コロ、コロ。
忙しなく動く円形の塊と口の中にふんわりと広がる果実の味。
舐めれば消えるし、噛んで粉々にしても消える。
楽だ。
時間が経過するにつれ跡形もなく消え去る。
僕が今まで生きていた軌跡
皆に愛されたカタチ
猫も兄弟も両親もあの青く染る空も暗い海に落ちて行く夕陽も雨の前の土臭い匂いも
何もかも、
飴玉のように消えちゃえば良いのに。
ある日、珍しく真面目な顔をした弟に呼び出され、首を傾げながらも着いて行くと、そこは一松が良く行く路地裏であり頭上のクエスチョンマークは増えるばかりだった。
しかし十四松は声を出すことを許さないと言うような雰囲気を纏っており、聡い一松は決して口を挟むような野暮な事はしなかった。
十四松が一松に背を向けて顔を俯かせている状況が数分間続き、猫も只事ではない雰囲気を感じ取ってのろのろと身体をあげて細道へ消えて行った。
その猫を横目に十四松の項を眺める。
埒が明かないと口を開いて喉を弛めた途端
「一松」
もう何年も前から聞いていなかった声の低さと呼び方。
高校以来だ、とやけに明瞭りしない頭で考える。
脳内はぐるぐると廻ってこれから何が起きるのかを考えているが何一つとして解決しない。
それでも弟からの呼び掛けに口は勝手に開く。
「何」
それは何とも冷たく突き放すように聞こえたかもしれない。しかし目の前の愛おしい弟は振り返って笑顔になった。
「僕ね、一松が好きだよ。性的に好き。付き合いたいの。」
冷水を頭から浴びたような衝撃に息が詰まった。
分からない
そんな訳が無い
お前は誰にも好かれないゴミだ
十四松は気を遣っている
今すぐ否定しろ
お前の穢れた気持ちを悟られるな
十四松は綺麗だ
透き通っている
お前は淀んで穢い
今すぐ踵を返して帰れ
十四松と距離を置け
十四松を穢すな
お前に十四松に愛される資格はない
十四松を遠ざけろ
脳内は更にぐるぐると廻り、何もかもが分からなくなる。
どうして、
こんな僕を好きだと云うの。
僕の気持ちはずっと前に秘めた。
ココロの中のドロップは日に日に積もる穢い欲望のせいでドロドロに溶けている。
でも溶けたドロップが蒸発せずにココロにこびり付いているのは、
まだ諦めたくない、十四松を好きだと想いたいと思っているから。
でもこのドロップだったものを十四松に見せるつもりは無かった。
こんな色んな色が混ざって黒になった甘くて苦い液体なんて、穢い。
だから、仕方なかった。
「なに、言ってんの?俺達兄弟だし男同士だし、気持ち悪い。俺、帰る、か、ら…」
兄弟がなんだ。
男同士がなんだ。
気持ち悪い?
そんな訳がないだろう。
俺がドロップならお前は、十四松は俺にとっての砂糖だ。
お前が居なければ俺は居ない。
俯いた儘吐き捨てて路地裏から逃げるように走る。
十四松の顔は見ず、己の瞳から流れる雫を拭うことも忘れて走った。
気付けば家のすぐ近くの公園。
小さい頃、泣き虫だった十四松をこの公園であやしていた。
2人でベンチに座ってすぐ近くの駄菓子屋で買ったドロップを舐めていた。
その頃は純粋で水のように透き通った恋だった。
恋だと認識すらしていなかった。
落ち着いて眠くなった十四松を膝の上に寝かせてサラサラの髪を撫でていた。
上下する胸を押さえてとぼとぼとベンチへ向かう。
その公園はとっくに賑やかさを消し、公園には一松しか居なかった。
一松はベンチにすわって足を抱える。
小さい頃は座るところに足を乗せちゃだめよ、とよく母に怒られていた。
しかし今はもうその行為を咎めるものは居ない。
足を抱えて額と膝をくっつければ落ち着いていた涙がぼろぼろ零れる。
「っぅ、うぁ…す、き…俺のほ、うが好き…じゅうし、ま、つ…すき、なのに…!」
嗚咽を漏らし、時々息を詰まらせて喚き散らす。
十四松は泣き虫だったけれど、自分が泣くことはほぼ無かった。
十四松が泣き喚けば泣き喚く程、俺が十四松を守ってやらなきゃと思っていた。
公園に声が木霊する。
脳内に十四松の色々な姿が思い浮かぶ。
