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『ノロノロしてんじゃねえよ、なんて言うなよ』
夜の街は、雨が降っていた。
街灯の下、レンはゆっくり歩いていた。
制服のシャツは濡れて重く、胸の奥の痛みまで染み込んでくる気がした。
ポケットの中には、ずっと握りしめたままの小さな検査薬。
線が二本。
それを見てから、何日も経っているのに、心の中はまだ整理できないままだった。
ハルに言わなきゃ。
でも、言ったらきっと、笑われる。
「男のくせに、なに言ってんだよ」って。
だから今日も言えなかった。
笑って、ふざけて、殴り合うみたいな愛し方しか知らなかった。
それでも、あの人の手が好きだった。
タバコの匂いも、乱暴な言葉も。
全部、あったかかったのに。
その日、二人はいつも通りの喧嘩をした。
理由なんて、きっと些細なこと。
レンが少しぼーっとしてた、それだけ。
「ノロノロしてんじゃねえ!」
背中を押されて、身体がよろけた。
ほんの少しの力だった。
だけど、レンの中の世界が、ぐしゃりと音を立てた。
ハルの顔が歪んで見えた。
痛みなのか、恐怖なのか、自分でもわからなかった。
――お腹の中が、静かだった。
次に目を覚ました時、白い天井があった。
誰かが泣いている声がした。
母親の声だった。
何かを失ったことだけは、すぐにわかった。
けれど、何を失ったのか、頭が追いつかない。
身体が軽い。
でも、それは「楽になった軽さ」じゃなくて、
「空っぽになった軽さ」だった。
レンは、もう泣かなかった。
泣けなかった。
涙の出し方を、忘れてしまったみたいに。
時間が経っても、何も戻らなかった。
カーテンの隙間から差し込む光が眩しくて、目を閉じた。
何も感じない。
ただ、呼吸だけが続いている。
それが「生きてる」ってことなんだろうけど、もう実感なんてなかった。
母が毎日見舞いに来た。
ハルも、何度も病院に来ていたらしい。
でも、母は言った。
「もう、あの子に近づかないで」
その言葉がどれだけ冷たかったかは、想像がついた。
でも、レンの耳には、届かなかった。
世界の音が、すべて遠くにあるみたいに。
誰かがドアの外で泣いていた。
その声を聞いても、レンは動けなかった。
あの日、押された背中の感覚だけが、何度も何度も夢に出てくる。
――あの時、手を掴んでくれたら。
――あの時、「ノロノロしてんじゃねえ」じゃなくて、「大丈夫かよ」って言ってくれたら。
そう思うたびに、胸の奥が軋む。
痛い。苦しい。
でも、それでももう、何も変わらない。
世界はあの日から止まったまま。
レンの中だけが、あの日に取り残された。
「ノロノロしてんじゃねえよ、なんて言うなよ、」
レンは、誰にともなく、口の中で呟いた。
そして、その声は、静かな病室の中に吸い込まれていった。
――もう、誰にも届かないまま。