたナギが、しみじみとした様子で呟く。
「そうだね。彼はやっぱり凄いよ。溶け込むのも早いし……色んなスキルを持ってる。最強の助っ人だ」
蓮も頷きながら、隣に立って嬉しそうにメンバー達を見るナギの横顔を眺めた。その表情は以前よりもずっと穏やかで優しくて、見ているこちらの心まで穏やかになる。
「ねぇ、あれから凛さんとはどう? 上手くいってる?」
不意に、チラリと目で蓮の様子を伺いながら、ナギに問いかけられ、蓮は苦笑いを零した。
あれから、凛とは仕事上の会話しかしていない。元々仕事人間で、口数が少ない兄だった事もあり表面上は以前と変わらないようにも思える。
「うーん。兄さんの本心まではわからないけど、前みたいにギクシャクはあまりしなくなったと思うよ」
「そっか……」
ナギはそれ以上何も言わず、再びメンバー達に視線を移す。そこには、今しがた話題に出した兄の姿があり、蓮はそっと目を伏せた。
あの日、凛が何を考え、何を思ったのか。蓮にはわからない。だが、あの後、凛が自分に対して何か変わったかと言えば、そうでもなかった。相変わらず口数は少ないし、仕事以外での会話も殆どない。だが、前のように避けられたり無視されたりする事はなくなった。ただ、それだけ。本当にそれだけだった。
「あ! ちょっと凛さん。聞いて下さいよー。皆が俺の演技が下手だってディスるんですよ」
「……まぁ、事実だからな。それは仕方がないと思って諦めろ」
「うっわ、辛辣」
「だが、少しずつでも確実に成長しているじゃないか。キミには俺も少し期待しているんだ」
「え、凛さん。今なんて? もっかい言って?」
「二度は言わない。……ほら、そろそろ撮影が始まるぞ。準備をしろ」
「あ! 待って下さいって! 凛さーん!」
銀次が凛にじゃれつき、それを他のメンバーが笑いながら見ている。凛に対してでも物怖じせずに自分の意見をぶつけ、彼の心を開かせようとしている。
兄も、銀次のそんな態度に少なからず心を動かされているのか、迷惑そうにしながらも決して彼を無下には扱わない。
最近は仕事の時以外だと、よく銀次と話をしているのを見掛けるようになった。その事が、少し嬉しい。
「銀次君が兄さんの支えになってくれたらいいなって思うのは、流石に高慢かな?」
「そんな事ないよ。ゆきりんが落ち込んでる時に前を向かせてくれたのは弓弦君じゃない? 凛さんがいま、何を考えてるのかは俺達にはわからないけどさ、銀次君がその助けになってくれるといいなとは、俺も思うよ」
此処からでは二人が何を話しているのかまではわからない。だが、ほんの少しだけだが、銀次と話をしている時だけ、凛の表情が和らいでいるような気がする。まぁ、気のせいかもしれないが。
そんな事を考えながら眺めていると、ふと凛が顔を上げ、こちらを真っ直ぐに見た。目が合って、ぎくりと身体が強張る。
「おい。何やってるんだ。お前達も早く来いっ。そして、コイツを何とかしてくれ」
蓮がその場で動けずにいると、凛は心底困ったようにそう言った。
その横では、銀次が「えー?酷いなぁ。そんな事言わないで、仲良くしましょうよ」となどと楽しそうに言い、そんな銀次を凛が鬱陶しそうに軽く睨み溜息を溢している。
「……案外お似合いなんじゃない? あの二人」
「ふふ、同じこと思ってた。兄さんにあんな顔させられるの銀次君だけだよ」
蓮とナギは二人して顔を見合わせ、クスクスと笑い合った。
兄の心の傷が癒えるのにはまだ少し時間が掛かるかもしれない。だけど、きっと大丈夫。
心の底から好きだと思える相手に出会えたのなら、その傷はいつか必ず癒えるはずだから。
「ねぇ、ナギ。僕はこの作品に出られて本当によかったって思うよ」
「ん? なに? 突然」
「だって、キミに出会えたんだから。キミが居なかったら、僕はきっと今も過去を引きずってずっと燻ったままだった。だからさ、この作品に関われたことに感謝してるし、本当にいいメンバーに恵まれたと思う。……ありがとう、ナギ」
そう言ってナギの手を取り、恭しく口付けを落とす。そして、ニッと口角を上げナギの顔を覗き込んだ。
するとナギは目をまん丸にし、次の瞬間には両手で顔を覆い、照れ隠しなのか、足をダンダンと踏み鳴らした。
「急に何!? 不意打ちは心臓に悪いってば~~ッ!」
彼がそうやって恥ずかしがってくれる事が嬉しくて、蓮は益々笑みを深めた。
ナギを好きになって良かった。彼と出会って、本当に良かった。
誰かの笑顔で、こんなにも世界は煌めく事が出来るのだと……それを知る事が出来たし、燻っていた過去を乗り越えられることが出来た。
雪之丞だってそうだ。だからきっと、凛も……。
今は萌え芽程度の思いかもしれないが、きっといつかは――。
「何をしている。早く来い」
スタジオの入口付近で凛が二人を待ちくたびれた様子で不機嫌そうに眉間に皺を寄せてこちらを見ている。
「あ、うん。今行く。ナギも行こう」
「あっ、待ってお兄さん!」
スッと差し出された手を取り、二人で一緒に凛や他のメンバーが待つ場所へ駆け出す。
二人で肩を並べ、視線を見交わし笑い合う。そんな当たり前の日常がこの先もずっと続く事を願いながら、蓮はナギの手をそっと握りしめた。
――その願いが、きっと未来を照らす光になると信じて。
END
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