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⚠︎放オリ軸
色々とファンタジーです。
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唇が重なり合う。互いの体温が伝わる。
口が塞がっているのだから当たり前だけど、いつもはあんなに騒がしいお前が大人しくしているのが何だか落ち着かなくて。ひと呼吸分にも満たない触れ合いのあと、すぐに目を開けてしまった。
──するとそこにいたのは、一匹のちいさな雨蛙だったのでした。
§ § §
「テツが蛙に見えるぅ?」
紙パックのジュースから口を離したウェンが、よく通る主人公ボイスを教室中に響き渡らせた。
「ちょっ、お前声でけえって……!」
「誰かに聞かれたらどうすんねん! 俺らいじめっ子やと思われんぞ!?」
俺とマナは大慌てでウェンの口を塞ぎ、周りの反応を確認する。昼休みということもあって周りはそれぞれのコミュニティの話題に夢中で、幸いこちらを気にしている人は見当たらない。
ウェンは口の前でバツの形に重ねられた手を振り払うと、「だってさぁ、」と文句ありげに頬を膨らませた。
「リトの目の前にいるじゃん。テツ」
「……いや、そのはず、なんだけど……」
ビシッと指をさすウェンに、俺はふらりと目を泳がせる。ウェンの指の先をたぐるようにして斜め前の椅子の方を見るが、俺の目はすぐ目の前にいるであろうテツの姿を捉えることができない。
きょろきょろと辺りを見回してみるが一向にテツの姿は見当たらず、椅子の座面を覗き込んでみてようやく、そこに佇む一匹の小さな蛙を見つけることができた。目が合った途端その蛙はこちらをじとりと睨み、大きな口を開けてため息を吐く。
「……彼、昨日っからずっとこんな感じでさ。一応言葉はちゃんと通じるし、ほんと、見た目以外はいつも通りみたいなんだけど」
「ご、ごめん。俺にも原因分かんないし、多分テツにすっげえ失礼だよな、今。マジでごめん」
「んー……実際やばいね、絵面。めちゃくちゃ攻めたセクハラじゃねーか」
「ウェン、ウェン。本人らも気にしとるみたいやしもうちょい気使うたげてくれん?」
こんな時でも絶好調なウェンのストレート発言に、マナが急いで助け舟を出す。
「俺今どうなってる?」と聞いてみれば、「テツの股間覗き込んでる」と言われたので慌てて顔を背けた。慌てすぎたせいで机に頭を打ちつけ、その場でもんどりうつ。
「ごめん、絵面が完璧にギャグやわ」
「くそ、わかってんだよぉ……でも今俺には蛙がテツの声で喋ってるようにしか見えねえんだよぉ……」
「えー? 蛙ってどの蛙? 雨蛙? 牛蛙? がまがえる?」
「それ重要か……? ……多分、雨蛙、だと思う。親指の先くらいのちっちゃいやつ」
「じゃあそのリトルカエルボーイなテツ、触ったらどうなんの?」
「おいここ教室やぞ」
「結果が見えていることをやらせようとするんじゃない」とマナがドスを効かせた声で威嚇する。しかしウェンは負けじと睨みを効かせ、ストローを齧りつつ反論した。
「だってさぁ、座標どうなってんの? 今は椅子に座ってるからその位置に見えるんだろうけど、普段はどう見えてんのか気になるじゃん。……実際どうなのリト? テツガエルって常に浮いてたりする?」
「うーん……浮い……てはいない。歩いてるときは──ていうか基本は足元跳ねてんだよな。多分重心を置いてるとこに連動してるんだと思うけど」
試しに、とテツが椅子を立ったらしく、蛙は椅子からぴょんと飛び降りて床の上へと着地する。そのまましばらく俺と見つめ合った蛙──もといテツは、先端の丸い指同士を擦り合わせるような仕草をしてからウェンの方を見上げた。
「……いや、この情報必要だった?」
