テラーノベル
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無数のシャンデリアが、王城の大広間を昼のように明るく照らし出していた。
高い天井に反響する管弦楽の調べ。着飾った招待客たちの華やいだざわめき。会場を満たす香水の匂いに、微かな熱気が絡みつく。
今夜のために、わたくしはいつもより一段階、いえ、二段階はきつく侍女にコルセットを編み上げさせていた。
理由は至極真っ当だ。今宵の夜会には、密かに想いを寄せる隣国との交易を差配する若き伯爵家のご子息、ユーグ様がいらっしゃると聞いていたからだ。
ーーたおやかで、蜂のように括れた腰こそ淑女の証
(今夜こそ、ユーグ様の目に留まらなければ……。母様の仰る通り、細ければ細いほど、殿方の目には麗しく映るのだから……)
物心ついた頃から母や侍女たちに繰り返し教え込まれてきたその言葉を胸に、わたくしは今夜、誰よりも美しくあらねばならなかった。
最初の一曲、二曲までは、なんとか呼吸を整えながら踊り切ることができた。
だが、三曲目。
ユーグ様がこちらへ視線を向けてくださった、その瞬間だった。
(うっ、息が……)
緊張から思わず大きく息を吸おうとした肺が、行き場を失う。
「(ロゼリア様、少しお顔の色が優れないようですが……)」
ダンスの相手を務めていた貴族の青年が、怪訝そうにわたくしを覗き込む。
「い、いいえ。少し、暑いだけですわ」
(駄目、ここで弱音なんて吐けない。皆様が見ていらっしゃる……)
そう自分に言い聞かせた矢先、ぎしり、と骨が軋むような感覚が走った。
(――な……。い、しき、が……)
視界の端が、白くにじみ始める。
(噓……こんな、大勢の前で……)
膝から、力が抜けていく。
「あ……」
誰かに支えられる感触を最後に、意識が急速に遠のいていった。
「きゃあっ!」
「ロゼリア様が……!」
周囲の悲鳴めいたどよめきが、遠く霞んだ音として耳の奥に残っていた。
○
ぼんやりと意識を取り戻したわたくしの頬に触れていたのは、冷たく湿った布だった。
霞む視界の中、覗き込んでいたのは、意外な人物だった。
学園最年少の特級導師にして、自分と同じく魔導爵の家格を持つ友人、フェリア・ルミナス様。
普段は気位が高く、他者を寄せ付けない雰囲気を纏っている彼女が、今は案じるような表情でこちらを見つめている。
「気がついた? ロゼリア、ゆっくり息を吸って。……そう、慌てなくていいから」
「フェリア、様……? わたくし、一体……」
「大広間のど真ん中で倒れたのよ。皆、大騒ぎだったわ」
(噓……。あんな大勢の前で、わたくし……)
「そんな……。ユーグ様は、ご覧になって……」
「今はそんなこと気にしてる場合じゃないでしょう。……それより、そのコルセット、少し緩めさせてもらったわ。勝手なことをしてごめんなさいね」
自分の腰元を見ると、確かにドレスの背中の編み上げが、いくらか緩められている。
「あ……。ありがとう、ございます……。でも、どうして、わたくしが……」
「見れば分かるわよ。顔色、唇の色、それに呼吸の浅さ。……あれは、締め付けすぎたコルセットが引き起こす酸欠の症状。伊達に、同じことを経験してないもの」
「フェリア様が……?」
意外な言葉に、わたくしは思わず起き上がった姿勢のまま固まってしまった。
学園でも社交界でも、常に自信に満ち溢れ、誰かに弱みを見せるなど考えられないと思っていたフェリア様の口から、意外な過去の話が語られる。
「ええ。……昔のわたくしは、今のあなたと同じようなものだったのよ。人前で倒れこそしなかったけれど、いつも息苦しくて、姿勢を保つだけで精一杯で」
「フェリア様が、そんな……。今のフェリア様からは、想像もつきませんわ」
「でしょうね。……あれを変えてくれたのは、わたくしの実力でも、努力でもないわ。ある職人よ」
「職人、ですか?」
「辺境都市グランベルの、職人街の外れにある店よ。……口は悪いし、態度も愛想もないけれど、腕だけは本物。わたくしの身体に合わせて、呼吸を妨げない下地着を仕立ててくれたの」
(下地着……。コルセットの代わりに、そんなものが……)
饒舌に語るその横顔には、普段学園で見せる孤高の色はなく、代わりに、どこか誇らしげな、それでいて少しだけ照れくさそうな表情が浮かんでいた。
「でも……そんな締め付けの弱いもので、淑女としての体裁は保てるのでしょうか。母には、細く見せることこそが、美しさの証だと……」
フェリア様は少し間を置いて、静かに口を開いた。
「……ロゼリア。あなた、今夜、大広間のど真ん中で倒れたのよ。それは、美しさの証だったかしら」
