未だ夜は明けない。
窓からは相変わらず人工の青い光。街灯だ。
月のように時間によって位置を変えない。
だから、今が何時なのか見当がつかない。
喘ぐような呼吸が徐々に落ちついたためか、傍らに横たわる男がぴたりと身を寄せてきた。
「どしたの、有夏?」
「んーん……ふふっ」
「何? どうしたの」
狭いベッドに寝ころんだまま、幾ヶ瀬は身体の向きをずらせた。
恋人の顔はすぐ目の前。
鼻と鼻をくっつけるように更に近付くと、やはり有夏はニヤつくように頬を歪める。
「だって……」
問いつめる視線に、逆に笑いがこみ上げたか。
「だって。いくせ……ふっ……ふふっ」
やはりクスクス笑う。
「なになに? 俺が何なの。何笑ってんの?」
「だって、さっきは幾ヶ瀬……」
もう遠慮する様子もなくヒャヒャと笑い転げる。
何だか分からない幾ヶ瀬は、取り残されたという思いを不機嫌な表情として表そうとするのだが、あえなく断念した。
目の前で何だか楽しそうな様子の有夏につられて、頬が緩んでしまう。
「だから何なの、有夏。俺なんかした?」
笑い声が途切れる。
「何かしたって……なに言ってんだよ。いっぱいシタくせによ」
いかんせん下品な物言いだが、咎める気にはならない。
ニヤつく有夏と至近距離で視線が絡み合い、幾ヶ瀬はようやく合点がいった。
思い出し笑いというやつか──先ほどの行為を脳内で反芻しているのか?
つまり、ヨかったということか。
そうなると幾ヶ瀬もまた口元がだらしなく緩むのを抑えられない。
「だって、有夏のいいところは分かってるし。ねぇ」
「なに言ってんだよ。どこが何って?」
有夏が肩を震わせている。
バカップルという言葉が脳裏に浮かんで、幾ヶ瀬は更におかしさが込みあげるのを自覚した。
おかしさと、それから愛おしさもあるか。
「そりゃね、有夏のいいところって言ったら……」
わざと両手の人差し指をツンと伸ばすと、有夏は身をよじった。
「ダメダメダメ! さわっちゃヤだって! 幾ヶ瀬、しつこいからイヤだ。口で!」
「何? 口でするの?」
「ちがうって! 口で言えってば」
胸元を守るためか、それとも笑いすぎたせいか。
有夏は寝ころんだまま腹を押さえて背を丸めた。
お尻のナカでしょ、乳首でしょ、耳でしょ──なんて本当に口にすると、有夏はきっと子どものように笑い転げてベッドから落ちてしまうだろう。
そうすると痛みで急に機嫌を悪くしてしまうのだ。
そう、先は読めている。
勝手な奴だが、そこが有夏の可愛いところなのだ。
だから、幾ヶ瀬は言葉を濁した。
「有夏の良いところを述べよって話だよね? うーん……えっと、うぅーん……あっ、食べ物の好き嫌いがあまりないよね。あと、えっと、うーん……そうだ! 寝つきがいいかな」
「……絞り出したな。そこまで考え込まないと出ないか? 有夏の長所は」
「いやぁ……あっ! 怒ってもめげない鉄メンタル(家の中限定!)」
「ソレほめてねぇし。なんだよ、家の中限定って」
しまった。間違えたか。
有夏のご機嫌を慮って、幾ヶ瀬は一瞬うろたえる。
しかし……あるだろうか。目の前のニートに良いところなど。
顔はいいか。確かに顔はいいと思う。うん。
むしろ良いのは顔だけ、という言葉を幾ヶ瀬は先程から口に出しかかっては呑み込んでいる。
そう、ここで間違えてはならない。
「有夏の良いところはいっぱいあって。実際、口では表しにくくて……そう、えっとね……」
もういいよと、有夏は逆に呆れたような口調だ。
さして深刻さは感じられないが、それでも幾ヶ瀬は踏ん張った。
有り体に言えば、相手の機嫌をとる──事後においてこれはこれで非常に重要なことなのだ。
「あ、有夏は格好良くて可愛くて、好き嫌いがなくて、あと何だっけ? あっ、寝つきがよくて完璧だよ」
「はぁ?」
しまった、これも間違えたか?
いや、まだいける。踏ん張れる。
「こ、この上、有夏にスペシャルな要素が加わったりしたら大変だよ! 大統領になっちゃうかもしれないよ?」
「はぁ……?」
「いやだ、有夏が大統領になったらどうしよう」
「どうしようって、お前がどうしようだよ。大統領とか中世ヨーロッパとか、ほんと訳の分かんねぇ奴だな」
「大統領にならない?」
「ならないんじゃないかな」
「じゃあ、中世ヨーロッパにならない?」
「……ちょっと意味が分かんないかな」
呆れたような口調だが、意外と声は柔らかい。
腰に手を回すと有夏はクスクス笑い出した。
「人のことより自分のこと考えろよ。心霊系ユーチューバーになる夢はどこに行ったんだよ」
「そ、それは……」
人のことより自分のことを考えろ──そっくり返してやりたい言葉だが、幾ヶ瀬はぐっと飲みこむ。
窓から射しこむ弱い青の光の中で、有夏が穏やかに笑っているから。
「いいかんじの心霊トンネルを見つけたって言ってたじゃねぇか。あれは?」
「……トンネルはちょっと。怖すぎるかなと思って」
「怖いからいいんじゃないのかよ」
「……いや、怖すぎるのはちょっと」
「心霊系向いてねぇな」
幾ヶ瀬は確信する。
恋人は今、最高に機嫌が良い。
「……ね、有夏。もう一回していい?」
「もっかい? ヤだよ」
「ええっ……」
「うそ。いいよ。やさしくしてね(笑)」
「うんうん。やさしくするする」
「言い方よ」
細い身体を抱き寄せる。
生活力のない駄目ニートと言ってくれるな。
中二病をこじらせたクズと言ってくれるな。
ゴミ屋敷のゴミ住人なんて言ってくれるな。
何といっても、可愛いのだ。
それが、幾ヶ瀬にとって有夏の一番いいところであった。
「ここも、いいところ(バカップル攻さんの述懐)」完
次回は「笑劇!インタビュー☆IKUSE」というお話です。
例によって来週末に投稿します。
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