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コンクリートの畦道が陽の光にじりじりと焼かれ湯気が立っている。まるで音響監督に指示されるように、夏である事を主張するように蝉が鳴いている。僕は軒下から、見渡す限り田畑に山という心洗われる退屈な景色を呆然と眺めていた。漠然と生きていて、平凡にたまの贅沢にコンビニで300円のアイスを頬張って録画していたドラマを見て笑って俳優の芝居にいちゃもんつけたりしながら普通に生きて死ぬのだろうと思っていた。空を眺めて哲学に浸る13歳。ありがちだな。ぼけーっと乾いた喉をグラスに注いでいた麦茶で潤す。日差しで僕の頭はダメになっていたのだろうか、現にボケーっとしていた。ダメになった頭に一度水分を含有した瞬間思い出す。
「約束していたんだった」
友達との約束を。
コンクリートでできた畦道を自転車で軽快に走り抜ける。心境は軽快とは程遠い。むしろこの状況、友達との約束をすっぽかして物思いに耽る詩人になって、軽快な気分になってはいわゆる最低な人間になってしまう。こうなっては詩の一つでも思いついて欲しかった。友達への釈明をする為に。都会についてあまり詳しくはないのだが、僕は田舎の方がなんとなく生にあっていると思う。数少ない都会へ足を運んだ時、あまりの人の多さに僕は心臓を剥がされた感覚を覚える。呼吸が、呼吸とは言い難い何かになっていた。しかしそれは最初のうちで、経験を重ねるにつれあまりそうでもなくなってきた。人間の適応能力恐るべし、同時に慣れることが虚に移ろっているのではないかなんて幼いながらに考えていた。その点田舎は、自分が育った所という点もあるが自分のいるべき場所、自分が何であるかを自ずと理解できる気がする。しかしこう思うことさえ一時の迷い、まよいかもしれない。
閑話休題
数少ない僕の友達の上代(かみしろ)奈良くんと川で釣りでもしようということになった。上代くんは僕とは正反対の明るくて活発な人間だった。どうしてそのような人と友達になったのか。簡単な話である。彼は最初一人で本を読んでいた僕に哀れみで声をかけたのだろう、上代くんも本が好きで哀れみから興が乗って頻繁に話しかけてくるようになった。僕も趣味が同じ人間と話をしていて気分は悪いものではなかった。では何故釣りに行こうとなったのか。
特に理由はない。そんなこんなで僕は家から数キロの川に到着した。幅はかなり大きい、だいたい30メートル位だ。陸に近い所は浅いが、中央付近がどうなっているかは想像がつかない。自転車を川の近くに止め、案の定上代くんは来ていた、しかし被っている帽子のつばと彼が俯いていることも相まって表情が窺えない。だがこの場合僕がすべき事は、人の顔色を窺うのではなく、精神誠意謝罪をする事だろう。
「上代くん」
慣れない大声で物理的にも精神的にも遠いその距離を縄を手繰り寄せるように呼びかける。しかし、僕と上代くんの距離がどれくらいなのか僕には分からない。呼びかけると上代くんは竹と釣り糸で作られた簡易的な竿を手繰り寄せながら
「約束をやぶられたのかと思ったよ」
「ごめん、遅れた」
「来てくれたからそれは許す」
僕が上代くんと仲良くしているのは、気が合うからだけじゃないのかもしれない。僕は大急ぎで駆け寄る。水色バケツの中には既に小さな魚たちが、数匹泳いでいた。それに、釣り用にしてはかなり太い縄があった。大物でも釣る気なのか。僕は自分の背負ったバッグから、家で冷やしてあったラムネを取り出し、上代くんに渡す。僕もそこまで薄情な人間ではない。お詫びの品は脊髄反射並に思いついた。脊髄の先にある脳みそが文字通りミソな部分がボケていたのでいいのか悪いのか。よくはないだろう。上代くんは言った。
「君はやっぱり、賢いというか気が利くというか」
「人として当たり前の事だと思う」
「それを土産物も買えない事情を抱えた子にも同じことが言えるかい」
そう言われて僕は少し唸った。少ししてこう答える。
「言えない」
「少し意地悪な質問をした、ごめん」
「別に」
人付き合いに慣れていない僕からすれば、本当に意地の悪い質問だけれど、上代くんに言われたから、そこまで不快でもなかった。
「ありがとう」
