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──ギリ、ギリ……と首が締め付けられていく感覚。
苦しい。喉が潰れる。視界が黒く染まって──
「ひゃあッ──!!」
シキは跳ねるように起き上がった。
毛布を蹴り飛ばし、胸を押さえて息を吐く。
喉が焼けつくように痛く、呼吸がうまくできない。
右手が無意識に首元を探る。けれど、そこには何もなかった。
「っ……は、はぁ……っ」
体中が汗で湿っている。けれど、それ以上に心が凍えていた。
夢だった。そう、夢──だけど、あまりにもリアルだった。
車の中。私は助手席に座っていた。
外は真っ暗。エンジンは止まっていて、窓の外は木々に囲まれた森の中。
その静けさの中、助手席から、誰かの手がゆっくりと伸びてきた。
白く、細い手。
けれど、その指は異様なまでに冷たくて、喉に絡みついた瞬間、強く締め上げられた。
声も出せなかった。動けなかった。
ただ苦しさの中で、私は目を開けた。
──そして、見てしまった。
目の下に深い隈。
黒く強調された目元。
血のように赤く染まった唇。
闇の中で私を見下ろしていたのは──
「……バースデイ……?」
思わず、震える声でそう呟いた。
夢の中で私を絞めた男。
──それは、数時間前に見たBの“化粧姿”と、全く同じだった。
夕方、ほんの短い時間だけ顔を合わせた彼は、いつもとは少し違っていた。
塗ったくったような酷いクマに、日の光も浴びたことないような真っ白な肌。ボサボサの髪に、曲がりきった腰──まるで、誰かになろうとしているような顔だった。
その姿が、そのまま夢に現れて私の命を奪おうとしてきた。
「……どうして……?」
息を飲む。
疑問が頭の中でぐるぐると渦巻いていた。
Bが“化粧していた”ことじゃない。
“その顔のバースデイが、夢の中に出てきた”ことにだ。
偶然だと片づけるには、あまりに酷似していた。
夢の中の男は──たしかに、私の知るバースデイだった。
「……私、まだ、息、出来てる……」
小さく、吐き出すように言葉をこぼす。
夢じゃない。ここは現実。呼吸はできる。生きている。
だけど──それでも、胸の奥のざわつきは収まらなかった。ストーブの赤い火が、静かに揺れている。
それがまるで、自分の心臓の不安定な鼓動を映しているようで、シキは、ひとり毛布にくるまりなおすしかなかった。
「……はあ、寒い……」
毛布に包まっていても、足先が冷たくて感覚がない。
静寂が深まる。
Bはまだ帰ってこない。
もう何時間待っただろうか。
外の風が窓をわずかに揺らす音さえ、不安を煽るようだった。
(……遅い……)
言葉にはしなかった。
その瞬間、涙がこぼれてしまいそうだったから。
シキは目を閉じて、深く息を吸った。
そのときだった。
──ピピッ!
音がした。
短く、鋭く。電子機器特有の、小さな起動音。
思わず体を起こし、音の方に顔を向けた。
それは、ちゃぶ台の上に置かれたままのノートパソコンからだった。
Bが出かける前に立ち上げていたらしい。スリープから復帰したようで、ぼんやりと画面が光り出している。
「……?」
シキは慎重に近づいた。
キーボードにも触れていないのに、画面には、誰かの操作を受けたようなウィンドウが浮かび上がる。
そこに、たった一文字。
「L」
その文字が、真っ黒な画面の中央に、白く浮かび上がっていた。
──息が止まった。
しゃがみ込んだまま、パソコンを見つめていた。
明らかに“応答”を求めている画面。
それは、Bが戻ってくるまで誰にも触れられずにあるべきものだと、頭では分かっている。
(でも、Bはまだ帰ってこない……Lは、Bに連絡してる……それは……分かる……)
だから本当は、応えるべきなのだろう。
でも──
「……私が返していいの……?」
小さな声が、冷たい空気に溶けて消える。
心臓の鼓動がやけにうるさく感じる。
“私が”Lと話すだなんて、場違いすぎる。
シキはBのように頭が良いわけでも、Lのような探偵を目指しているわけではない。
(──怖い)
この画面の向こう側に、あの“L”がいるかもしれない。
そう考えただけで、喉がひりつく。
それでも、無視し続けるのも……なぜか、罪悪感があった。
(Bの大事なやり取りかもしれないのに、見ないふりして逃げるなんて……)
「……わたし、なにやってるんだろ……」
吐息混じりに呟いたあと、シキはそっと画面の前に座った。
指先が、わずかに震えている。
キーボードの上に手を乗せるだけで、胃の奥がきゅっと締めつけられた。
──少しだけ。ほんの一言だけ。
それでも、何か返さないといけない気がした。
カタ、カタ……。
直接話す勇気はなく、震える指でゆっくりとキーを叩く。
> 「……Bは、今いません」
Enterキーを押す音が、やけに大きく響いた。
たったそれだけの言葉なのに、
まるで、禁忌に触れてしまったような緊張が、身体を包み込んだ。
パソコンのファンの微かな音さえ、心臓の鼓動と重なって不気味に聞こえた。
(……間違えたかな)
やっぱり、私なんかが応えてはいけなかった。
そう思いかけたその瞬間、画面にぽつんと白い文字が浮かび上がった。
> 「むしろ。好都合です」
──え?
