テラーノベル
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冬の澄んだ空気の中、授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。しばらくは席を立つ気もさらさら無いのに、わっとざわめき立つ喧騒と窓から差す午後の眩しい陽光が僕の安眠を妨げてくる。
──ふと、僕の後ろの席が騒がしくなる。といっても駆け寄ってきたのは1人の女の子で、片手に下げた紙袋からは何やら甘い香りが漂っていた。僕は意地でも振り返ってやらないからな、と肩にかけていた学ランを頭から被る。
「ねぇ、宇佐美くん。今日はあたしと付き合ってよ」
「うーん……それは報酬次第ですなぁ〜?」
「っへへ、そのオタクっぽい喋り方やめてよ。今日はねぇ……じゃーん! お取り寄せ限定、老舗和菓子屋さんのフルーツ大福でーす!」
「うぇ、何それ知らない! すげえ高いやつなんじゃねえのそれ?」
あからさまに声が明るくなる彼にどこかから「現金なやつ」とガヤが聞こえるが、元々彼は人からの頼みを断れない性分だ。報酬次第なんて茶化してはいても、最初から断るつもりなんてなかったんだろう。
「ふっふっふ。そりゃあ、今流行りの『レンタルスイーツ彼氏』の宇佐美くんだもん。レートも上がるってもんだよ」
「えぇ……俺そんなことになってんの? 今」
「すごいよー、ほんとに。2組の方にも噂広まってるらしいし、競争率高いって聞いたら『最後の授業終わった瞬間ダッシュで行く!』って言ってた子もいたもん」
「んな大層な扱いされても困るんだけど……」
そう言って本当に困ったように笑うリトくんは、どこか遠い国の人みたいに思えた。
僕はそれ以上彼が持て囃されるのを聞いていたくなくて、学ランを被ったまま両耳を塞ぐ。机に突っ伏するのに合わせてカシャンと眼鏡がずり落ちて、何だかすごく、惨めな気分だ。
──『レンタルスイーツ彼氏』、というのはここ最近リトくんがやっている、というかやらされている事業のことだ。もちろん金銭を受け取ったり不健全な行為をしているわけではないので校則としてはセーフだが、僕という立場から言わせてもらうとかなり、いやものすごく複雑だ。
きっかけはそう、僕たち『お悩み解決部』に寄せられた一件の依頼だった。
「──お願い宇佐美! 今日だけうちの彼氏になってくんない……!?」
「…………は?」
クラスメイトによる突然の懇願に、リトくんは口をぽかんと開けたまま固まってしまう。彼女はぴしゃんと合わせた両手の隙間からこちらを伺っている様子で、とにかく何か反応を示さなくてはいけないらしい。
と言っても、豆鉄砲を喰らった鳩もとい鶏状態のリトくんでは話にならないだろう。それを察した僕が助け舟を出すより先に、マナくんが勢いよく滑り込んできた。
「アンタっ……不純異性交友はアカンってお母さんなんべんも言うてるやろ……!?」
「は!? いやちげえって!! ていうかこんなときに茶番差し込んで来んなって!」
「お前最近どうなんだ、その……どうなんだ」
「ウェンも無理矢理割り込んでくんなよ、お父さん口下手すぎて何が言いたいのかよく分かんなくなってるし」
途端にぎゃあぎゃあ騒ぎ始めた3人に面喰らっている彼女に、僕は「詳しく話を聞いてもいいかな?」となるべく角が立たないように問うてみる。
「あ、えっと……今日の放課後にね、他県の高校行った元彼が会いたいって連絡してきたんだけど……多分、よりを戻したいって話なんだよね。うちとしてはもう、お前とだけは絶っっ対にねえから!! って感じなんだけど」
「あー……だからリトくんに彼氏のふり? をしてもらいたいってこと?」
「そうそう。宇佐美ってなんか、お悩み相談コーナー? みたいなのやってんじゃん。だからちょっと助けてくんないかなーって」
そういうことなら話は早い。リトくんも納得しているようだし、正しくは『お悩み解決部』として断る理由は無いだろう。
──と思った矢先、難しい顔をしたウェンくんがまたもや間を割って入ってきた。
「でもさあ、それってどうしてもリトじゃないとだめ? わざわざこんないかち〜奴選ばなくたってさ、他に彼ピのふりできそうな奴たくさんいると思うんだけど」
「えっ、俺ってそんな見た目いかついの??」