そう言って上代くんはラムネの蓋をポンっと押すと、溢れまいと口で飲み口を咥えた。そして少しにやけて言った。
「実はさ、ここに来た本当の目的は釣りじゃないんだ。この川の噂を確かめたくてね」
「上代くん、あれ信じてるのか」
僕もその噂は聞いた事があった。信じていなかったのでてっきりこの川で釣りをするだけだと思っていた。しかし上代くんも僕も釣りなんか別に好きでもなかったのだから考えてみればおかしい事だった。噂というのは、この川の真ん中には、どこぞのお金持ちが免税の為にそこに金庫と一緒に沈めた何かが眠っているとかいないとか。しかしその噂は曖昧模糊なもので眠っているものは定かではなく、ある人は、徳川埋蔵金だとか、ある人はコールドスリープさせた卑弥呼だとか、はたまたフェルマーの余白とか、最後は僕の妄想だ。上代くんは言った。
「確かめたくてね」
「どうやって」
「そんなの決まってるじゃないか」
「どうやるの」
「入る」
「え」
「川の中に入るんだよ」
川の真ん中はどうなっているのか僕には分からなかった。
「危険じゃないか」
「安心しなよ潜るのは僕だから」
「安心できないでしょ」
「体を縄で巻きつけながら泳ぐんだ」
あの太い縄か。
「千鶴くんには僕が持ってきた懐中電灯で水中を照らして欲しいんだ」
そう言って懐中電灯を鞄から二つ取り出し一つを僕に手渡した。
「無理そうだったら僕が常備する懐中電灯を浮かすから、そこの鉄柱に縄を縛り付けるから手繰り寄せて欲しいんだ」
「無理だよ」
僕は即答する。上代くんは少し顔を下げる。そしてこう言った。
「わかった、協力はしなくていいから、僕が何をしたか誰かに伝えてね、自分で言うのは恥ずかしいから」
僕は呆然としていた。体に縄を巻きつけるのに手こずる上代くんを見て。少し考え、僕は言った。
「ただの噂だろ、どうしてそんなにこだわるの」
上代くんは、後ろめたそうな顔をして、懐中電灯をカチカチさせながらおそらく点検をしながら言った。
「噂を流したの僕なんだ」
「え」
上代くんは衣服を脱ぎ、視線を川に向ける。
噂を流した張本人だからなんだと言うのだ。僕は川に歩みよる上代くんを見て自身の心臓の拍動を確かに感じた。気づけばこういっていた。
「分かった、僕も協力するよ、けど無理は絶対にしないでね」
「本当かい、わかった。無理はしない、よろしく頼むよ」
僕は懐中電灯をカチカチさせた。心臓の拍動を紛らわせたい一心で。
僕が心に決めた頃には、既に上代くんの姿は見えない。川に繋がる縄を一心に見つめた。僕は川を照らした。想定外に川は深いらしい。川の流れは緩やかだ。僕は緊迫した空気に慣れてきてしまったのか、心臓の音が聞こえなくなっていた。瞬間、縄が急激に引っ張られる。僕は何が起きているのか、唐突すぎて理解が追いつかなかった。
「何が」
声になっているのだろうか。そして思い出す。懐中電灯の危険信号の事を。
しかし水面にそれはない。そして考える。人はどのくらいの間水中で息が持つのか。中学生が。縄を引っ張ろうにも向こうの力が強すぎてビクともしない。あれからどのくらい経過している。考えるより行動。僕の脳裏にそうよぎった。考えているではないか。僕は衣服を脱ぎ捨て、水中に頭から突っ込んだ。泳ぎの苦手な僕が助けに行くのが得策なのか。当たり前だ、他に誰がいる。縄を辿っていく。そこがよく見えない。足をバタつかせておぼつかない視界を集中して見つめる。筋肉が痛くなってきた。水泳の授業の偉大さを知る。
いた。上代くんだ。しかし、微々たる動きを起こしている。懐中電灯を、持っていない。まさか、僕が潜っている間に。僕は向かった、上代くんの元へ。しかしこれは失敗だ。そこに向かっても意味がない、理屈では。そして気づく。僕の口から泡が噴き出て、肺の中にある酸素が、希薄なものになっていく事を。僕は言った。
「しまった」
水中の中でよく聞こえた上代くんの声。
「ごめん、か」
意識がフェードアウトする。最悪だ。僕はこの状況で、死にたくない、そう願う。
死にたくない。僕は目を覚ました。辺りで蝉が鳴いている。片手に何かを握っている。指輪だ。なんでこんなもの。上代くんは、見当たらない。僕は必死に叫んだ。
「上代くん」
何度も何度も。
どうして僕だけ、僕が。
蝉はまだ鳴いている。