篠崎は紫雨からファックスで送られてきた資料に目を通しながら、事務所から彼に電話をかけた。
「これってさ、事前に事務所での意見をまとめておかなきゃいけないってこと?」
資料には【セゾンエスペース 太陽光発電パネルシステム 原案】と書かれた件名の下に、ずらずらと細かい字が並び、潰れた写真が載っている。
『クソ面倒っすよね』
紫雨がため息交じりに言う。
「いや、というより、文字も写真もファックスで潰れて読めない…」
篠崎は目を細めながら言った。
『あ、やっぱりすか?秋山さんからは、メールで送るように言われたんですけど、面倒くさくて』
「おい。こんな社外秘ファックスする馬鹿がいるか」
『だってーわかります?太陽光パネルなんて。そんな技術的なこと言われてもさっぱり分かんないですよ、わかるの新谷くらいなもんでしょーがー』
「…………」
唐突に出たその名前に一瞬反応が遅れる。
『……おっと。地雷でした?』
電話口の紫雨の声も低くなる。
「……馬鹿なこと言ってないでさっさと送れ」
『へーへー。今、送ってます』
ピロン。
話しているそばから、パソコンのメールの受信音が鳴る。
『ちゃんと添付できてるか確認してください』
「ああ、ちょっと待て」
メールを開き、添付ファイルをクリックする。
「…………お前。殺すぞ」
そこには、新谷の上着を着た紫雨と牧村がキスをしているいつかの画像が添付されていた。
『ははは、タイムリーかなと思いまして』
「今度会ったら覚えておけよ…」
『こわーい。犯されるー』
「アホか!」
篠崎は受話器を叩き置いた。
大きく吸った息をハーッと吐き出すと、正面に座っている渡辺が、
「紫雨さんすか?あの人はもうほんとにしょうがないすね」
と苦笑いをした。
15インチのディスプレイに、紫雨と共にアップで写っている牧村の顔が映し出される。
顎のエラのラインが男らしく浮き上がっていて、その下の血管が、若々しく太い。
色素の濃い引き締まった首筋が、紫雨の色白さと対照的で妙になまめかしい。
こんな顔で―――。
こんな角度で―――。
新谷にも――――。
篠崎は慌てて画像ファイルの右上にある「✕」ボタンを押した。
まもなく紫雨から送られてきた太陽光パネルの資料をプリントアウトする。
軽く目を通したが、やはり専門用語と専門的見解が羅列されているだけで、自分を含め、渡辺も金子も細越もわかる内容ではなかった。
「お疲れ様です!」
地盤調査の結果と契約書一式を持っていった新谷が帰ってきた。
「問題なかったか?」
靴をスリッパに履き替えている彼に言うと、新谷は笑顔で顔を上げた。
「はい!ばっちりでした!ありがとうございます」
「それはよかった。今日中に書類上げろよ。敷地調査は春だろうけど、雪が溶けたら設計士の取り合いだから、早めに予約しておいたほうがいい」
「わかりました!」
新谷が隣の自席に戻ってくる。
「あとさ、これ――――」
新谷にその資料を渡す。
「目を通してくれるか?」
言うと、鞄を置きながらそれを受け取った新谷は席に座り、それを両手で持って早速読みだした。
「おお、すごい。これ、屋根一体型パネルなんですね」
新谷が独り言とも思える小さな声で囁いた。
「接続部がないから、劣化が遅いですし、何より積雪で壊れる心配がありません。大容量載せられるので、家庭の電気を補うだけではなく、蓄電や売電もしやすい」
資料を捲る。
「あー、でも発電効率は、大手メーカーに少しばかり劣りますね。まあ、コストのことを考えてだとは思いますけど。あとはパネルのガラスの耐久性が気になります。どのくらいの積雪に耐えきれるのか。あとは落雪を考えたときにどのような対策を打てるか…ですね。表面がガラスだからその分すべって勢いよく落ちてくるでしょうから」
篠崎も渡辺も驚いて新谷を見下ろした。
