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ジークは妙な皇帝だった。
皇帝だというのに好んで自ら足を運び、現地を見て回るのだ。
イリスがジークと出会ったのも、それがきっかけだった。
次々と村を滅ぼしたイリスに差し向けられた討伐隊にもジークは参加していた。
強烈な淫臭が漂い、人々が倒れ伏す村で。
全滅した先遣隊の山に腰掛け、イリスが淫猥に微笑む。
「さぁ、おいで。どんな願いも叶えてやろう」
その言葉には魔力が宿っていた。
討伐隊の大半が正気を失う中、ジークだけが冷静だった。
「陛下、お逃げください! あれは化物です!」
自らの欲望に抗い、どうにか正気を保っている聖堂騎士の忠言をジークは無視した。
「ならば。まず、私の願いを言い当ててみるがいい」
まっすぐと見つめてくるジークをイリスは恐れた。
ジークには何の願いもなかったのだ。
そんな人間。
そんな生命が存在するはずがない。
それどころか。
皇帝となり、すべてが思いのままとなる地位にありながら。願いがない?
「お前は皇帝なのに、民に讃えられたいとすら思わないのか?」
「……知ってしまいましたね」
ジークは温和な笑顔を湛えると、イリスの首根っこをひっつかんで言った。
「個体名カルマ、捕獲。これより帝都に連行します」
ジークがいかに奇行持ちだとしても、戦闘の可能性のある討伐隊に参加させるなど、正気の沙汰ではない。
それがまかり通ったのはジークの強さもあるが、今回の場合は女神の啓示によるところが大きかった。
女神、そう。
女神ピトスである。
聖堂教会に崇拝される女神ピトスの啓示はこのようなものだった。
『西に人を不死に導く種が芽吹きました』
『早急にこれを殺しなさい』
『あなた方にはまだ死が必要です』
元々、討伐する予定だったところにピトスが加勢に入った形である。
ピトスの助言通り、皇帝自身を討伐隊に加えていなければ、討伐隊は全滅していただろう。
『流石は人の王。手際がいいですね』
『しかし、殺してくれと言ったはずでしたが』
「女神よ。殺すなどと物騒なことを言わないでください。かわいいものじゃないですか」
10代の姿で拗ねるイリスをジークが撫でる。
イリスの【其は願望の影】は相手の願望そのものとなるスキルだ。それ故に何の願望もない者には無力だった。
「あなたが心配しているのは、不死の秘技を研究する敵国にイリスを調べられることでしょう。ならば、私が守ればいい」
『しかし、人の王よ。あなたも人である以上はいずれ死にます』
「女神よ、それはあなたの仕事でしょう。簡単なことです」
「私を不死にすればいい」
女神はイリスを殺せなかったが、人に不死をもたらすことはできた。
『いいでしょう。ただ、不死とはおぞましいものです。不老の方をおすすめします。どちらか好きな方を、好きな時に選びなさい』
こうしてジークは【不老】か【不死】。どちらかを得る権利を得た。
一見、ずる賢く口の回る皇帝のように見えるが、ジークには願望がない。
不老も不死も彼の望みではなかった。
イリスにカルマの名を与え、側室に迎えたジークは襲い来る敵国を迎え撃った。
「私の妻を奪おうとは、いい度胸ですね! かかってきなさい!」
いくつもの村を滅ぼした重罪人を側室に加えるなど。皇帝の歴史上ありえないことだったが、そのありえない手が後から効いていた。
ジークは一見すると常識破りで妙な皇帝だが、実際は物事を先読みし常に先手を打ち続けている男だった。
皇帝の側室に不死の因子を持つ者がいて、それを敵国が狙っている。
そればかりか、皇帝は女神ピトスの力で永遠の命を選択できる。
帝都の人々は思った。
帝国は永遠だ。勝つのは我々だ。
我らの前にあるのは永遠の繁栄なのだ。
約束された繁栄は、増税を容認させ。
ジークは大量の兵士と武器を用意することに成功する。
だが、敵国の侵攻は苛烈を極めた。
敵兵は屈強だったが、女神の広範囲殲滅魔法が幾度となく戦況を覆した。