その一言に、わたくしは返す言葉が見つからなかった。
「……あなたが本当に見てもらいたいのは、細い腰? それとも、最後まで倒れずに、あの方の前で美しく踊り切る姿?」
(……最後まで、踊り切る姿……)
母や侍女たちに叩き込まれてきた「淑女たるもの、細ければ細いほど良い」という価値観と、目の前でこれほど生き生きと語る友人の姿との間に、わたくしは埋めがたい矛盾を感じ始めていた。
「……お店の場所を、教えていただけますか」
「ええ。……付き添ってあげるわ。一人じゃ、あの愛想のない店主に気後れするでしょうしね」
そう言って、フェリア様はふいと視線を逸らした。その頬が、わずかに赤らんでいるように見えたのは、気のせいだろうか。
○
数日後。
フェリア様に連れられ、辿り着いた店構えは、聞いていた通り控えめで、社交界の華やかさとは無縁の佇まいだった。
カウンターの奥、裁断作業をしている黒髪の男性が、店主のトウヤ様なのだろう。
「トウヤ、この子がこの前に話したロゼリアよ。夜会で、コルセットのせいで倒れたの」
「……なるほど。顔色と唇の色、それに肩で息をする癖。……典型的な締め付けすぎによる酸欠ですね」
顔を上げるより先に、トウヤ様はすでにわたくしの姿勢や顔色を見て、何かを見抜いていた様子だった。
「は、初めまして。ロゼリアと申します。フェリア様から、こちらのお噂を伺って参りました」
「いらっしゃいませ。……フェリアさんから話は伺っています。奥へどうぞ」
(フェリア様のことを、随分と気安く呼ばれるのね……)
フィッティングルームへ案内される途中、フェリア様がぼそりと呟いた。
「……別に、わたくしのことは気にしなくていいから」
「え?」
「な、なんでもないわ! 早く行きなさい!」
急かされるまま、わたくしはフィッティングルームへと足を踏み入れる。
「ドレスの背中を緩めていただけますか。……腰回りから確認します」
「は、はい……」
震える指で、背中の編み上げ紐に手をかける。ぎしぎしと骨まで締め上げていたはずの拘束が、緩められるたびにわずかずつ楽になっていく感触に、思わず安堵の吐息が漏れた。
トウヤ様の指先が、腰回りから脇腹、そして肋骨の下部へと丁寧に触れていく。
値踏みするような視線には、下心のようなものは一切感じられない。むしろその手つきの正確さに、わたくしは次第に緊張を忘れていった。緩めきったコルセットの隙間から、これまで誰にも見せたことのない部分の素肌が覗いていることにも、いつしか意識が向かなくなっていた。
「……なるほど。肋骨の下部、特に横隔膜の可動域が、通常より40%近く制限されていますね」
「よん、じゅっぱーせんと……。 そんなに、ですか……」
「コルセットの骨組みが、腰だけでなく肋骨下部まで締め上げている。踊るという行為は、有酸素運動としては相応に激しい部類に入ります。にもかかわらず、深く呼吸するための可動域そのものを奪われていれば、当然、酸欠を起こします」
「……でも、細い腰こそ淑女の証だと、母や侍女たちには、ずっとそう教えられて参りました」
「教えられてきた価値観と、あなたの肋骨が壊れかけているという事実は、まったく別の話です。……それに、今のままでは、次に同じ夜会に出ても、また同じように倒れるだけですよ。ユーグ様、とおっしゃいましたか。倒れた姿と、最後まで美しく踊り切った姿、どちらを見せたいですか」
(その質問……。フェリア様と、同じことを仰るのね……)
母や侍女たちに叩き込まれてきた「細ければ細いほど美しい」という価値観と、目の前の職人が突きつける身体の悲鳴との間で、わたくしはしばし言葉に詰まった。
「……最後まで、踊り切る姿です」
「でしたら、答えは決まっていますね。もう少し、採寸を続けます。……深く息を吸って、そのまま止めてください」
何度も呼吸を確認され、メジャーを何度も当て直される。肋骨の稜線に沿ってゆっくりと這う指先の感触に、時折、思わず肩が跳ねそうになる。時間にすればそう長くはなかったはずなのに、なぜだか随分と長く感じられた。
すると採寸がなかなか終わらないことに苛立ったのか、カーテンの外からコツコツと落ち着かない足音が響き始めた。
かと思うと、勢いよくカーテンが引き開けられる。
「ちょっと、いつまで採寸してるのよ。長くない!?」
仁王立ちで立っていたのは、腕を組んだフェリア様だった。
「あなたには関係ない話ですが。ご心配なさらずとも、ロゼリアさんのフィッティングは順調ですよ」
顔も上げずに切り返すトウヤ様。
「なっ……!」
フェリア様は、明らかに動揺した様子で言葉に詰まる。
(……あら?)
