お風呂上がりにドライヤーで髪を乾かしながら、自分の部屋での出来事を思い出す。
(私、棘くんの彼女になったのか……)
今まで散々恋人みたいなことをしておきながら、本当にそういう関係になると少しばかり恥ずかしい。
(こ、恋人ってことはあれだよね。漫画でよく見る恋人繋ぎとか、きっ、きす!とかするかもしれないってことだよね…)
まだ付き合い始めたばかりだから早いのではと思う反面、付き合う前から既にデートも行ってる上に手も繋いでるし、頭撫でられながら抱き締められてるのに何を恥ずかしがっているんだと思う気持ちもある。
(でも、恋人未満の関係でするのと恋人って関係になってからするのじゃだいぶ違う気がする……)
たぶん棘くんからしたら今までは男として意識してもらえるようにやってた(一部私がお願いしてやってもらった)けど、これからは恋人への愛情表現としてやるわけで。………ってこれ考えてるとめちゃくちゃ恥ずかしくなってくるな。やめやめ。私そんなこと考えるキャラじゃないでしょ。
ドライヤーの電源を切り、少しボサボサになった髪を手櫛で直す。そして今日着ていた下着とタオルを全自動洗濯乾燥機に入れて洗濯する。終わるまで一時間あるから、その間に今日出された課題を終わらせてしまおう。
そしてスキンケア用品を持ち風呂場を出る。冷えきった廊下をちんたらと歩いていたら、せっかくお風呂に入って身体を温めた意味が無い。早く戻ろ、と小走りで部屋へと向かう。
すると、私の部屋の前に誰かが立っているのが見えた。あのシルエットは……棘くん?何の用だろ。扉をノックしようとする棘くんに、私は声をかける。
「棘くん!どしたの、何か用?」
「…しゃ、………………おかか」
「あれ、じゃあなんでここに?」
何か用事があって来たのかと思ってそう質問すると、一度「しゃけ」と言いかけたものの、一度口を閉ざし視線をさまよわせて「おかか」と言い直した。なんか様子が変では??どうしたんだろ。
……まさか、漫画でよく見る「会いたくて来ちゃった」っていうやつか!?…なーんてそんなわけないか。でも一応カマかけとこ。
「もしかして、私に会いたくなって来ちゃった☆とか?……はは、なーんて冗談d「しゃけ」……えっ」
そのまさかだった。あれ、ここっていつから少女漫画の舞台になったんだ???
軽い冗談のつもりで棘くんに「私に会いに来たの?(意訳)」と聞いたらマジで私に会いに来てた。まさかの事実に思わずその場でフリーズしてしまう。
「明太子、ツナマヨ」
棘くんは「会いたくなったから来ちゃった」(たぶん)と言うと両手を私の腰に回し、彼のおでこを私のおでこにコツン、と当てる。
…ちょっっっっっっっと待って!?何この甘い雰囲気!えっ、待って待って待って?何がどうなってこうなった?いや、あの、本当に待って欲しい。放課後に私の部屋でこうやっておでこコツンした時はちょっとドキッとした程度だったのに今はすっっっっっごい心臓うるさいんですけど。は?なんで???あっ、待って推しの顔が目の前に。わぁ、まつ毛長いなぁ。それに棘くん今ネックウォーマーしてないから大変えっちな呪印が丸見えだぁ。(現実逃避)
目を閉じてしばらくの間そうしていた棘くんだが、私が「とげくん」と震えた声で名前を呼ぶと、ゆっくりと目を開いた。視線が、合う。紫がかった瞳が私を真っ直ぐに見つめる。その瞬間に私の心臓が一際大きな音で「ドクンッ」となった気がした。顔が熱い。今、絶対に顔真っ赤だ。
棘くんは数秒ほど私を見つめた後、ふふっ、と小さく笑って口パクでこう言った。
『か わ い い』
「あ」「う、」と声にならない言葉が出る。
ねぇ、待ってよ。こんな棘くん、私知らない。いつもの棘くんは、フワフワした雰囲気で、可愛い笑顔で。こんな、こんなにも熱を帯びた目で私を見つめる、「男」の顔をする棘くんを私は知らない。初めて、見た。