「いるいる、いるに決まってんでしょーが。だってさぁ、こういう話には大体筋書きってもんがあるでしょ? ほら──魔法にかけられた蛙を人に戻す方法ならさぁ!」
意気揚々と語るウェンに、俺は苦い気分になる。それも当たり前、俺たちはその『筋書き』とやらのせいで散々頭を悩ませられているのだから。
──『かえるの王子様』。
きっと誰もが一度は読むか聞いたことがあるであろう、世界に広く伝わる童話。あらすじは今更読み上げるまでもないが、今一度確認してもらうべきだろう──お話はこうだ。
ある日森の泉にお気に入りの鞠を落としてしまったお姫様が、突然やってきた蛙の出した「お友達になって、同じ食事をとり、同じベッドで寝かせてもらえるなら」という条件つきで鞠を取ってもらう。しかし蛙と友達になどなりたくなかったお姫様はこれを無視し、ひとりで城へ帰ってしまった。
翌日城に現れた蛙はお姫様が約束を破ったことを王様にチクり、それに怒った王様は約束を守るようお姫様に厳しく言いつける。嫌々ながらも蛙の隣で食事をとったお姫様だったが、「同じベッドで寝かせて欲しい」という頼みがどうしても聞き入れられず、泣きながら蛙を壁に叩きつけようとした。
すると、あら不思議。醜い蛙はみるみるうちに麗しい王子へと姿を変え、実は遠い祖国で魔法にかけられていたのだと告白する。
そしてお姫様と王子様は仲良くなり、やがて結婚した2人はいつまでも仲良く暮らしましたとさ──めでたしめでたし。
……こうして書き出してみると何とも胡乱な話だが、これでも『ミュージカル同好会』の次の上演作品に抜擢されているのだ。
『ミュージカル同好会』とは俺とテツが掛け持ちしている部活で、今現在は人数が足りていないため同好会の扱いとなっている。それでも部長の東堂先輩と副部長の周央先輩、そして俺とテツの歌と演技は一部の生徒の間で噂になり、ありがたいことに公演は毎回満席御礼の賑わいを見せているのだ。
──そんなに観に来てくれるなら誰か新しく入ってくれても良いんだけど、と思わなくはないけど。
先の『かえるの王子様』はミュージカル同好会で扱うことになったため、俺とテツは幼い頃から慣れ親しんだこの作品と、改めて真摯向き合うことになった。そしてそれは同時に俺たちの頭痛の原因でもあり。
「……多分さ、それが原因なんだよ。『かえるの王子様』」
「え? どういうこと?」
「あー……だめだ、俺らだと多分声デカすぎる。悪いけどマナ頼める?」
「ん、しゃーないなぁ……──昨日の放課後な、遅くまでリトとテツの2人で個人練してたらしいねん」
バトンを渡されたマナは4人の体をぐっと引き寄せると、内緒話でもするように声を潜めて語り出した。
「今回はちょっとシナリオにアレンジ加えて、ラストのシーンでお姫様が蛙を壁に叩きつけようとするんやなくて、勇気出してキスしようとする……みたいな感じになる予定なんやって。で、テツは振りでもキスするんがどうしてもできひんくて、個人練中はリトに代役頼んだらしいねん」
「あー、今回はテツが王子様役で、周央先輩がお姫様の役なんだっけ」
「珍しいよな。大体いつもはリトと周央先輩が主人公ふたりやのに」
「まぁ……諸般の事情でね。僕だって、王子様の役なら僕よりリトくんが相応しいと思ってるよ」
「んなことねえって。今回に限らずお前の王子様役めちゃめちゃカッコいいんだからな」
「あ、ありがとう……」
テツは口元を抑えて照れたような仕草をするが、いかんせん姿が蛙なのでいまいちしっくり来ない。
今こいつどんな可愛い顔してんだろうな。見たかったな、テツの照れてる顔。
「んで……リトとテツはほら、付き合ってるやん。だから、それならキスシーンでも緊張せんかもってことだったらしいんやけど……」
