テラーノベル
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「失礼いたします……」放課後の夕闇が迫る南棟の四階。普段はほとんど使われていない旧校舎の静まり返った廊下は、どこか浮世離れした雰囲気を漂わせていた。どの部屋に入ればいいのか分からず、しばらく迷いながら歩き回っていると、ひとつだけ中からかすかに人の気配が漏れ出している教室を見つけた。
リリーは意を決し、ガラガラと重たい木製の扉を押し開けてそっと中を覗き込む。
教室の中では、ひとりの少年が静かにピアノに向かい、鍵盤を叩いていた。
その奏でる旋律は、どこかで聞いたことがあるような……胸の奥を強く揺さぶる、途方もなく切なく懐かしいメロディーだった。
ふと部屋を見渡すと、そこには見たこともない不思議な形をした器物や楽器らしきものがいくつも並べられており、ここだけ学園とは異なった、まるでどこか遠い異国のような異彩を放つ空気が漂っていた。
リリーが言葉を失ってしばらくその演奏に耳を傾けていると、ふいに弾いていた彼と視線がぶつかった。
「わっ!?」
「あっ……」
お互いに予期せぬ遭遇に驚き、室内に数秒間の気まずい沈沈黙が落ちる。
「……君は?」
先に戸惑いがちに口を開いたのは、彼の方だった。
「初めまして。私、リリー・アルベールと申します」
淑女の礼をもって丁寧に名乗った瞬間、彼の目が驚きでまん丸に見開かれた。
「リリー・アルベールって……あの、この国の公爵令嬢!?」
驚きのあまり前のめりになった拍子に、彼がかけていた丸メガネがずり落ちてしまう。
「ぼ、僕は颯太(そうた)っていいます……っ」
慌ててメガネを掛け直しながら、少年――颯太は姿勢を正して名乗った。
「それで……公爵令嬢様が、どうしてこんな使われていない旧舎の部屋に?」
「アマネさんとリコさんに呼ばれて、こちら伺ったのですけれど……」
「えっ、あの二人に?」
ちょうどその時、廊下の扉の方から楽しげな足音が近づいてきた。
「ねぇ、本当に来てくれるかな~?」
「アマネちゃんがあんな強引に言ったんだから、怖がって来ないかもしれないよ?」
「あっ!」
ガラリと扉が開き、顔を覗かせたのは、先ほど廊下でリリーに声をかけてきたアマネとリコだった。
「あ! 本当に来てくれたんですかぁ!?」
先ほどの激しい詰め寄りぶりが嘘だったかのように、アマネはパッと花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「ほ、本当に来てくれた……」
三つ編み眼鏡のリコも、安堵したように胸を撫で下ろしている。
「で、なんでリリー様を急にここに呼んだの?」
颯太が疑問を口にすると、アマネは彼の元へ駆け寄り、耳元で何やら小声で密談を始めた。
リリーは所在なさげに佇みながら、こちらを見つめるリコと静かに軽く会釈を交わす。
二人が何を話しているのか内容までは聞こえなかったが、耳を傾けていた颯太の目が見開かれ、顔に隠しきれない驚愕の色が浮かんでいくのが分かった。
「……そっか。じゃあ、試してみたらいいんじゃない?」
「うん。お願いね、颯太」
頷き合った颯太が、こちらに向き直る。
「リリーさん。さっき、旧舎の音楽室で弾いていたというあの曲……もう一度、ここで弾いてもらえませんか?」
「え……ええ、分かりましたわ」
リリーは深呼吸をして心を落ち着かせると、部屋の中央に置かれたピアノの前に腰を下ろし、そっと鍵盤に指先を添えた。
さっきの曲――頭の中に自然と浮かび上がってくる、胸を締め付けるような旋律。指先に意図を委ね、鍵盤を押し込んでいく。
•¨•.¸¸♬︎•¨•.¸¸♬︎
先ほど旧舎で弾いた時よりも動きは滑らかで、正確に、そして何より心から楽しんで奏でられている気がした。
「……まさか、本当に……」
颯太が息を呑むように呟くと、部屋の隅に置かれていた見たこともない奇妙な形の楽器を手に取り、リリーのすぐ側の椅子に腰を下ろした。
そして――
今まで聞いたこともない、弦の震える独特の温かな音が、リリーの奏でるピアノの旋律に重なった。
重なり合う二つの音が空間を満たし、演奏が終わった後も、心地よい余韻が室内を静かに満たしていた。
しばらくの沈黙の後、二人の口から同時に言葉が飛び出した。
