対する想の方は甘々のコーヒーにご満悦のようで、美味しそうに目を細めてコーヒーを口にしている。
そんな想を見ながら、結葉も自分が手にしたカップの中身をひとくち口に含んだ。
(う……っ)
やっぱりいつもよりかなりコーヒーが強目で、結葉にはちょっぴり苦かった。
ブラック派の公宣は、何も入っていないコーヒーを美味しそうに飲んでいる。
***
「今日来てもらったのはね、想が結葉ちゃんと同じ部屋で寝泊まりしていると聞いたからなんだ」
公宣の言葉に結葉はギュッとカップの持ち手を握りしめる。
公宣が口にした言葉は、手にしたカップの中のコーヒーなんか比べ物にならないくらい苦い内容だった。
「だから! それはちゃんと理由言っただろ? 結葉が一人じゃ不安だからだって」
想がそんな結葉を庇うみたいに言い募って。
結葉は何だか申し訳ない気持ちになる。
「すみません。私のせいでご迷惑をお掛けして……」
結葉の言葉に想が「結葉!」と咎めるような声で呼びかけて、即座に眼前の父親を睨みつけた。
「親父が余計なこと言うから結葉が気にしちまっただろ!」
想の言葉に、公宣は小さく吐息を落とす。
「想。少し冷静になりなさい。父さんだって結葉ちゃんは可愛いし守ってあげたいと思っているよ。でもね、――だからこそ、だ」
公宣の言葉に結葉は俯けていた顔を上げた。
「あの……それはどう言う」
問いかけたら、公宣が結葉に優しくニコッと微笑みかける。
「結葉ちゃん、まだご主人との離婚は成立していないんだよね?」
「……はい」
その通りだったので小さく頷いたら、公宣が想をチラリと見遣ってから、すぐさま結葉に視線を戻す。
「うちの想と結葉ちゃん、それからうちの芹が幼い頃から仲良しなのは私も知っているよ? 小さい頃はお互いの家をよく行き来してお泊まり会もしてたよね?」
「はい」
コクッと頷く結葉を、公宣が愛おしそうに見つめて。
「でも――、今はもうみんないい大人だ。違うかい?」
諭すような口調で言われて、結葉はギュッとカップを握りしめた。
公宣の言う通りなのだ。
想はいま二九歳、結葉は二六歳。
無邪気に戯れあっていた子供のころとは違う。
それは、想と過ごしてみて、結葉自身が、嫌と言うほど実感させられていた事実だ。
「二人に限って間違いが起こるだなんて、私は思ってないけど……だけど、世間一般の人たちはどう思うだろう?」
例えば離婚調停するようなことになった場合、それは結葉にとって不利になるはずだ。
公宣に優しく示唆されて、結葉も想もグッと言葉に詰まった。
偉央は今のところ、結葉と争う姿勢は見せていない。
だけど絶対なんてありはしないのだから。
「少なくとも結葉ちゃんの婚姻生活に何らかの形でハッキリと白黒がつくまでは、若い男女が二人きりで生活するなんてこと、しない方がいいんじゃないかと私は思うんだけど、どうだろうね?」
「――おっしゃる……通りです」
結葉が静かに同意したら、想が「けど結葉……」とつぶやいて。
結葉は想の顔をじっと見つめると、「想ちゃんだってその通りだって分かってるでしょう?」と眉根を寄せた。
「それはそうだけど……。けど俺、結葉をどこかにやるとか考えらんねぇんだけど」
想が苦しそうに吐き捨てて。
結葉も小さく吐息を落とした。
現実問題として、今現在収入のない結葉はアパートを借りたりすることは無理だ。
そうなると、実家に戻るのが一番現実的ではあるのだけれど。
(一人で実家は……やっぱり怖い……)
実家は偉央に場所を知られているから。
偉央は結葉を連れ戻すつもりはないと言ってくれたようだけれど、じゃあ、と言ってそれを鵜呑みにしてのほほんと実家に住み着けるほど結葉はまだ図太くなれそうにない。
「俺が……あのアパートを出たらいいのか?」
憮然とした口調で想が公宣に問うて。
結葉は「想ちゃんっ!」とそんな想を心配そうに見つめた。
「想。お前は結葉ちゃんを一人ぼっちであのアパートに置いておけるほど薄情な男なのかい?」
だけど公宣に全てを見透かされたような目で見つめられて、想は言葉に詰まってそっぽを向く。
それが出来なかったから今みたいなことになっているのだ。
「じゃあ。親父は結葉に実家にでも行けって言うのかよ」
想が腹立たしげにつぶやいたのを見て、公宣が小さく吐息を落とした。
「それ、お前は結葉ちゃんに言えるの?」
そこで結葉に視線を移した公宣が、「結葉ちゃん、旦那さんに知られてる実家に一人で住める?」と問いかけてきて。
結葉は頷くべきだと分かっていても、どうしてもそうすることが出来なかった。
「親父っ! 何てこと言うんだよ!」
それを見た想が、思わずと言った感じで立ち上がって父親に抗議するのを、結葉はそっと彼の手に触れて止める。
「すみ、ませ……。いまはまだ………無理……です」
それでも結葉は泣きそうになりながら、か細い声でそう言うのが精一杯だった。
そんな結葉の頭を、公宣が優しく撫でてくる。
その感触が、余りにも想の手に似ていたから。
結葉はハッとして顔を上げて、ソワソワと公宣を見遣った。
やっぱり想と公宣は親子なんだと痛感させられた結葉だ。
想がそんな公宣の手を腹立たしげに掴んで結葉の頭から引き剥がして。
公宣は苦笑しながら手を引っ込めた。
「ねぇ結葉ちゃん。例えば、なんだけどね? ……それが結葉ちゃんの実家じゃなくて、我が家だったらどうだろう?」
優しい声音で問いかけられた結葉は、「え……?」とつぶやいて、すぐ前に座る公宣を見詰めた。
「それなら……大丈夫だと、思います」
山波家には常に誰かがいてくれる。
そういう状況ならきっと、結葉は恐怖に打ち勝てると思って。
「だったらうちにおいで。幸い部屋はたくさん余ってる」
何でもないことのように公宣が言うから、結葉は瞳を見開いた。
「いい……ん、です、か?」
恐る恐る問いかけたら公宣がニコッと笑って「もちろん。むしろ大歓迎だよ」と言ってくれた。
「ちょっ、親父……だったら俺もっ」
「ん? もしかして想もうちに帰って来たくなった?」
クスッと笑って公宣が息子を見て。
想は決まり悪そうに「お、俺はっ。結葉を守るって決めたからっ! 結葉がそうするってんなら戻るしかねぇだろっ?」と唇を尖らせる。
「もちろん父さんはお前がうちで寝泊まりするのも歓迎するよ。久しぶりに芹と想がひとつ屋根の下とか……母さんが知ったらきっと大喜びだね」
二人のやりとりを見て、結葉はせっかく一人暮らしを楽しんでいるかもしれない想が、自分のせいで不自由を強いられるのではないかと不安になって。
「想ちゃん、いい、の?」
ソワソワと瞳を揺らせながら問いかけた。
「いいも何も……近くにいなきゃいざって時にお前を守ってやれねぇだろ?」
想に言われて、結葉はウルッとしてしまう。
「想ちゃん、ごめ……」
いつもの癖でつい謝りそうになって、今朝想から言われた言葉を思い出した結葉が、「ありがとう」と言い直したら「おう」と頭を撫でられた。
コメント
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想ちゃんのお父さんの言うようにしたらいいよ。 想ちゃんも一緒なら安心。