「……それでキスしたら、テツが蛙に見えるようになっちゃったってこと?」
「そう。別にキス自体は始めてってわけでもねーんだけど」
「あっそういうの言ってええのん?」
「いや、けっこう行くとこまで行ってるからね僕ら。健全な男子高校生舐めんなよ」
「別に舐めとらんわ」
マナが鋭い手刀で突っ込み、おしくらまんじゅうのようにひしめきあっていた俺たちはそれぞれ元いた位置へと戻る。状況説明が終わったところで事態が何か好転するわけでもなく、それきり誰も何も言わなくなってしまった。
昼食の弁当などとっくに食べ終えていた俺はデザート用の菓子パンをかじる。隣のテツはというと、紙パックによじ登って紫の野菜ジュースを飲んでいた。……これはこれで可愛いな、と思わなくはないけれど。
「──なんか俺、考えたんやけど」
「うん」
「リトのそれってさ、蛙化現象……ってやつとは関係ないん?」
「……ごめん、知らねえかも」
1分にも満たない沈黙を破ったマナは手早くスマホを操作して、開いたサイトを俺に見せた。
画面には、
《蛙化現象とは? 〜みんなが知りたい恋愛のこと〜》
好きな相手と両思いになると、途端に気持ちが冷めてしまうこと。みんなもあるよね? それは相手の好意に嫌悪感を抱いてしまって、好きでい続けられなくなるからなんだ。王子様みたいにキラキラ輝いて大好きだった相手に突然拒否反応が出てしまうことから、童話の『かえるの王子様』になぞらえて『蛙化現象』と呼ばれるようになったんだって。
──と書いてある。
俺はしばらく集中してそのページを黙読した。理解できなくて何度も何度も読み返すうち、『理解できない』ことが理解できた。
「……いや、見ても分かんねぇわ」
「やろうな。そんな顔しとるわ。どこが分からんのか一回話してみ?」
「ええ……? 強いて言うなら全部理解できないんだけど……いや、ここでしょ。一番意味分かんねえの」
俺は画面に指を置いて、そのままゆっくり横へとスライドさせる。青く選択された文章は、「童話の『かえるの王子様』になぞらえて」と書かれている箇所だった。
「──逆じゃない? ここ。『かえるの王子様』になぞらえるなら、ふつう蛙が王子様にランクアップするもんじゃねえの?」
「あー……言われてみれば確かに」
『かえるの王子様』とは、蛙が気持ち悪くて仕方ないお姫様とそれにグイグイ行く蛙が最終的に結ばれるお話だ。俗に言う『蛙化現象』とは明らかに順序が入れ替わってしまっている。
サイトの記事を読んでみる限り誤用の「せっかく両思いになれたのに、相手のふとした行動がきっかけで気分が萎えてしまうこと」というのも併せて広まりつつあるらしいが、どちらにせよ『かえるの王子様』の内容とは似ても似つかない現象だ。
「まあ……俺は両思いになれたときマジで死ぬほど嬉しかったし、テツからの好意が気持ち悪いとか1ミリも思ったことないから、これはちょっと違うかもな。せっかく教えてくれたのに悪いけど」
「リトくんっ……!」
「うわ、蛙が目キラキラさせてる」
「蛙ってそんな表情豊かなん?」
俺はマナにスマホを返し、ついでに自分のスマホをポケットから取り出してみる。特に用事があるわけではなかったけど、ぱっと画面をつけたところで、ミュージカル同好会のグループから新しい通知が入っているのが目に入った。
「──お、テツ。今日の練習は東堂先輩来れるってさ」
「あっマジ? じゃあ今日のうちに通しでやっちゃいたいね」
「なになに、先輩になんかあったん?」
「あぁいや、そういうわけじゃないんだけど……東堂先輩、今ダンス部の方の活動が忙しいらしくって。大会も近いらしいから、あんまりこっちの活動の方に来れない状態なんだよね」
「そうそう。だから先輩には台詞の少ない役やってもらうことになってるし、同じ理由で今回はいつもより短い上演なんだよな」