俺の名前を呼ぶ声も
猫のような目で考え込む顔も
ご飯を口いっぱいに放り込んで膨らむ頬も
猫を撫でた時に見た角張った豆だらけの手も
靴に滑り込ませるつま先も
人並みに整えられた爪も
言葉を紡ぐ唇も
アクティブな癖に真っ白な手足も
「何もかもが好きなのに…」
いつの間にか涙は止まり、掠れた声が響く。
「ならなんで気持ち悪いなんて言ったの?」
頭上から降った声に驚いて顔を上げる。
きっと俺の顔は涙や鼻水でぐちゃぐちゃで目は腫れぼったくなっていたはず。
屈んで視線を合わせてくれた十四松の顔は愛おしいものを見るように目は細められ、いつもパカッと開いている口は閉じられ、弧を描いていた。
「じゅうし…ま、つっぅ…」
己が描いた幻想なのではないかと思いなんども袖で目許を拭う。
「乱暴に拭っちゃダメだよ。」
普段の口調はなりを潜めて、落ち着いたように宥める十四松を見てなんとも言えない感情が渦巻く。
「ごめん、ごめっん!嫌だ、嫌わ、ないで…こんな、こんな奴でごめ…っぅ…」
大人気なく大泣きする俺を抱き締めて、頭を撫でて背中を優しく叩いて、額にキスを落としてくれる。
嬉しい。
好き。
「嫌わないよ。僕は一松の全てが好き。一松は何をそんなに怖がってるの?」
そんなの、そんなのわかりきってるじゃないか。
俺の穢い欲望でお前を汚す事が、
お前に俺以外の大事な人が出来る事が、
十四松に見て貰えなくなる事が、
十四松と一緒に居られなくなる事が
何よりも怖いんだよ。
「十四松、が俺のせいで、汚くっなること!とか、十四松に大事な人が!でき、て俺からはな、れる事が怖い…」
呼吸すれば肺いっぱいに広がる十四松の香り。
ぽかぽかの太陽の匂い。
甘くて優しいドロップのような匂い。
「僕は一松以外に大事な人を作るつもりなんてないよ。それに、僕が一松のせいで穢れる?ありえない。僕は小さな頃から一松に邪な気持ち抱いてたよ。よく泣いて膝枕とかして貰ってた時あるでしょ?そのまま寝ておんぶで帰った時も。あれ、ずっと起きてたよ。一松の匂いを堪能してたの。とにかく、僕が生涯愛す人は一松だけだから、僕と付き合ってくれませんか?」
離れる身体と反対にどんどん熱くなる身体。
十四松は地面の上に片膝をついてプロポーズのように一松の手にキスを落とした。
ぶわっと逆立つ毛や更に潤む目を気にせず、一松は小さく頷いた後、十四松に抱き着いた。
十四松の真剣そうな顔も緩められ、へにゃりと幸せそうに笑って一松を抱きしめた。
しかし十四松は直ぐに一松を引き離し、少し寂しそうにした顔に沢山キスを落とした。
「一松がドロップなら僕は缶だね」
突然言われた言葉にハテナを浮かべた一松は首を傾げた。
「僕が缶で、一松がドロップ!僕が一松を捕まえて溶けないようにしてあげる」
太陽のような笑顔で一松の手をとる。
一松も漸く理解したのかぽぽぽと更に頬を赤く染めた。
「ふ、ふ…ちゃんと溶けないようにしてよね。十四松」
いつもの変な笑い方ではなくちゃんと笑った一松の表情に、心を更に鷲掴みにされ十四松は一松を抱き抱えた。
「もちろん!愛してる!一松!」
くるくると回り、地面へ降ろして一松の肩に両手を添える。
「あ、ドロップあるよ!食べよ!」
そう言ってポッケから出したドロップを十四松が見せびらかし、一松に見えないようにパクリと口に入れた。
「…ん、ちょうだい」
幼子のように両手を取り出してドロップを待つ一松にもう無いと告げる。
「だからね…一緒にたべるの!」
十四松は勢いよく一松の口に齧り付き、丁寧な舌の動きで一松の口にドロップを入れた。
「…な、ななななな…」
頭から湯気が出る程顔を赤くした一松の顔はとても愛らしく、瞳は透き通ったドロップのようにキラキラと光を反射していた。
心のドロップは醜さを忘れて黄色と紫が混じりあったビー玉のように輝いた。
コメント
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なんて詩人な!素敵でございます!