<5.5>
★都営新宿線、笹塚方面行き
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帰りの駅までの道のり、俺たちは同じ電車に揺られることになった。
夜の車両は意外なほど空いていて、俺たちは向かい合うロングシートの端と端に座る。
車内には広告の揺れる音と、レールを走るかすかな軋み音だけ。静かな空間の中で、思い出したように俺は口を開いた。
「なー、秋野くんさ」
「はい?」
少し眠たそうに返事をした秋野くんが、顔を上げてこっちを見る。
「ビジュアル売りって、どう思う?」
「……何ですか急に」
苦笑しながら、秋野くんは目を細めた。俺の“唐突な”質問に、困惑がにじむ。
俺はつり革にぶら下がったまま、ふっと息を吐いて天井を見た。
「さっきの出待ちさ。……ほとんど秋野くん目当てだったよな」
言いながら、なんとなく自分でも言いたくなかったことを口にしてる気がした。
秋野くんは小さく首を傾げ、視線を足元に落とす。
「……まあ、そうかもしれないですけど」
曖昧に笑ったその顔には、照れと、気まずさと、言い返せなさが混ざっていた。
たぶん、彼もそれが“事実”であることを分かってる。けど、どう答えるのが正解なのか分かっていない。
俺だって、分からない。芸人やってりゃ、ある程度“顔ファン”がつくのはよくある話だ。
特に秋野くんみたいにシュッとしてて、清潔感あって、受け答えも礼儀正しい奴には、それが自然と集まってくる。
劇場の最前列に並ぶ子たちの目線、終演後の出待ち、差し入れの袋。
俺も頻繁じゃないけど、たまーにファンの子からそう言った類のものを受け取る。
──だからってその量が多い秋野くんのことが別に、それが羨ましいとか、そういうんじゃなくて。
「……俺たち、コント師じゃん」
そう口にして、少しだけ詰まった。本当に言いたかったのは、きっとその先だった。
「だからさ……なんか、見た目でウケるのって、ちょっと違うっていうか。
もっとネタそのもので勝負したい、みたいな。……古い考えかもしれないけど」
自分で言ってて、ちょっと青臭いと思った。けど、どこかでずっと引っかかっていたのも事実だった。
秋野くんは黙ったまま、電車の窓に映る俺の顔を見ている。その表情は、少しだけ曇っていた。
「……俺、自分の見た目にそんなに自信あるわけじゃないですけど」
「うん」
「でも、最初に自分たちのネタに興味を持ってもらう“入口”が、見た目ってこともあるのかなって思ってて。……きっかけは何でもいいから、まず知ってもらうっていうか」
彼の声は、真面目だった。俺よりずっと大人びて聞こえた。なのに、どこかで距離ができた気がした。
「……それって、最初から“見た目で勝負します”ってこと?」
「違います。最初の引っかかりが顔だったとしても、その後ちゃんと“面白かった”って思ってもらえればいいなって……。だから、ネタで見返すしかないですよね」
「……見返す、か」
俺はつぶやくように繰り返して、視線を斜め下に落とす。
正直、自分でもわからない。何がモヤついているのか、何に引っかかっているのか。
でも、秋野くんが何かの武器を持っていて、それがネタじゃないときに、どこかで自分の存在が薄れていくような、そんな焦りがあった。
「——“顔がいいから売れた”って、言われたら、悔しくない?」
思わず、問い詰めるような言い方になってしまった。秋野くんは、ゆっくりと瞬きをして、考えるように間を置く。
「……言われたこと、あります。昔、オーディションのあとに」
「うん」
「悔しかったです。でも、その時思ったんです。
“見た目のせいで舐められるなら、見た目の分だけ、もっと笑い取らなきゃ”って」
その言葉には、強さがあった。俺には、なかったものだ。電車がゆっくりと次の駅に滑り込み、アナウンスが響く。
俺たちは誰も乗り降りしない車両の中で、変わらない距離を保ったまま揺れていた。
そして、俺の中のある“種火”が、じわじわくすぶり始めていた。
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