「へ〜……じゃあ今回テツが王子様役やることになったのも、つまりそういうことって感じ?」
「ことって感じ」
俺は菓子パンの残りを口の中に押し込むと、先輩からのメッセージにグッドマークの反応を追加して『連絡あざす!!』とだけ返信した。これからまた少し待てば、テツのアカウントから『了解です!』とメッセージが届く。
横を見ると蛙が器用にスマホを操作しているので、思わず笑ってしまった。
「どしたんリト、急に笑い出して」
「んふ、いや何でもねえ」
「ねえねえねえ、あのさあのさ、テツは今回かえるの王子様やるんでしょ? んで台詞少ない方が〜ってことは、周央パイセンがお姫様で東堂パイセンは王様? 合ってる?」
「合ってる合ってる」
「うん、んじゃあさ、リトは何やんの?」
「ああ、それは──、」
「それはねぇ、是非僕から紹介させて欲しいな!」
テツはそう宣言すると突然机の上にぴょこんと乗り、胸を張って解説し出した。他の人から見たらテツは今どんな風に見えているんだろうか。
「実は『かえるの王子様』には副題がついていてね、国や翻訳家にもよるけど『かえるの王子様、あるいは鉄のハインリヒ』と続くことがあるんだよ。それがまさにリトくんの演じることになった役柄ってわけだね!」
「ハインリヒ?」
「鉄の……?」
「そう。ハインリヒはまだ蛙が魔法にかけられる前からの忠実な従者でね、王子様が蛙の姿に変えられてしまった悲しみで胸が張り裂けそうになって、鉄の帯を三本胸に巻きつけていたんだよ。でも、無事に魔法がとけて婚約したふたりを祖国まで連れて帰る道中、喜びで胸を膨らませたことで鉄の帯は三本全て弾けて、それでめでたしめでたし──って感じなんだけど」
「あー……確かに、なんかリトっぽいわ。自力で鉄の帯破壊しそうやし」
「お? 喧嘩売られてる俺??」
まぁ、実際小道具の帯を弾き飛ばせるのが俺だけだったから選ばれたようなものなんだけど。ストーリーテラーじみた解説を終えたテツはまたぴょこんと跳ねて椅子に戻り、野菜ジュースで喉を潤す。
あ、一気に飲むから咽せてら。蛙って咽せるんだな。……いやテツは人間なんだけど。
──そして、テツの良い声故に謎の説得力のある解説を聞き終えた後でも、どこか疑いの眼差しを向けている者が約一名。
「……いや、な〜んか納得できねぇんだけど。僕」
「お、どしたんウェン。リトがその、ハインリヒって役をやるのそんなに違和感ある?」
「ん〜……いや、ていうよりは……」
ウェンは鋭い瞳孔で俺たちをぐるりと見渡し、テツの方を見て止まる。その視線は蛙とかち合うことなくどこか上の方を向いており、本来ならそこにテツの顔があるんだろうな、と思った。
「蛙さ、恩知らずすぎない?」
「……えっ、僕が言われてる? もしかして」
「テツが蛙やるんだったらそうなるでしょ。テツ蛙はさ、リヒの気持ち考えたことあんの?」
「リトみたいに呼ばないでよ……えごめん、察しが悪すぎてほんとに何言われてるか全然分かんないんだけど」
「だからさぁ〜……リヒはめっちゃ忠実に仕えてた王子様が蛙になったっつって、心臓はち切れ涙ちょちょ切れそうになるくらい心配してたんでしょ? んで戻ったら戻ったでその心配を上回るくらい大喜びできるしさあ。……なのに、結局蛙が選ぶのはお姫様なんじゃん」
ウェンの真っ直ぐに透き通った声は穏やかでありつつも、こんな騒々しい教室でもはっきりと聞き取れるくらいにどこか底知れない迫力がある。きょろ、とこちらへ向かって放物線を描く瞳の軌道はおそらく、テツの視線が俺に向いたことを表しているんだろう。
「報われないなって思わない? 誰よりも蛙のことを想ってあげてるのはリヒなのに、その蛙は一緒のベッドに入ることも拒否るようなお姫様を選ぶし、なんかそのおかげで呪いも解けちゃうし」