「そんだけタッパあったらどっからどう見てもいかついだろうがよ〜」
ニコニコと軽口を叩きつつ、ウェンくんが何やら目配せをしてくる。……どうやら、『ふりとは言ってもリトが誰かの彼氏になるなんて嫌でしょ?』とでも言いたいようだ。僕の心を見透かしたかのような気配りがありがたいやら情けないやらでいっぱいだ。
しかしそんなウェンくんの心遣いも、彼女が次に放った言葉によって意味を為さなくなってしまうんだけれど。
「それがさぁ……元彼、格闘技とかやっててけっこうガタイ良い感じなんだよね。だからこそ変に反論して、殴られたりとかしたら……とか考えるとほら、怖いじゃん?」
へらりと笑みを浮かべつつも、彼女は自分をかばうように腕をさすっている。聞いた話しから察するに、相手も中々理性的ではなさそうな雰囲気だ。
そんなふうに言われたら、そりゃあ黙っていられないのがリトくんという男で。
「……うん。分かった、やるわ。制服はこのままでいいの?」
「あ、マジ? うわ超助かるありがと〜! 制服はね、うん、そのままでいい。『お前と違っていま彼氏とは同高だから』ってマウントも取れるし」
「それ、なんかもっとめんどくさいことになりそうじゃね……?」
「大丈夫大丈夫、誰かに見られたら適当に言い訳しとくから!」
先ほどとは打って変わって弾けるような笑顔を浮かべた彼女は、おもむろにスクールバッグから財布と思わしきキルティング生地のポーチを取り出した。
「支払いはー……やべ、今月金欠だわ。2000円でいい?」
「はっ? いやいやいや、金とか受け取れないわ。しまって財布」
「えー? でも今週末テストあんじゃん。そん中で放課後まるまる潰すってさすがにあれだし、言っちゃえばレンタル彼氏みたいなもんだし? さすがになんかは受け取ってもらわないと……あ、」
彼女はスクールバッグを漁るうちに何か良いものを見つけたようで、意気揚々とそれを片手に掲げた。反射光に目を凝らすうちに像を結んだのは、どうやら市販のチョコレート菓子のようだ。
「じゃあ、これあげるよ。レンタル代がわり? 的な。これくらいなら良いでしょ?」
「えぇ……? まぁ、うん。これくらいなら……」
リトくんは目の前に差し出されたそれを受け取り、かくして交渉は成立となったのだった。
──そして、現在に至る。
ちなみに格闘技をやっているガタイの良い『元彼』とは意外にもなよっちく、今彼として紹介されたリトくんを見るなり回れ右して帰ってしまった。さすがに180cmオーバーのオレンジ髪全身筋肉男は恐ろしかったのだろうか。
そして案の定他のクラスメイトに見られていたらしいこの話は瞬く間に広がり、物好きな女の子たちの間で密かにモテていたリトくんは『スイーツを対価として支払えばレンタル彼氏になってくれる』と噂になってしまった。
『レンタルスイーツ彼氏』としてやっていくための決まりごともいくつかあって、そのうちのひとつは『レンタルできるのはその日の放課後の間だけ』というもの。休日はさすがに自由にさせて欲しいからとリトくんが最初のうちに決めたことだ。
そしてふたつめは、『レンタルをお願いしていいのは終業のチャイムが鳴ってから』。つまり事前予約は不可ということになる。これは少し前に揉め事が起きたのがきっかけで、端的に言えば「登校早々に目の前で喧嘩されちゃたまったもんじゃないよね」といった感じ。深くは聞かないで欲しい。ちょっと巻き込まれただけの僕ですらあれは本当に大変だったから。
みっつめ、『本当の恋人同士とだけするようなことは全てNG』。ぼかした言い方をしてはいるが、つまりキスやハグ、それから先の行為などはもっての外ということだ。まぁ、これに関しては当たり前っちゃ当たり前だよね。本来の企業がやってるようなレンタル彼氏の注意事項にも書いてあるし。
そして最後に、『レンタル彼氏はあくまでレンタル』──これは言及するまでもないけど、要は「勘違いするな」ってことだ。
実はこの決まりについてだけ、リトくんから直接聞いたことはない。だって、どうせ聞いたって胸糞が悪くなるだけだ。彼が善意でやってる事業なんだから、利用する側だってきちんと身の程を弁えなければならない。
それらの決まりさえ守っていればあとは基本的に自由で、普通にデートを楽しんだり、一緒に図書館で勉強をしたり、時には男子がレンタルを頼んできて『部活の助っ人に入ってくれ』なんてこともあったりした。
