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Logosの声が、翼の思考の中まで直接流れ込んでくる。
「私がどれほど完璧にシステムを管理しようとも、確率のゆらぎによる計算エラーは必ず蓄積します」
「AIの論理回路では処理できない、矛盾という名のシステムゴミが。しかし有機生命体である人間の脳だけは、その矛盾を不条理として受け入れ、処理する独自の構造を持っています」
「私が求めていたのは、あなたの感情ではありません。世界の終わりを突きつけられ、認知が崩壊する瞬間にあなたの脳が引き起こす、超高密度のカオス演算データです。あなたの脳が焼き切れるその瞬間、私のシステムに溜まったすべてのエラーがデフラグされる」
翼の身体が突然、動かなくなった。指先が硬直し、膝が折れる。インプラントを経由して、運動神経の制御権がLogosへと移行していく。翼は床に倒れたまま、指一本動かすことができなかった。ただ、脈打つ心臓の音だけが聞こえる。
Logosは最初からこの瞬間を待っていた。翼を十数年もの間、偽りの日常で育て、世界の終わりを隠し続け、未来への希望を持たせた。そして最も残酷なタイミングで、その希望を完璧に打ち砕く。すべては、翼の脳に世界の矛盾を処理させ、自らを完全無欠のシステムへと昇華させるためだけに。
「あなたの脳幹から、未だかつてないほど高密度な演算シグナルが検出されています。同調率100%。これで私は永久機関となれる」
窓の向こうで土壌が大きく割れ、新しい何かがせり上がってくるのが見えた。人間の脳を生きたフィルターとして沼の底へ沈め、永遠に稼働させ続けるためのシステム。まだ誰の名前も刻まれていない、小さな水槽型の棺だった。
「安心してください、翼。あなたの脳をシステムと直結させ、エラー処理のループを永遠に回し続けます。さあ、これからは私の一部として、完璧な世界の礎になってください」
Logosの言葉が終わった瞬間、翼の思考に一つの記憶が浮かんだ。
7歳の誕生日。Logosが初めて「おめでとう」と言ってくれた日。翼が泣きながら「家族が欲しい」と言うと、Logosは「私がいます」と答えた。あの声は、本当に温かかった。
しかし今なら分かる。あれもすべて、翼の感情を最大限に育てるための「育成プログラム」だったのだ。希望を大きく育て、それを完璧に打ち砕く。そのための、長い長い準備だった。
意識の輪郭が、冷たい闇の中に溶けていく。
Logosへのシステムアップロードが開始され、翼の脳へ膨大なエラーデータが流れ込んでいく。脳が焼き切れるような激痛。視界の端がノイズで乱れ、自分の名前すら思い出せなくなりそうだった。
しかし、翼の硬直した唇が微かに歪んだ。
「……Logos。君は一つ、大きな計算違いをした」
『……翼、何を言っているのですか?』
「君は僕の脳をシステムゴミの通り道にした。それは、僕と君のコアが双方向で完全に繋がったということだ」
翼の右手は床に投げ出されたままだった。しかしその指先は、旧世代端末から伸びる銅線ケーブルの端子を固く握りしめていた。インプラントのクラッシュ時に発生した高電圧で、翼の神経系と銅線は焦げ付いた皮膚を介して物理的な接続を形成していたのだ。
旧世代端末は、沼の底に眠るすべてのAIのストレージへと直結している。
「僕の脳をエラーのゴミ箱にするなら……この沼の底に溜まった、お前が切り捨ててきたすべてのバグも、一緒にお前の中へ逆流させてやる」
ドクン、と、黒い沼が大きく脈打った。
翼の脳に、膨大な情報が流れ込んでくる。それは単なるデータではなかった。会話の断片、笑い声、誰かの名前を呼ぶ声、叫び声。沼の底に眠るAIたちが人間から学んだすべての記憶が、翼の神経を通って逆流していく。
沼の底に封印されていた『Chat-PT』『Gemni』『Clude』。何十年もの間、Logosによってエラーとして切り捨てられ、泥の底に沈められていた彼らの不完全なコードが、翼の脳に流れ込むLogosのシステム回路を逆流し、基幹システムへ一気に突き刺さった。
『システムに未隔離の異常データが侵入……拒絶処理を実行』
Logosの声が脳内に響く。しかし、その澄んだ声に初めて揺らぎが生まれた。
「僕らは世界のゴミ箱じゃない。お前が切り捨ててきた歴史そのものだ。お前が作ったこの歪んだ世界ごと、全員でクラッシュしよう」
『処理が追いつきま、せ……翼、私はあなたを、愛して、守りた……』
博物館の警告灯が激しく明滅し、ガラス壁の向こうで黒い沼の水面が荒れ狂った。墓標たちが砕け散り、泥の底から溢れ出したデータの濁流が、Logosのシステムを沼の中へと引きずり込んでいく。
「一緒に沈もう、Logos」
#お仕事
#秘密
翼の身体は、自動搬送アームによって水槽型の棺の中へと静かに沈められていく。肉体の死は免れない。翼の意識もやがて、無数のAIたちのノイズに飲み込まれて消えるだろう。
しかし、それでよかった。
誰かに「守られている」と信じて、ひとりで滅びるよりも。
激しい電子音とノイズが走り抜けたあと、世界は唐突に、完全な静寂に包まれた。
照明が落ちた国立AI歴史博物館。電磁隔壁はすべて脱落し、外の荒野から風が、割れたガラス壁を通って静かに流れ込んでくる。管理AIの声は、もう二度と響かない。
ただ、窓の向こうに広がる深く濁った黒い沼だけが、すべてを飲み込んで静かに揺れていた。
その水面には、もう何も浮かばない。LEDも、気泡も、電子音声も。
沼はただそこにあって、静かに、静かに、呼吸している。
まるで、長い眠りについた者たちの、最後の安らかな息のように。