「……『かえるの王子様』の話なんだよな、ウェン」
「うん。あくまで今はね。……で、そこんところどうなの、リト」
「は、俺? どうって?」
「だからさ──リトはそれに、ちゃんと納得できてんのかって」
ウェンの言う『それ』とはそもそもの物語の流れのことなのか、それともこの──テツが蛙、俺がハインリヒという配役についてことなのか、俺には判断がつかなかった。助けを求めてマナの方を見るが、マナもウェンと同じく真面目な顔で俺を見つめている。
テツは、どんな顔をしているんだろう。
「……リト」
「うん、……してるよ、納得。だから今回のこの役も、引き受けたわけだし」
「引き受けたってことは、リトが立候補したわけやないんやな」
「それはそうだけど……や、でも本当に。納得はしてんだって。俺だってテツの演る王子様見てみたかったし、今回の演目は初めてだけど従者の役なら慣れてるし。それに……」
……どうしたわけかそこで口篭ってしまい、皆の視線がより一層険しくなる。こういうのは苦手だ。こういう、自分の言葉がきっかけでその場の空気が大きく変わってしまうような雰囲気は。
俺は一度まぶたを伏せて、軽く深呼吸をした。言うべきことは分かっている。なら、なるべく角を立てないようにそれを口に出すだけだ。
「──すげえ良かったんだよ、ふたりの演技。まだ本読みと簡単な歌唱練習しかできてないけどさ、それだけでも感動できちゃうくらい、テツと周央先輩のコンビってめちゃくちゃ相性良いの。もうね、完璧。……配役とか、思うところが何にも無いわけじゃないけど、あれが見られるなら俺はもう何も言うことねえよ」
「それは……僕の実力じゃなくて先輩のおかげだよ」
「いや、それもぶっちゃけある。先輩ふたりともやばいくらいの実力者だから。んでもさ、それに着いて行けてる時点ですげえのよ。お前も」
「……着いて……行けてるかなぁ?」
「大丈夫だって。自信持てよ、テツ!」
不安そうにこちらを見上げる蛙をできるだけ明るい声で励ましてやる。本来なら肩でも叩いてやるところだが、生憎俺には蛙の肩の位置など分からなかった。
昼休みももうじき終わる。いつの間にか教室はほとんどの生徒が帰ってきていて、込み入った話をするのには向かない状況になってきていた。テツの隣、俺の座っていた席の持ち主が帰ってきたことでなんとなくお開きの空気になり、それぞれが自分の席へと戻っていく。
すれ違いざま、ウェンが俺にだけ聞こえるような静かな声で言った。
「──さっきの、ちゃんとリトの本心?」
目は合わず、本当に答えさえ聞くことができればいいというような簡素な質問。
普段なら、ウェンだってああいうシリアスな空気は苦手なはずだ。周りの輪を崩したり水を差したりするようなことが本当に苦手で、ウェンはそれを気付かれないよう追行するプロだと俺は勝手に思っている。そんなウェンが、わざわざあんなに大真面目な顔をして向き合ってくれたのだ。俺のために──いや、『友達のために』とでも言うべきだろうか。
そんなにひどい顔をしてたかな、と頬をさすりながら、俺はウェンと同じく相手にだけ聞こえるような声量で呟いた。
「うん。全部本心だよ」
「……ほんとに? ほんとのほんとに?」
「ほんとのほんとに。気にしてくれてありがとな」
「……」
それでもよっぽど俺が心配らしく、ウェンはくるりとこちらを振り返り、俺の目をじぃっと覗き込んだ。晴天をそのまま映し出したような瞳に、彗星がきらりと光る。
「〜〜ったくよお! 図体ばっかデケぇメンズのくせに、いっつまでもウジウジしてんなよな!!」
「痛ッてえ゛って!!」
照れ隠しなのか分からないが、俺の背中を思いきりバシンと叩いてウェンは教室を出ていった。大丈夫かあいつ。授業始まるまでに帰って来るか?