私、今どんな顔してる?顔も身体もすごく熱い。足に力が入らない。今は棘くんに支えられてるから何とか立ってられるけど、そうじゃなきゃ立ってられない。
不意に、私の腰に回された棘くんの手に力が入り、グッと引き寄せられ、そして右手で私の前髪をかき上げられる。その後、おでこに当たる何か柔らかい感触。少し遅れて、キスされたと気付いた。
「〜〜っ、〜〜!!」
何か言おうとするも言葉は出てこず、ただただ口をパクパクとさせることしか出来なかった。そんな私を見て、棘くんは満足そうに笑うと私の頭を軽く撫でる。
『お や す み』
口パクでそう言うと、棘くんは男子寮の方へと歩いていく。支えが無くなった私は、おでこを押えながらその場にへなへなと座り込んだ。
「何、あれ…」
今まで可愛いの割合が多かったのに、なんでいきなり、あんな。
「あんなカッコいい棘くん知らない……!!」
おやすみ、って言われたって寝れるわけないでしょ。さっきから心臓がうるさいし。あぁ、もう!棘くんのせいで明日は絶対に寝不足だ。
─✻─✻─✻─✻─✻─✻─
自身の部屋で課題をやっていると、ピコンッ!とスマホが鳴る音が響いた。画面を見ると送り主は、ようやく狗巻くんと付き合いだした彼女。
何かあったのかな、とトークを開くと、送られてきたのはたった一文。
《甘すぎて砂糖吐けそう》
「なんて??????」
意味が理解出来なかった僕は、思考を放棄して、とりあえず「そっか、お大事にね!」とだけ返信しておいた。
翌日の朝。私はベッドの上で布団にくるまり無心でモルモット人形を撫で回していた。あの後、布団に入って寝ようとするも、目を瞑るとおでこにキスされた感触を思い出してしまって結局寝れなかったのだ。おかげで今すごく眠い。
(今日が休日なら良かったのに……)
悲しいことに今日は平日。学校がある。しかも昨日同様に普通に授業。任務が入っていたら身体を動かすことで眠気覚ましになっただろうが、椅子に座っての授業はキツイ。絶対寝る。
のそのそと布団から出て部屋着から制服へと着替える。教室に行くにはまだ早いため、ローテーブルに鏡を置き、それを見ながら髪をいじる。左側だけ編み込みしてピンで留めとけばいっか。と慣れた手つきで編み込みをする。最後に変なとこが無いかチェックして、鏡をしまう。
……別に棘くんに可愛いって思われたいからとかじゃないから。棘くんと二人でお出掛けする時以外は髪下ろしてるのに、付き合い始めた途端に学校に行く時にも髪いじるのは棘くんのためとかじゃないから。本当に。そういう気分だっただけ。マジで。いや、誰に言い訳してるんだ私は。と半ば自分自身に呆れながら私は化粧ポーチから色付きリップを取り出した。…?あれ、私普段は薬用の普通のリップクリーム使ってるのになんでコレ手に取った?………………。まぁいっか!校則で禁止されてる訳じゃないし?今日はコレを使いたい気分だったから手に取っただけで?決っっっっっして棘くんのためとかじゃない。違うから。
リップクリームをポーチにしまい、それをいつもの場所に戻して部屋を出る。スマホで時間を確認すると、まだ少し早いばかり早かったが、たぶん乙骨くんはもう教室にいるだろう。昨晩唐突に意味不明な文章を送ってしまったことの謝罪と、棘くんにされたことの話を聞いて欲しい。これが初恋の私にとって、あれは刺激が強すぎた。
教室に行くと予想通り乙骨くんと、珍しく五条先生が既に来ていた。
「あ、おはよう!…ってすごい眠そうだね?」
「寝てないの?睡眠は大事だぞ〜?」
睡眠が大事なのは言われなくても知ってるわ。でも棘くんのせいで寝れなかったんだもん!!乙骨くんに「おはよう」と返し、席に着く。そして昨日のメッセージについて話すために口を開いた。
「昨日の夜いきなり変なメッセージ送っちゃってごめんね?ちょっとキャパオーバーしちゃって…」
「あぁ、あれ…。何かあったの?」
「いやぁ、実はですね……」
