森から出て、イリスが困ることはなかった。
人も動物も魔物も、望みを叶えてやればみんなよくしてくれるのだ。
路銀が足りなくなる度に身体を重ねることも、苦ではなかった。
時折。村や町に定住し、死んだ妻や姉や妹の代わりになって、男を看取った。
残された連れ子を育て、孫を育て、そのすべてを看取った。
イリスは相手の願望を汲み取り、その身で体現することができる。
どんな相手であっても、最後には願いを叶えてやることができた。
最初はそれで満足だった。
ヒュームもドワーフもグラスフットも、エルフよりは寿命が短い。
そういうものだと知っていた。
自分はエルフだから長生きなのだ。
死を看取るのに疲れたらエルフと付き合えばいいと思っていた。
幾人もの願いを叶え、命を看取ったエリスは戯れに自分より若いエルフと結婚した。
子供には恵まれなかったものの、平凡で幸せな日々だった。
お互いはぐれ者だったことも都合がよかった。
ようやく他人と同じ時を過ごせることにエリスは安堵する。
それから200年後、自分より若いはずのエルフは老衰で死んだ。
エルフの平均寿命は400歳。
当時のエリスはすでに600歳を超えていた。
本来なら、とうに死んでいるはずの年齢だ。
ねじれた木々のように皺の寄ったエルフが、若々しいエリスの手に触れる。
「共に老いることができなくて、済まない」
彼が望んだのは、老いたエリスの姿だった。
エリスはみるみるうちに衰え、しわくちゃの老婆となった。
その姿に満足した彼は永遠の眠りにつき。
願いを叶え終えたエリスは元の姿に戻った。
この力は他人の願いは叶えても、自分の願いを叶えてはくれない。
一体、自分はいつまで生きるのだろう。
そう考えると恐ろしくなった。
これまで幾度となく男と夜を共にしたが、一度たりとも子に恵まれたことはない。
相手の連れ子を育てたことはあっても、自分と血の繋がった子を抱いたことはなかった。
まるで、この世界から爪弾きにされているかのようだ。
イリスは死を願ったが、死ぬことはできなかった。
イリスは人との交わりを願ったが、求められるのは幻想ばかりだった。
後になって思い返してみれば、かつて生涯を共にした男達が見ていたのも結局は彼らの中の幻想であって、イリス本人ではなかった。
最も長く共にいたエルフの前ですら、イリスは常に彼の望んだ姿で在り続けた。
求められるのはどこまでも彼らの中の幻想であり、イリス本人ではない。
なぜこんなことになっているのか、それはわかりきっていた。
イリスは自分に自信がないのだ。
相手に気に入られたくて、認められたくて、相手の理想を追ってしまう。
相手の願望を叶える為に自分を捨て続けた結果。
630歳になったというのに自分と言えるものが何も残っていなかった。
思い起こせば、皆イリスを見ようとしてくれていた。
前へ踏み出すチャンスはいつだってあった。
それを恐れ、拒んで。
幻想をもって相手を惑わし続けた。
あらゆる忠告を無視して、都合の良い女であり続ける。
そんなことを続けていればどうなるかくらい、わかっているというのに。
だから、これは、自業自得だ。
行きずりの男に強姦されながら、イリスは思う。
首を絞められ朦朧とする頭が快楽に染まっていく。
男はとても楽しそうな顔をしていた。
このまま男の願いを叶えてやれば、ようやく死ぬことができる。
やっと、終われる。
そう意識を手放そうとした時、630年前から声がした。
『おお、我が愛し子。我が悪魔イリスよ!』
『どうかこの心臓を喰らい、生き延びてください』
それは、母の最後に聞いた声。
『誰よりも永く、誰よりも自由に!』
ああ、やめてくれ。
こんなものはただの呪いだ。
母の心臓に導かれるまま。
イリスは男に襲いかかり、強姦して殺した。
すべてがどうでもよくなった。
どうせ人と歩めぬなら、ただ快楽を貪ればいい。
恋も愛も朽ち果てて、欲情だけが残っていた。
冒険者のまねごとをして、パーティを壊滅させた。
村に猜疑心をはびこらせ、自壊させた。
それでもイリスを愛そうとする者は後を断たなかったが。
強く愛そうとする者ほど、何故か深く傷つけていた。
イリスは与えるばかりで、受け取ることができない。
心はとうの昔にすり切れていた。
どうしたらいい。
こんな自分をどうしたらいい。
身体を食らい、心を食らい。
死ぬまで生を絞り取っていながら、何一つ満たされない。
数えきれぬほどの人を殺し、討伐隊が組まれた頃。
イリスは先々代皇帝、ジークと出会った。
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