……まあ、それもこれもあいつなりの気遣いなんだろう。ヒリヒリ痛む背中を押さえつつ、俺は苦笑いを浮かべた。
心配なんてされなくとも、今回ばかりは誤魔化したり嘘をついたりなんてしていない。そう、全て──悲しいくらいに、嘘偽りのない本心だった。
§ § §
「──ごめん、ちょっと止めるね」
東堂先輩の鋭い声が響き、部室内は一瞬にしてしんと静まり返る。
台詞を吐き出そうとして詰まったままの喉をぎゅっと締め、台本を持つ手に力を込めた──のは、今にも泣き出しそうな顔をした周央先輩だった。
「……っぅ゛〜〜〜!! ごめんコハちゃん! また台詞飛んじゃったぁあ゛!!」
「うん、大丈夫大丈夫。一旦休憩しよっか?」
「ごめぇえん……」
ついさっきまでツンと澄ましていた顔をぐしゃぐしゃに歪め、周央先輩は教室の角まで逃げるとその場で小さく丸まってしまった。「練習中断しちゃってごめんね」と消え入りそうな声で呟く周央先輩に、未だ蛙の姿のままなテツは「いや、俺はまだ内容入ってすらいないんで!」と開けっぴろげに笑いながら台本を振ってみせた。
東堂先輩は困ったように笑い、その隣へそっと腰をかける。俺とテツもそれを追いかけて少し離れたところでしゃがみ込む。
時計の針は午後の5時過ぎを指していた。
「うーん、ンゴのことだし台詞が入ってないわけじゃなさそうだけど……何か別に理由があったりする?」
「うん……」
「……ね。良ければ、ちょっとだけ聞かせてくれないかな」
周央先輩は膝に顔の下半分を埋めながら鼻を啜り、べしょべしょの顔で俺たちの方を見上げた。最初は東堂先輩、そして俺へとスライドし、おそらくテツの顔を見つめたままぴたりと止まる。
「……あのね、ちょっとだけ、ちょっとだけ変な話なんだけど、いい?」
「うん。いいよ」
「あのね? ……演技してると途中で『あれ、今演技してるんだっけ、それともンゴのままなんだっけ』って、分かんなくなるの。こんなこと初めてで、どうしたらいいか分かんなくって……」
そう言ってスカートの裾を握りしめる周央先輩に、俺たちは顔を見合わせる。
演技にのめり込むあまり役から戻って来られなくなる──というのは、そんなに珍しい話でもない。特に『舞台の上で、いっぺんにひと繋ぎの物語が紡がれる』とも呼べるようなミュージカルを同好とする俺たちからすれば、それはある意味目指すべき到達点ですらあった。
しかし、今の周央先輩はどこからどう見ても普段通りの先輩で、役に引きずられているようには思えない。そして東堂先輩から見ても同じらしく、彼女も俺と同じように首を傾げていた。
感情を言葉にするのに苦戦している様子の周央先輩の手を握り、東堂先輩は優しく問いかける。
「えっと、ごめん。そもそもの話なんだけど、今回のお姫様っていつものンゴとちょっと……こう言うとあれだけど、ちょっと近いところがある感じじゃない? わがままだったり生意気だったり、意地っ張りなところとか」
「コハちゃんにはンゴがそう見えてるってことぉ!?? ……いや、そう、そうなんだけどさ。……そうなの。ンゴに近いからこそ、なんていうか──」
「……──『境目が分からなくなる』?」
周央先輩の言葉を代わりに繋いだのは、テツだった。先輩はぱっと顔を上げ、俺には見えないテツの顔を驚いた様子で見つめている。
「え……佐伯さん分かるの? この気持ち」