昨日の夜に部屋の前で棘くんにされたこと、そのせいで寝れなかったことを話すと乙骨くんは顔を真っ赤にし先生はめちゃくちゃニヤニヤしていた。
「ふぅん、棘もやるねぇ」
「…確かに『甘すぎて砂糖吐けそう』だね」
「棘くんもあんな顔するんだ、って思ったよ……」
纏っていた雰囲気も、熱を帯びたあの目も、私を愛おしそうに見るあの顔も、全部知らなかった。同級生の中じゃ棘くんとは一番仲が良いって思ってたけど、私の知らない棘くんがまだいるのだと思い知らされた。
「でも、大変なのこれからだと思うよ〜」
不意に、先生が楽しくて仕方がないという風に言う。どういうことかと聞き返すと、「ホント鈍いね君は」と苦笑いして私の質問に答える。
「棘は君のことがだ〜いすきだからね。思いつく限りの愛情表現をしてくると思うよ。昨日君がやられたのなんかまだほんの序の口」
「あれで序の口ですか!?!?」
あれ以上のものがあるとでも言うのかこの教師は。でも、付き合う前からだいぶ距離が近かったことを考えると今まで以上に距離が近くなる可能性があることは否定出来ない。昨日のみたいに。恋愛経験ゼロで恋愛知識なんてほぼ少女漫画が元の私からしてみれば、あれ以上に甘い対応思い付かないんだが?思い付けるなら二次創作でめっちゃ甘々な話書けてるはずだから。
まぁ、さすがに連日でやったりはしないでしょ。と考えていると、ガラッと教室の扉が開く音がする。そこに立っていたのは、先程まで話題となっていた棘くん。
今しがた考えていた「さすがに連日でやったりはしないでしょ」。これを人は “ フラグ ” と呼ぶ。
教室に足を踏み入れると、真っ直ぐ私の方へ向かってくる棘くん。わぁ、なんか機嫌良さそうだね?
「す〜じこ」
「あ、うん。おはよう…」
前まではその後に私が話題を振って楽しくお話していたのだが、昨日のことがあって今は棘くんの顔を見るのが恥ずかしい。でも、黙りもダメだよな。何か言わないと。と必死に考えていると、不意に左頬が撫でられる。顔を上げると、棘くんが自分の頭を指さし「ツナ、明太子?」と聞いてくる。もしかして編み込みしてることについてかな?
「うん、今日はちょっといつもと髪型変えてみた」
そう答えると、目を細めて少しばかり意地悪い笑みで自分を指さして「いくら?」と聞いてくる棘くん。
「えっ、いや、ちが…っ!棘くんのためじゃないから!!!」
咄嗟に否定するも、顔を真っ赤にして言われたところで説得力の欠片も無いだろう。現に棘くんめちゃくちゃニヤニヤしてるし。口元は隠れて見えていないけど、絶対口角上がってんだろ。
あ〜!もうハイハイ!そうですよ、推しもとい彼氏に可愛いって思ってもらいたかったのでいつもと違う髪型して来ましたよ悪いですか!!
むぅ、と頬を膨らませて棘くんを睨むも彼はただ楽しそうに笑うだけ。うぅ、なんでそんなに余裕そうなんだよ!すると頬を撫でる手が、不意にヘアピンに当たる。…そういえば私どんなヘアピン着けてきてたっけ。
「乙骨くん」
「へっ、あっ!はい!何!?」
「私、今どんなヘアピン着けてる?」
そう聞くと、一瞬キョトンとした顔をした後、「そうだな…」と呟いてピンが留められている箇所を見つめる乙骨くん。
「猫の顔の形した飾りが付いてるやつ、かな」
……それって、棘くんと駅前のショッピングモールにお買い物行った時に、雑貨屋で棘くんが「これ似合いそう」って選んでくれたやつじゃん。待って、無意識にそれ選んでたの?嘘でしょ?まさかの事実に気付き棘くんを見ると、先程よりも楽しそうな顔をしてこちらを見ていた。
「…〜っ」
「ツ〜ナマヨ♡」
「…別に可愛くない」
「おかか、ツナマヨ」
語尾にハート付けて可愛いとか言わないでくれ心臓が持たないだろうが。昨日の放課後までいた可愛い棘くんどこ行ったの????今まで可愛いとカッコいいの比率が九:一だったのが、カッコいい十割になってんだけど。割合の変化エグすぎない????
