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颯人が会社に出勤すると、いつもならこの時間すでに蒼がデスクにいるのに今日はいない。
「七瀬さんはどうしたんだ?」
「今日は風邪でお休みだと連絡がありました」
五十嵐さんは心配そうに顔を顰めた。
颯人は大きな溜息をついた。こうなる事が目に見えていたのに何も出来ない自分に憤りを感じ、その辺の物に八つ当たりしたくなる。
蒼はあの週末以来すっかり心を閉ざし、誰も、特に男性を全く寄せ付けなくなってしまった。ちゃんと食べていないのか顔色も徐々に悪くなり、風邪でも引いたのか昨日は具合が悪そうにしていた。
「七瀬さんは、その、大丈夫なのか……?」
心配で落ち着かないでうろうろしていると、篤希が出社してきた。
「七瀬さんなら大丈夫だ。さっき電話で話したから。今日は金曜日だから週末ゆっくりして風邪を直せと伝えてある」
篤希は颯人を睨み付けると、自分のデスクについてコンピューターを立ち上げた。
颯人は篤希に近寄ると声を潜めて尋ねた。
「彼女そんなに具合が悪いのか?」
「颯人、彼女のことはあれほどそっとしろと言っただろう。何があったか知らないが── 」
「違う。俺じゃない」
颯人は苛立ち紛れに髪をかき上げた。
「篤希、ちょっと話がある。」
篤希と共に社長室に入るとドアを閉めた。
「七瀬さんが以前働いていた高嶺コーポレーションでどんな扱いを受けていたか調べられるか?ついでに事業企画部の黒木部長もだ」
黒木とはビジネスパーティで何度か会った事がある。彼は元々あの会社の専務と何か繋がりがあるらしくよく彼らが一緒にいるところを見かける。
「は……?何言って……」
「日曜日に七瀬さんと一緒に食事をしてた時偶然黒木部長に会ったんだ。そこでかなり嫌な事を言われたんだ」
嫌な事なんてもんじゃない。あれは悪質なセクハラだ。あの日、蒼が全身全霊で颯人を拒絶した姿が忘れられない。
颯人は初め彼女が男性に対して臆病になっているのは、もっと小さな事だと思っていた。しかし黒木とのやりとりを見て、かなり悪質なセクハラや嫌がらせを受けていたとわかる。
蒼は美しく目立つ容姿の上に真面目で大人しい。黒木の様な男には、格好の獲物だったに違いない。
「七瀬さん、大丈夫なのか?随分落ち込んでいたけど……」
篤希は眉をひそめて颯人を見た。
「わからない……」
颯人は重い溜息をつくと、じっと窓の外を見つめた。
***
次の日の土曜日、颯人は「Paw Hotel and Daycare」の前に立っていた。
以前、蒼とペットショップに寄付されたグッズを取りに行った時、ここに立ち寄ってオーナーの千歳さんに会っている。
颯人が今日ここに来たのは訳がある。蒼を何としてでも助けたいと思ったからだ。しかし彼女は颯人を含め男を全く近寄らせない。どの様にもう一度彼女と接したらいいのか分からなくなってしまった。
しかしその答えがここにある様な気がしたのだ。彼女がいつも心のよりどころにしているこの場所に……。
「いらっしゃいませ。…… あら、蒼ちゃんとこの社長さん?」
「こんにちは。実は今日ご相談したい事があって来ました。それとこちらの団体の活動についてもっと知りたいと思いまして」
「まあ、そうなのね。私達のような小さな団体に興味を持っていただいてありがとうございます。今丁度何人かボランティアの方が来ていらっしゃるので、どうぞ見学していってください」
千歳さんに案内されペットホテルの中に入るとスタッフの人が何人かいて、このホテルやデイケアを利用している犬が真ん中の大きなガラス張りの部屋の中でスタッフと遊んでいるのが見える。
さらに奥に進んでいくと、犬が泊まる為の個室部屋が通路の両側にある。全てガラス張りになっていて、泊まっている犬達が何をしているのかよく見える。
個室には全てソファーや家具、犬用のベッドがあり、中にはテレビが付いている部屋もある。人間が住んでいるリビングスペースと何ら変わりない。
中を覗いてみると、犬達はリラックスして快適な部屋で過ごしている。
「全室犬がいつも飼われている状態とあまり変わらない環境に泊まれるようになってるの。犬だって檻みたいな所に入れられてたらストレスが溜まってしまうでしょう?」
千歳さんが一番奥の部屋を開けると、ちょっとしたオフィスのようなスペースがあって、何人かのボランティアが働いている。颯人はその中に蒼を見つけた。
「社長……」
蒼が驚いたように颯人を見た。
「こちら蒼ちゃんとこの社長さん、桐生さんです。この団体のことについて知りたいそうなの。是非教えてあげてね。竹中さん、確かうちの団体のパンフレットか何かあったわよね。それも見せてあげてちょうだい。蒼ちゃん、良かったら社長に説明して色々見せてあげて」
竹中さんが颯人に資料やこの団体のステッカーなどを持って来てくれ、蒼がその中に書いてある内容を説明する。
そんな彼女をじっとみるが、相変わらず颯人とは距離を置き、すっかり心を閉ざしている。颯人があれだけ辛抱強く彼女の心を開く努力をしたのがすっかり水の泡だ。
「突然来て悪かったな。風邪は大丈夫なのか?」
颯人は心配して彼女の顔を覗き込んだ。気のせいか顔色が悪く元気もない。
「……大丈夫です」
そう言った声も何となく鼻声で、颯人は眉間に皺を寄せた。
その後、蒼は淡々とこの団体の説明をして、最後に昨日保健所から保護されたという犬を何匹か見せてくれた。