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結婚式は帝国式と言われたが、誓いの言葉さえ、禁じられ、妻となるシルヴィエのヴェールに触れることさえ、許されなかった。


「今まで、帝国側の要求をのんできましたが、向こうに結婚を祝う気持ちはまったくありませんでしたね。シルヴィエ皇女が、お気の毒でした」

「そうだな。だが、この結婚に裏があると思えば、それも納得できる話だ」


結婚式だけでなく、お茶会の時もそうだ。

毎回、彼女は会うたび、なにか言いたそうにしていたような気がする。


「むしろ、裏しかありませんよ」


カミルも気づいているらしく、俺の護衛を通常より増やしていた。

剣術も優れているが、観察眼もなかなかのものだ。


「参列者にラドヴァン皇子がいましたが、にこりともしてませんでした。あの顔でお祝いしてるっていうんなら、感情のない人間だとしか思えません」

「ラドヴァンか」


黒髪に青い目をした男で、月夜の泉のような美しさを持つと、誰かが評していた気がする。

同じ年齢だが、帝国から敵国として扱われている我が国とは、あまり交流はない。

この結婚が、ただの友好の証として、決まったわけでではない。

なにかあると思っていたが、それがなんなのかわからなかった。

ただ――


「噂とは違って病弱ではない。そして、皇宮に閉じ込められていた理由は? 手袋とヴェール、肌の露出が少ないドレスに違和感がある」


温暖な気候であるドルトルージェ王国では、皮膚をすべて隠すようなドレスは必要はない。

帝国の皇宮で、閉じ込められていた理由と関係しているような気がした。


「そうですね。今まで、風の神の力を悪用し、レグヴラーナ帝国の皇宮を覗いていただけあります」

「声が聞こえないから、少々不便だったな」

「うわ……。ある意味、帝国の監視より、アレシュ様の監視のほうが恐ろしいですね」


カミルの目がちょっとだけ俺に冷たい。

だが、俺の心にやましいことは一切ないと思う……ない!