ちなみに今言った注意事項は全てクラスのグループチャットで共有されているらしい。何だそれ、もはや晒しだろ。というか僕そのグループ呼ばれてないんだけど。
兎にも角にも、今リトくんの放課後のスケジュールは連日ぎちぎちに埋まっている。それはもう、ただの友人である僕の入り込む隙なんて見つからないくらいには。
「ね〜……もういいから、早く行こ。うち門限厳しいんだって」
「いやそれ初耳なんだけど……あ、ちょっと待って、」
ふいに目の前が明るくなって、渋々まぶたを開けば視界いっぱいにリトくんの顔が映った。一瞬、呼吸が止まる。
「ッッぅ゛わぁっ!?」
「はは、ビビりすぎ。テツは今週いつ空いてる?」
「はァ……? ……忙しいのはリトくんでしょ、僕はおかげさまで土日どっちもフリーだよ」
「いや、忙しいのは平日だけだって……んじゃ土曜日、一緒にオンラインでゲームやんね? 前おすすめした格ゲーあんじゃん、あれ近々アプデ入るらしくってさ」
「えっマジで!? やるやる! 今度こそ一本取ってやるからな!!」
「ふーん? 楽しみにしとくわ」
早くも意気込む僕を見下ろして、リトくんは小馬鹿にしたように笑う。その大人げない笑い方も、自由なはずの休日に遊ぶ予定を組むことも、今のところは全部『友達として』の特権だ。
だから僕は、彼をレンタルするつもりはない。僕がどれだけありふれた物好きのうちのひとりだとしても。
じゃあな、と振られる手を危うく追いかけてしまいそうになり、慌てて下ろす。赤くなった耳が見られていなければいいんだけど。
「──なぁ。良かったん、テツ」
眼鏡をかけ直していると、床に落とした学ランをすっと後ろから差し出された。振り向いてみれば、そこには心配そうな顔をしたマナくんと、心なしか真面目な顔のウェンくんが立っている。
「何が? リトくんが好きでやってることなんだから、僕が口出しできることとか無いでしょ」
「それは……」
「あの筋肉ゴリラがあんなにモテてたの、しょーじき意外なんだよねぇ。……放課後、最後にリトと遊んだの、いつだっけ」
「そんなに経ってないよ。多分、2週間とか──そこらじゃない?」
「…………」
マナくんが何か言おうと口を開いて、また閉じた。それを横目に見ながら、きっと僕らの考えることは同じなんだろうなとぼんやり思う。
リトくんが『レンタルスイーツ彼氏』で忙しくなってからは、『お悩み解決部』の方の活動に参加できることも少なくなっていた。さっきの話みたいに休日何人かで遊ぶことはあっても、この4人で集まって駄弁ったりゲームをしたりすることはほとんど無い。彼の放課後は僕らのものでもあったのにな、なんて考えてしまうのは傲慢だろうか。
「ねぇ、テツ。言いたいことがあるならちゃんと言わなきゃだめだよ。特にあの脳筋には、はっきり言っとかないと伝わんないよ」
「……言いたいことなんて無いよ。伝えたいことも。──聞いたでしょ、」
『競争率』、高いんだって。
自分が今どんな顔をしているかは分からないけど、ウェンくんはほんの少しだけ動揺したように瞳をゆらめかせて「そっか」と小さく呟いた。
言葉にはしなくても、ウェンくんとマナくんは多分、僕の気持ちに気付いている。だから応援してくれているんだろうけど、僕だって負けが見えてる試合に挑むほど無謀じゃない。
まだ、諦めはつく。ついている。
──だから、大丈夫。
「じゃあ僕、バイトあるから」
「……テツがええならええんやけど、でも、」
「マナ」
僕を引き留めようとするマナくんを、ウェンくんが止める。マナくんは一瞬ひどく傷ついた顔をしたあと、すぐに笑って「バイト頑張ってな」と呟いた。
そんな不恰好な顔じゃ誤魔化されないよ、なんて言える身分でもないので見なかったことにして、「いってきます」とだけ返す。こんなに優しいふたりに気を遣わせているようじゃ僕もまだまだだ。
リトくんの席に漂う甘い残り香に惑わされないように、僕は早足で教室を後にした。
コメント
8件
初コメ失礼します。🙇♀️ 本当に続きが気になる✨️ どうやってこんなのが思いつくんですか?すごすぎませんか?

今回はちょっと切ない感じがしてめっちゃ好きです! 続き楽しみにしてます♪
お、おんぎゃあ…(?)(1人のオタクが死んで生まれ変わった音(???))