「あ、いや……先輩の気持ちが分かってるかどうかは分かんないすけど、僕もその〜……それに近しい感情になったことはあります。なんていうか、途中から『あ、これいつものやつだ。じゃあ次こう言うよな』みたいな風に勝手に切り替わっちゃうっていうか……」
「そうそうそう! そうなの!! ンゴだって常に演技してるわけじゃないけど、『よ〜し盛り上げちゃうぞ! いぇいいぇ〜い!』ってなったときのンゴと周波数が同じなの!」
「ああ分かります分かります! うわ、言語化うまいっすね先輩!!」
テツによっぽど共感したらしい周央先輩は途端に前のめりになり、すっかり涙も引いたようだった。
雰囲気もどこか似ている2人のことだ、こういう常人には理解し難い感性も通じ合うところがあるのだろう。ぽかんとしたままの俺と東堂先輩を置いてけぼりにして、テツと周央先輩はものすごい勢いで語り合い始めてしまう。ところどころ聞き馴染みのない言い回しも混ざっているのは昔のネットミームか何かだろうか。
2人のマシンガントークをどこか遠目に見守りながら、俺と東堂先輩はそっとその場を離れる。あの調子ならきっと大丈夫だろう。あれだけ意気投合しているのなら、もし次に周央先輩が同じ状況に陥ったとしてもテツが助け舟を出せるだろうから。
東堂先輩は台本に赤ペンで何かを書き留め、「うーん」と難しそうな顔をした。
「……ねぇ、宇佐美さんはある? 自分と役が混じっちゃうこと」
「え? あー……いや、あんま無いっすね。ていうか多分ほとんど無い。すごいもう、悲劇的な役とかに気持ちが引きずられたりは若干ありますけど、それとこれとは多分別……ですもんね」
「なのかなぁ……私も無いんですよね、多分。それこそンゴに『この子とコハちゃんすごい似てるよねー』って言われて初めて気付く、みたいなことはあったりするんですけど」
「へえ……俺は言われたこと無いすね。テツにそんな──……」
そこまで言ったところで俺の脳裏に浮かんだのは、俺が舞台を降りたとき決まってテツからかけられる『きみは王子様だよ』なんて言葉だった。よくそんなことを恥ずかしげもなく言えるなと思わなくはないけれど、この上なく目をキラキラさせてそんな風に褒められてしまえば、満更でもない気分にさせられる。
王子様なんて柄じゃないけど。テツだって、お姫様なんてキャラじゃないけど。こんな風にお互いを高め合っていけるのなら、そんなに素晴らしいことはないだろう。
──なんて、浅はかにも思っていたのに。
「……宇佐美さん?」
「──や、何でも無いです。……仲良さそうですね、あの2人」
「? ああ……ほんとにね。お姫様と王子様って言うにはちょっと……落ち着きが足りないけど」
そう言って、東堂先輩は鈴を転がすような声で笑った。
どうやら『どうすれば普段の自分たちと差別化できるのか』という話に流れたらしい周央先輩とテツは、ノートを取り出して何やら熱く議論しているようだった。スカートを円の形に広げてノートへ視線を落とす周央先輩と蛙のテツはどこか見つめ合っているようにも見えて、まるで劇中のワンシーンと錯覚してしまうほど絵になっている。
それをあまり見ていたくなくて、俺は台本の方へ視線を落とした。最後の方のページを開き、覚えるのに難儀するほどでもない量の台詞を何度も何度も繰り返し叩き込む。
──王子様だなんて柄じゃない。
だって俺は、こんなにも。