「べ、別に、心配してるとかそういうんじゃ……! ただ、外で待たされる時間が長いと思っただけで……!」
「精密な採寸には時間がかかります。……お待ちいただけるなら、そのまま外で」
「うぐ……」
言い返す言葉を失ったフェリア様は、顔を真っ赤にしたまま、逃げるようにカーテンの外へ戻っていく。
(……フェリア様、もしかして……)
数日前、控えの間で見た彼女の頬の赤らみを、わたくしは思い出していた。
(いえ、今は目の前のことに集中しなければ)
〇
「見た目は、通常のコルセットドレスと変わりません。ただし、圧力を受け止めるのは腰と骨盤の側面だけです。肋骨と横隔膜には、一切干渉しません」
程なくして差し出されたのは、見た目こそ通常のコルセットドレスと変わらぬレース仕立てながら、内側には氷結蚕の糸で編まれた伸縮性のある芯材が、肋骨を避けるように格子状に走る一着だった。
「……着けてみても?」
「どうぞ」
促されるまま袖を通し、背中の紐を締めていく。締め付けの感触自体はこれまでと大差ないように思えたが、いざ深く息を吸ってみると。
「……あら?」
「どうです」
「苦しく、ないのです。それに……鏡を見ても、腰の細さは、いつもと変わらないように見えますわ」
「見た目のシルエットは変えていません。締め付ける場所を変えただけです」
試しに、その場で軽くターンをしてみる。息が上がるはずの動きのはずなのに、呼吸はまったく乱れない。
「嘘……。こんなに動いても、全然、苦しくありませんの……!」
「それが、あなたの本来の呼吸です」
(……フェリア様と、同じ言葉だわ)
「フェリア様も、こうして、貴方に……」
「彼女の場合は、また少し違う設計でしたが。原理は同じです」
カーテンの外から、小さな咳払いが聞こえた気がした。
○
数日後。
あの夜と同じ大広間、同じシャンデリアの灯りの下に立ちながら、わたくしの心境はまるで違っていた。
「ロゼリア嬢、今宵はまた一段と、その……お美しい」
ユーグ様に声をかけられた瞬間、以前なら緊張で息を詰めてしまったはずなのに、今は不思議なほど落ち着いている。
「まあ、ユーグ様ったら」
(この前は、あんな醜態を晒してしまったというのに……。今夜こそ)
「もしよろしければ、一曲」
「喜んで」
差し出された手を取り、フロアの中央へと進み出る。楽団の音色が響き始めた。
(苦しくない……。それどころか、身体が、いくらでも動いてくれる……!)
一曲目、二曲目と踊りを重ねても、肺の奥まで驚くほど自然に空気が満ちていく。
三曲目、四曲目に差し掛かっても、呼吸はまったく乱れない。ターンを重ねるたび、ドレスの裾がふわりと軽やかに舞う感覚が心地よく、いつしかわたくしは、倒れることへの恐れなど忘れて、ただ純粋に踊ることそのものを楽しんでいた。
「……素晴らしい。まるで、羽根のように軽やかですね」
「ふふ、ありがとうございます」
(今度は、決して倒れたりしないわ……! 最後まで、ちゃんと)
こうして私は夢のようなひと時を過ごすことができたのだった。
○
数日後、わたくしは夜会での成果を伝えに、トウヤ様の店を訪れた。
カウンターの隅には、お茶を飲むフェリア様の姿があった。
「トウヤ様、この間は本当にありがとうございました。おかげさまで、夜会では最後まで倒れることなく、ユーグ様と何曲も踊ることができましたの」
わたくしは深々と頭を下げ、あの夜のことを報告する。
「それは何よりです」
トウヤ様は先日と同じように、表情を変えることなく淡々と受け止めるだけだったが、それがかえって心地よかった。
ふと視線を移すと、フェリア様が素知らぬ顔でお茶をすすっている。
「フェリア様も、こんにちは。またこちらに?」
「あ、あら奇遇ね! たまたま近くに寄ったから、ついでにね!」
(……この慌てぶり、やっぱりフェリア様は……)
数日前のあの慌てぶりを思い出すと、確信めいたものが胸の内に広がった。わたくしはそれを茶化す気にはなれず、ただ静かに、彼女の力になりたいという気持ちだけを、小さな声に乗せることにした。
「もし、わたくしでお力になれることがありましたら、言ってくださいね」
「……は? な、なんの話かしら、藪から棒に」
「いいえ、なんでもございませんわ。ふふ」
トウヤ様は、この間、一度もこちらへ視線を向けることなく、黙々と裁断作業を続けている。まるで最初から、そんな話題など存在しないかのように。
(……恋というものは、人をこんなにも変えるのですね。きっと、美しさというのは、身体のシルエットだけで決まるものではないのでしょう。……あの時、コルセットの締め付けを変えただけで、わたくしの世界が変わったように。一番大切なのは、その内側にある気持ちの方なのかもしれませんわね)
コメント
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あおいです〜。第8話、とても素敵でした……! コルセットに縛られたロゼリアが、大広間で倒れてしまうシーン、本当に苦しそうで胸が締め付けられました。そこからフェリア様が優しく手を差し伸べて、トウヤさんに出会う流れ、すごく自然で引き込まれました。 「見せたいのは細い腰? それとも最後まで踊り切る姿?」という問いかけが特に刺さりますね。最後の夜会で軽やかに踊る姿、本当に清々しかったです。フェリア様のツンデレっぷりも可愛くて、思わずにっこりしちゃいました🌷