「俺を変態みたいに言うなよ。ちょっとヴァルトルの目を借りて、上空から覗いただけからな? 敵地の偵察だ」

「へー。今日は庭にいたとか、うつむいてばかりだったとか、けっこう詳細だった気がしますけど」

「それくらい許せよ! それに、俺は報告している(全部ではないが)。ドルトルージェ王国のためにな」


だから、シルヴィエの境遇について、両親や弟も知っている。

だが、なぜシルヴィエは虐げられているのか。

その理由まではわからなかった。


「ヴァルトルの目だと、上空から目にするものしか、わからないのが難点だな」

「あまり低く飛ぶと、害鳥扱いされそうですしね」

「そこだよ」


あまり低く飛んでいると、農夫や子供が、棒を持って追いかけてくる。

ドルトルージェ王国内では、生き物は神の化身であるという考えがあり、その扱いも丁寧だが、他国は違う。


――獣なのだ。


「価値観の相違によって敵になる」

「わかってますよ。我々ドルトルージェ王国とレグヴラーナ帝国は水と油。古い神々を捨てた国に、理解を求めることは難しいですからね」


俺とカミルは話しながら、パーティー会場へ入った。

各国の王族たちが集まり、ドルトルージェ王国の貴族たちが揃う。

ここでもやはり、シルヴィエはヴェールと手袋、周囲に侍女と護衛をつけて、誰も近寄れない。

ちらりとラドヴァンを横目で見るが、笑みを作り、各国の王族と会話を楽しみ、知らん顔をしている。

到着してから、一度もシルヴィエと会っていない。

兄妹だというのに、挨拶もなしとは、どういうことなのだろうか。


「顔を見ただけじゃわからないな」

「たくらみがあっても、簡単に顔には出さないでしょう。帝国のラドヴァン皇子は、次期皇帝と言われていますからね。一筋縄ではいきませんよ」


俺にシルヴィエを触れられては困る理由――それは病か暗殺。

だが、俺を暗殺するふうには見えない。

見るものすべてに感動する姿は無邪気で、結婚式の時は真剣に話を聞いていた。


――嫁いできて、早く馴染もうとしている妻にしか見えない。


それに、あの細い体だ。

俺に敵うわけがない。

ただ、暗殺する方法があるとするなら、ひとつだけある。


――毒殺だ。


だが、それにしても距離を置く意味がわからない。

毒を盛るなら、近くにいて機会を狙うほうが確実だ。

そばにいるどころか、俺に触れられないようにしている。

うーんと唸っていると、弟のシュテファンが駆け寄ってきた。

シュテファンは今年十歳。

金髪に緑の瞳をし、父と俺に似ている。


「兄上。お呼びですか?」

「ああ。シュテファン。これから、俺はシルヴィエを帝国側から、連れ出すつもりだ。なにかあったら、お前の力を借りる」

「はい。なるべく、そばにいます」


シュテファンは聡明だ。

大騒ぎすることなく、微笑むと、招待客の中に紛れた。

子供ということもあって、シュテファンがうろうろしていても、相手に警戒されにくい。


「カミルは帝国の兵士たちの動きを封じてくれ」

「お任せを。すでに騎士団の精鋭を配置済みです」


侍女たちに囲まれたシルヴィエが、広間に現れる。

結婚式も終わり、妻になったのに話も満足にできない。


――だから、決めた。


結婚式が終わったら、帝国側から、こちら側に連れ去ろうと。

広間を見渡せる席に座る。

隣がシルヴィエの席になる。

この距離なら、侍女たちに囲まれていても、うまく連れ出せるはず。

そのタイミングでと思っていると――


「隠し芸? それとも手品? でも、鳩を仕込んでくるのを忘れてしまいましたわ」


彼女はなぜかパーティーを盛り上げようとしている。

敵国同士の険悪な空気をどうにかしようとしてのことだろう。


「では、鷹なら?」


近い距離、彼女は振り返り、俺を見る。

それだけなのに嬉しく思う。


「ヴァルトル、行け」


白い花を手渡した日を彼女は覚えているだろうか。


「花をどうぞ」

「ありがとうございます」


花ひとつで、彼女は微笑む。

大切に花を両手で包み込む仕草が、可愛らしく、その様子を眺めた。


「私からアレシュ様に、花のお礼をいたします」

「俺に?」


そう言って、彼女は澄んだ声で歌う。

その歌声に魅せられたのは、俺だけではなく、帝国の悪口を言っていた者たちも全員、虜にしてしまった。


「シルヴィエ。手を」


手袋をはめた手が、遠慮がちにおずおずと差し出され、ようやく触れた。

帝国側の侍女たちが大騒ぎしていたが、結婚したのだ。

手を触れただけで、なぜ怒るのか、俺にはわからなかった。


「夫婦の語らいだ。まさか邪魔しないだろうな?」


邪魔が入らないよう、バルコニーへ向かう。

カミルの段取りどおり、兵士たちが見張りに立ち、他の者が近づけないようする。

ようやく二人きりになれた。

ホッとしたのは、俺だけではないようで、彼女もまた同じだった。

そして、うっとりとした目で、俺ではなく――ヴァルトルを見ていた。


「美しい鷹ですね」

「鷹は好きか?」

「ええ。私が暮らしていた皇宮の庭へ鳥がよく遊びにきていました」


ヴァルトルが褒められるのは、悪い気がしない。

でも、この後、ちょっと遠くに飛ばそうと決めた。

大切な相棒だが、ようやく二人きりになれたのに、意外な伏兵が潜んでいたとは……そう思った時、うっすらとシルヴィエのそばに銀色の蛇が見えた気がした。


――これは、普通の蛇ではない。だが、なぜ、蛇がレグヴラーナ帝国の皇女の元にいる?


ヴァルトルも俺と同じ方向を見ていた。

しかし、すぐにその蛇は夜の闇に溶けて、見えなくなった。


「鳥か。この鷹は普通の鳥ではない。風の神の化身だ」


自分のそばにいる神について、なにか知っているかどうか、シルヴィエにそれとなく聞き出そうとした。


「風の神?」


どうやら、シルヴィエはなにも知らないようだ。

結婚式の時、ドルトルージェ王国の神々について説明したが、その時も初めて聞いたという顔をしていた。


「シルヴィエのそばには銀の蛇がいる」

「まぁ! 私のそばに蛇ですか? ミミズは見たことがあるんですけど、蛇はまだ見たことがないのです。どちらにいますか?」


周囲を見回す仕草が、可愛らしい少女のもので、笑ってしまった。


「こっちに」


素直にこちらに顔を向け、その表情をもっとしっかり見たくて、ヴェールを外した。


「やっと顔を見れた」


銀糸のような髪、サファイアに似た瞳、陶器のような肌――まるで宝石だ。


「アレシュ様……あの……」


頬に触れ、目を閉じる。

戸惑う気持ちが伝わってきたが、緊張は一瞬だけ。

唇を重ねた。

閉じた目蓋をわずかに開けると、目の端に銀色の蛇が映った。

その蛇の姿は、うっすらとしか見えない霧ほどの存在だったが、確かにいた。


――銀の蛇。間違いない。彼女のそばに蛇がいる。


気づくのが遅かった。

痺れと呼吸の乱れが体を襲う。

なぜ、シルヴィエが皇宮の片隅に追いやられ、閉じ込められてしまったのか、その理由が、ようやくわかったのだった。

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