「今のは何という楽器ですの!?」
「どうしてこの曲を知っているですか!?」
問いが見事に被ってしまい、二人は顔を見合わせて思わず苦笑いを浮かべた。
颯太はどうしてもリリーがこの曲を知っている理由が気になっているようだったが、リリー自身にも分からないのだ。「理由も分からず、ただ自然と指が動いた」という事実を伝えると、颯太は「不思議なこともあるんだね……」と、まだ少し納得がいかない様子で首をかしげた。
対して、リリーが投げかけた質問には、丁寧に答えてくれた。
彼が弾いていたその楽器は、細長い木の柄に何本もの糸のような弦が張られ、中央が丸くくり抜かれた不思議な形状をしていた。
「こんな楽器、今まで一度も見たことがございませんわ」
「これはいせ……僕たちの故郷にある楽器なんです。『ギター』って言います」
「こっちには影も形もなかったから、再現するのにすごく苦労したんだよね。ヴァイオリンはあるのにギターはなくて驚いたよね」
アマネが思い出すように苦笑いする。
「……再現した、とおっしゃいましたの? これを自分たちで作られたのですか?」
思わず驚きの声が漏れる。これを一から自分たちの手で作り上げたというのだろうか。
「ええ。僕たちの故郷には当たり前にあったものなんですけど、ここには何一つなくて」
「材料も道具も揃っていなかったから、手元にあったものを分解して、思い出しながら一つずつ試して……記憶の感覚だけを頼りに、やっとの思いで形にしたんです」
「色んな人の力を借りましたよ。具体的には、鍛冶屋で火を使って金属を溶かしてもらって、弦の引っ張りを……」
颯太が専門的な知識を熱っぽく早口で語り始めたのを見て、追いつけていないリリーに気づいたアマネが苦笑しながら割り込んできた。
「すみませんリリー様。こいつの実家、向こうで楽器屋さんだったんです。だから楽器の構造に詳しくて作れたんですけど……根っからの楽器マニアだから、話し始めると止まらなくなっちゃって」
なるほど、とリリーは納得した。室内を見渡せば、確かに他にも見覚えのない不思議な楽器が幾つも並べられている。
「触ってみますか?」
リコが優しく声をかけてくれた。
「よろしいのですか……?」
「もちろん! ほら颯太、貸して」
熱弁に夢中になっていた颯太の手からアマネが強引にギターを取り上げ、リリーの手元へと渡してくれた。
「意外と重みがあるのですね……」
そんなことを思いながら、リリーは木目があでやかな楽器をそっと胸元に抱え込んだ。
……あれ? なぜかしら。
─────────構え方が、分かる。
初めて触れたはずなのに、全く手に迷いがない。
さっきの演奏を見て真似しているだけ……そう自分に言い聞かせようとした。
試しに、細い弦を指先で弾いてみる――
ポロン……と、空気が優しく震えた。
それはまるで、静かな水面に一粒の雫が落ちたかのような、透き通った儚い音色。
「……っ!」
自分で鳴らした音なのに、あまりの響きに思わず息をのむ。
続けて指を滑らせると、驚くほど自然に、滑らかに音階が繋がっていった。
……おかしいわ。こんな楽器、生まれてこの方一度も見たことすらないのに。
思考よりも早く指が滑らかに動き、音の導きに身体が吸い寄せられるように応えていく。
まるで、自分のこの手と身体が、昔からこの楽器を“知っている”かのように。
あの夢の中にいるような、途方もなく懐かしい感覚。
「すごい……なんて綺麗な音……」
梨子が感嘆の吐息とともに、ぽつりと呟く。
そして――
「……やっぱり……間違いない……!」
天音の瞳に、確信に満ちた強い光が宿ったのだった。
コメント
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第8話読み終わったわ!リリーが初めてギターに触れた時の「構え方が分かる」感覚、めっちゃグッときた。記憶とか前世とか、そういうのを感じさせる“懐かしさ”の描写が丁寧で、続きが気になりすぎる。颯太の楽器マニアっぷりとアマネのツッコミのバランスもいいし、音楽を通じた繋がりがこれからどう動くのか楽しみ🔥
#すとぷり恋愛
🍊みかん🍊
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