恥ずかしさから棘くんの方を見れずに視線を逸らしていると、ピコンッとスマホの通知音が響く。
「……あ、私か」
一拍置いて、それが私のスマホからなっていると気付く。スマホを見ると、すぐ横にいる棘くんからのメッセージ。
《無意識にそのヘアピン選んでたの?》
《そんなとこも可愛い》
《好きだよ》
「……〜っ!棘くんのばか!!!」
朝から刺激が強すぎるんだけど。おかげで眠気覚めたけどさぁ!ニヤニヤと笑う棘くんが、今この時だけは恨めしいと思った。
全ての授業が終わり、放課後。私は眠気に勝てずに授業終了と同時に机に伏せて寝ることにした。部屋に戻る気力も無い…。
午前中は棘くんのおかげ()で眠気が覚めたので授業に集中出来たが、それが午後まで持つはずもなく。午後の授業は先生に何度か注意されながら授業を受けていた。はぁ、やっと寝れると目を閉じ、私はおやすみ三秒をキメた。
目を覚ますと、教室の時計は午後六時。二時間半ほど寝ていたようだった。まだまだ寝足りないが、椅子に座った状態じゃ安眠なんて出来ないもんな。二時間半も寝てただけすごいわ。所々痛くなった身体をぐーっと伸ばすと、パサ、と何かが床に落ちる。見ると、そこにあったのは黒いパーカー。
「これ、もしかして棘くんの?」
クレープ食べに行った時に棘くんこれ着てたような記憶あるし。身体を冷やさないように掛けてくれたのか、と彼の優しさに胸が締め付けられる。パーカーをぎゅっと抱き締めると、仄かに棘くんの匂いがした。
…そういえば巷には「彼パーカー」なるものがあると聞いたことがある。言葉の通り彼氏のパーカーを着るだけなのだが。
(今ここには私しかいないしいいかな…)
人が来る気配も無いし、すぐ脱げば匂いも移らない。ちょっと、ちょっとだけ。そう自分に言い聞かせ、制服の上からパーカーを羽織る。棘くんと私では身体の大きさが違うためぶかぶかだ。袖は長いから手が出ないし、太ももは裾で覆い隠されている。
「…なんか、あれだな」
棘くんに抱き締められてるみたい、なんて。
袖で口元を隠し思わずふふ、と笑ってしまう。それと同時に開かれる教室の扉。
「……こんぶ」
「…………とげ、くん」
目を見開いて驚いた顔をする棘くん。状況が上手く飲み込めなかったのか数秒ほど固まった後、「はぁ〜」と大きく息を吐いてその場に座り込んだ。
「あ、あの、とげく、ごめん…」
「なんっ…………はぁ〜……」
気持ち悪かったかな。呆れられたかな。と不安になって、謝りながら棘くんのそばに寄る。するとグイッと腕を引っ張られ、気が付くと棘くんに抱き締められていた。絶対に離さない、とでも言うように力強く抱き締められ、肩に頭をグリグリと押し付けられる。
「ん、…あの、棘くん………?」
「高菜」
「えっ、なんでばかって言われたの私」
突然の罵倒に固まっていると、抱き締められていた力が弱まる。顔を上げた棘くんは顔を赤くしながらおもむろにネックウォーマーを下げ、左手を私の頬に添える。そしてゆっくりと近付いてくる顔。
(もしかして、キス、される?)
ぶわっと顔に熱が集まるのが分かった。どうしよう、と視線をさ迷わせるも、すぐに覚悟を決めてぎゅっと目を瞑る。…しかし、いつまで経っても唇に触れられる感触は無くて。恐る恐る目を開けると、目の前にはイタズラが成功したかのような顔をした棘くんがいた。
『期待した?』
口パクでそう尋ねてくる棘くん。ねぇ、本当そういうズルいとこどうかと思うんだけど。棘くんのせいで心臓うるさいし、顔熱いし。どうしてくれるの。私は蚊の鳴くような声で呟いた。
「……期待したわ、ばーか」
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