シキは思わず、画面を凝視した。
表示されたのは、たった八文字。それだけ。
けれど、その言葉が意味するものは、あまりにも大きかった。
(……どういう意味……?)
Bが不在であることを伝えたはずなのに、
それが「好都合」とはどういうことなのか。
まるで──最初から、Bではなく“私に話しかけるつもり”だったかのような、そんな気配。
空気がすっと冷える。
画面は沈黙したまま。
だが、何かが始まろうとしている──そんな確信が、背後からひたひたと近づいてくるようだった。
> 「むしろ。好都合です」
> 「電話に出られますか」
──その言葉を見た瞬間、シキの指が止まった。
電話。
パソコン画面の下に、通話接続用のボタンが現れていた。
(……出るべきなの?)
画面の前でしばらく躊躇う。
でも、“好都合”と言われた以上、無視し続けるのは──もう、できなかった。
「……はい」
かすれた声と共に、クリックする。
機械の淡い起動音の後、微かなノイズとともに、静かな声が響いた。
〈はじめまして、Lです〉
その声は、思っていたよりも穏やかだった。
加工音声は使っておらず、声から男性であること、大凡の年齢、感情の起伏などが多少読み取れる。それでいて、妙にこちらの思考を見透かしてくるような響きがあった。
〈あなたが、Bの後継者、シキさんですね。Bがあなたの存在を伏せているのは知っています〉
──ドキッ!
“後継者”という言葉に、思わず息が詰まった。
私は正式な後継者なんかじゃない。
Bの隣にいるだけ。何も出来ない。そんな私がLから後継者と言われ、不甲斐なさに恥をかいた。
「……あの……」
言葉が、喉の奥で掠れる。
それでも、かすかな震えを抑えて、口を開いた。
「……はじめまして。……シキです」
小さな声。けれど、ちゃんと相手に届くように意識した。
失礼があってはいけない。
相手は、あの“L”。
Bが──ずっと追いかけていた存在。
「な、なんで、私がBと居るって分かったんですか?カメラで見えてるんですか?」
〈いえ、あなた達が無断でハウスを抜け出したので、情報が回ってきただけです〉
嘘でしょ……そこまで管理されてるっていうの。
〈ところで、今Bは近くにいますか?〉
「……いません。居た方が良かったですか?」
〈いえ。居ない方が、好都合です〉
その一言に、シキの胸が少しだけざわめく。
──居ない方がいいって、どういう意味?
けれど、それを問いただす前にLの声が続く。
〈シキさん。あなたに、お話があって来ました〉
「……私に?」
あまりに意外な展開に、つい声が裏返った。
〈はい〉
返事は落ち着いていて、まるで最初から予定されていたような口調だった。
〈……“月読安楽死事件”のことは、覚えていますか?〉
思いがけない言葉に、心臓がひとつ跳ねる。
記憶の奥を探っても、応えるものが何も見つからない。
「………………」
目を伏せて、かすかに唇を噛む。
「覚えてないと、まずいことですか?」
〈いえ。覚えていてくれた方が助かりましたが、記憶喪失なら仕方ありません〉
なんで私が記憶喪失だって知ってるんだろう?Lだから?だとしたら、恐ろしい。彼に隠し事なんて出来ないな。
〈ただ、あなたは事件当初、現場にいたはずです。そして、被害者だったはず。事件の内容を、本当に何も覚えていないんですか?〉
「覚えてません……何も……知らないんです……」
手が膝の上で小さく震える。
責められているわけではない。それでも、自分が“空白の中”にいることが、恐ろしく思えた。
〈そうですか〉
Lの返答は淡々としていたが、どこか失望の影が潜んでいるようにも感じられた。
「……どうして、そんなことを私に聞くんですか?」
〈“月読安楽死事件”は、“キラ事件”と繋がっている可能性があります。安楽死事件の調査をすれば、キラの行動原理や、殺しの手口に関する新たな手がかりが得られるかもしれません〉
そして一泊置いて、Lが言った。
〈シキさん。……記憶を取り戻したいとは思いませんか?〉
シキは息を呑んだ。
──取り戻したい。けど、怖い。このまま何も知らずにBの隣にいても、きっと後悔する。
「……ま、まさか、私に……その事件を探れって、言うんですか?」
〈ええ〉
あまりにも自然に告げられたその一言に、背筋がぞくりとした。
「………………分かりました。……やります」
言葉が震える。
でも、逃げたくない──そう思った。
「……しかし、一人では行きたくありません。Bを連れて行っても、いいですか?」
〈いえ。Bは同行させません。こちらで、別の人間を用意します〉
「……え。誰を?」
〈優しくて、頼りになる男性です。それで、安心できますか?〉
──誰か知らない人と?