「……あ」
新谷は唖然とした空気に気づき、頭を掻いた。
「なんちゃって…。はは」
篠崎はその顔にふっと笑うと、彼の肩を叩いた。
「やっぱりお前すごいよ。新谷に任せておけば、うちの太陽光パネルも安泰だな」
「そんな、はは」
「いやいや、セゾンを背負って立つ男だ!お前は」
「大げさですよ…」
「説明会も頼んだぞ」
「はい!」
新谷はその資料を大切そうにクリアファイルに入れると微笑んだ。
「…………」
急に表情を曇らせ黙った篠崎を新谷が見上げる。
「篠崎さん?どうかしましたか?」
「あ、いや……」
自分が発した言葉に何かとてつもない嫌な予感を感じながら、篠崎はパソコンを閉じた。
◇◇◇◇◇
「はい、イベントは劇やるからねー」
打ち合わせがあった篠崎の代わりに、ハウジングプラザのミーティングに参加してきた渡辺は、定時間近の営業スタッフに資料を配り出した。
「劇?」
篠崎が眉間に皺を寄せる。
「ただ説明しただけじゃつまらないじゃないですか。エコキュートだから体感も何もないし。だから、劇で笑いを取りつつ、説明しようってメーカーさんと話してて」
「なんすか、これ」
金子が渡された資料を見て、口を開ける。
「見てわかんない?台本だよ」
渡辺はにやりと笑った。
「若手は強制参加だからね」
「配役は、パパ、ママ、子供2人、電車で揺れてる人、かな」
全員を立たせてから渡辺が言うと、
「あ、俺、電車で揺れるの、得意です」
新谷が手を上げる。
「俺も、新谷さんの隣で揺れてるの得意です!」
金子も手を上げる。
「はい、馬鹿2人は黙ってね」
渡辺はバッサリ切ると、続けた。
「セゾンの枠は、ママ、子供2人、以上」
どうやら自分は関わらなくて良さそうなので、篠崎は自席に腰を下ろした。
後輩2人が新谷を見上げた。
「じゃあ、もう決まったようなもんじゃないですか」
「え?」
新谷が眉間に皺を寄せる。
「ママー」
金子が言う。
「ママー」
細越も続ける。
「嘘だろ―――」
「新谷君……」
膝に手をつく新谷に、渡辺が引き出しから何かを取り出し渡した。
「頼むね?」
それはいつぞやのエプロンだった。
「セゾンちゃん、再来だな」
篠崎が半ば呆れながら言うと、新谷は、
「そんなぁ」
と言って項垂れた。
嘘みたいに平和な夜だった。
篠崎は日中、渡辺を飯に誘い、新谷と別れたことを話した。
勘のいい渡辺は篠崎が話す前から大体わかっていたらしく、
「そうでしたか。残念ですけど、しょうがないですね。俺がとやかく言うことじゃありませんし。
でも新谷君を見守り育てるという意味ではこれからも変わらないですよね?態度や対応を変えたら、許しませんよ?」
と確認してきた。
渡辺もまた、新谷に絆された一人なのだと再確認すると、同じ展示場に彼という存在がいてよかったと心から思えた。
台本と新谷を見比べながら笑っている金子と細越を見上げた。
彼らも新谷を慕っている。
まだ別れたことは言っていないが、細越はなんとなく気づいている気がする。
金子は気づいていないが、新谷に憧れ以上の何かがありそうに見えるので、このまま気づかないでいた方が……。
(……いや、今のはおかしいな)
篠崎は自分の考えに苦笑した。
もう新谷を解き放つと決めているのに。
「『あたしもう無理。離婚だわっ!』」
試しに台詞を口にしながら、新谷がみんなの笑いを取る。
その笑顔に曇りは一切ないように見える。
数日前に篠崎と別れたばかりなのに――
先週までは何の憂いもなく、朝から晩まで一緒に過ごしていたのに――。
―――お前は、俺がいなくても平気なのか……?
篠崎も皆と一緒に微笑み、手を叩きながら、元恋人の笑顔を眺めていた。
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