それでも、拮抗する戦線がほころぶ度に帝都は危機に陥る。
補給路を断たれ、資源が枯渇する可能性が出た時、ジークは前線に出ると決めた。
帝都で報を待っていては、間に合わないのだ。
より連絡を密にし、指示を出すには前線に出るしかない。
だが、戦場は時に平等な死を与える。
ジークは【不老】を選ばず、【不死】を選択した。
それがどれだけおぞましい選択か、理解していたのはジークと女神だけだった。
ジークは類い希な槍の使い手である上に、素手であっても兵士数名と互角に渡り合える実力があった。
そこに不死が加わったことで、最強の武帝が誕生した。
考えても見て欲しい、戦争中の前線に敵の王がいる状況を。
誰だって優先して殺そうとするだろう。
何なら、他の戦線にいる兵を動員してでも殺そうとする。
皇帝を殺せば兵士は作戦を失い、国家は象徴を失う。
すぐに代役が立てられるにしても、その隙を突けば大きな戦果が得られるだろう。
最初は影武者と思われていたようだが、最終的に敵国はかなりの戦力を皇帝に集中した。
だが、ジークは死ななかった。
腕をもがれようが、腹を切断されようが、首を跳ね飛ばされようが生き返った。
そして、手近な武器を手に取り勇猛果敢に戦った。
たった一人で戦力の多くを相手にできるなら、余った兵士を動員できる。
皇帝は敵国に生まれた戦力の偏りを突いて、要所を攻撃させ敵国を退けた。
かくして、不死の因子を持つイリスと不死の皇帝ジークは平和を手に入れた。
帝都の誰もがそれが永遠になると思っていた。
だが、ジークは老いた。
ジークにかけられた魔法は不死であって、不老ではない。
死ぬこともできず、ひたすらに老いていくのだ。
人々はジークを指さして言った。
「醜い化物め!」
「これが不死か、こんなものが不死なのか!」
帝国の人間たちはジークが人目に触れないよう、地下牢に閉じ込めた。
イリスはジークを解放しろと怒ったが、国そのものを敵に回して勝てるわけもない。
最後には家臣たちと決別し、帝国から去ることになる。
おそらく、ピトスはこの展開を読んでいたのだろう。
当時のピトスの目的は「不死が広まることを防ぐ」だったはずだ。
帝国が滅ぼされる頃にはジークは不死を選択しているだろうし。いくら不死になったところで一人の戦闘力だけで大局は動かせない。
ジークは実験材料として敵国に捕獲されるだろう。
そして、醜く老いたジークは人々に不死は不老ではない事を教えてくれる。
敵国は忌避感をおぼえて不死の研究は頓挫させるかもしれないし。もし、継続するようならまた啓示を出せばいい。
女神ピトスのありがたい啓示を。
こうなると、【不老】を選択できたかも怪しいものだ。
すべてを理解してこの結末を選んだジークは今も地下牢に囚われている。
なぜこんな選択をしたのか。
おそらくは、ジークはただ皇帝としての使命をまっとうしたのだろう。
願望を持たず、持つことができなかったジークは与えられた役割を果たし続けた。
求められるがまま、民の願いを叶え、与え続けた。
これが、皇帝がイリスを殺すことを拒み続けた理由なのだろう。
自分と同じように求められ、他人の願いを叶えながら、ひたすらに擦り切れていく女を誰が殺せよう。
とうに絶望し。
何の望みもなくなってしまった皇帝にイリスは何を見たのだろうか。
自分の未来だろうか、それとも。
オレの質素な自室に、朝日が入りこんでくる。
ベッドの上ではイリスが眠っていた。
そうして、イリスは各地を放浪することになる。
普段から明るく振る舞うようになった。
冗談を言うようになった。
無闇に人を殺さないようになった。
好意を受け取ることができるようになった。
誰かを愛するということがどういうことなのかを、探し求めるようになった。
皇帝の死はイリスに大きな影響を与えていた。
それから何十年後になるのだろうか。
アスピレオス山にて。
倒れ伏した反逆者ルナとオレの前に、イリスは現れた。