だけど、Lのその言い方に、少しだけ笑ってしまいそうになった。
「……分かりました。あなたの命令は絶対だって、Bから聞いてます。……断りたいけど……やります」
〈ありがとうございます。行くにあたって最初に知っておいて欲しいのですが──月読、あそこは、かつて“A”がいた場所です〉
「……A……?」
その名前に、どこか懐かしさと、説明のつかない恐怖が滲む。
〈彼について調べていただきたい。そして事件を、解決してください〉
「……そんな、強引な……」
〈お願いします〉
丁寧に、しかし断る余地のない声だった。
「……でも……なんで、私なんですか? L、あなたがやった方が早いんじゃ……」
〈私はキラ事件で多忙です。キラ事件だけじゃない。やらなくてはいけないことが山積みです。です。それに、そんなことありませんよ。私よりもシキさんの方が早く答えにたどり着くはずです。ですから、“月読安楽死事件”はあなたにお任せしたい。よろしいですね?〉
シキは、一呼吸置いてから答えた。
「……分かりました。あなたが“解けなかった”事件──私が、解決してみせます」
そう言って話を終わらせようとしたところでLは遮った。
〈シキさん、“解けなかった”というのは誤解があります。“解けなかった”のではなく、“解かなかった”。それが正しい表現です〉
解かなかった──知ってて解かなかったのか。
私はLを試すように言った。
「……じゃあ……もし私がこの事件、解けたらどうしますか?」
〈そのときは──私の後継者候補になっていただきます〉
「……は、はいっ!? ちょ、ちょっと待って……私が、あなたの後継者!?私、Bの後を継ぐはずなのに……!」
〈Bの後を継ぎたいと?〉
「はい。あなたの後は、絶対に継ぎたくありません」
ハッキリそう答えた。
〈……そうですね。その方が、良いと思います〉
「えっ?」
〈では、こうしましょう。シキさんが事件を解決したら、とっておきの“スイーツ”をご紹介します〉
「……す、スイーツ?」
〈はい。甘いものはお好きでしょう?〉
「ええ、もちろん!じゃあ……そのスイーツ、“Bと一緒に”ご馳走してください!」
〈……分かりました。それで構いません〉
「じゃあ……もし私が解けなかったら、どうします?」
〈そのときは、私にとっておきのスイーツをご馳走してください〉
「……分かりました。絶対、負けませんからね!」
〈ふふ……勝負、ですね〉
画面の奥でLが笑った。
「ええ。私はあなたみたいに攻めるのは得意じゃないですが、受けることはできます。『“受け”の中でも、強気な受けです。どんな攻め方をされようと、絶対に折れません。折れさせます』」
〈私とは……相性が悪いかもしれませんね〉
少しだけ、静かな間が生まれた。
けれどそこには、言葉では言い表せない、温度のようなものが含まれていた。
〈それでは──12月20日、私が指定する場所に来てください。彼に迎えを頼みます。車で“月読”へ向かってください。……大丈夫ですよ。迎えに行くのは、優秀なFBIです。既婚者ですし、信用して構いません〉
考慮して言葉を付け足してくれた。
「……分かりました。……必ず、解いてきます」
〈楽しみにしています。以上のことはBにバラさないように。独断で行動してください。それでは、また連絡します──〉
通信が切れると、部屋に一気に静寂が落ちた。
──勝負。Lとの勝負。
シキは立ち上がり、窓の外をゆっくりと見た。
ハウスのみんながLをライバルのように見て、燃え上がる理由がやっとわかった気がする。
この人と話してると超えたくなる何かがある。
論理で圧倒してくるわけでも、力で黙らせてくるわけでもない。
けれど、言葉のひとつひとつが、じわりと胸の奥に刺さって離れない。
「この人と話してると、超えたくなる何かがある──」
それは劣等感でも、嫉妬でもない。
もっと根本的な、存在そのものに対する渇望。
Lという名前の向こう側にある“正義”とか“論理”とか、そういう抽象的なものじゃない。
ただ、彼と同じ目線に立ちたい。彼のいる場所を見てみたい──その衝動だった。
私はパソコンに手を伸ばすと再び月読安楽死事件について調べた──