話すべきではなかっただろう。長らくアンソルーペを騙ってきた魂は、打ちひしがれたアンソルーペの祖父を見つめて思う。娘と故郷を奪われた怒りを大王国ではなく魔導書に向けた祖父に、孫娘の死という薪を焚べることとなった。
「魔法少女というのが特別な存在だということは分かった」とケイヴェルノは独り言のように呟く。「魔導書の中でも、製作者に寵愛された存在なのだろう? ならば、それを焚書できたならば何かが変わるかもしれない。少なくともあの少女は普通の魔導書と違って傷つくのだから」
ケイヴェルノの剣と盾が赤熱し、輝きを放つ。凍てつく空気が辺りから一掃された。それと同時に焚書官たちも、やはり朝日と影の間から滑り出てくるように姿を現した。ケイヴェルノと同様に剣と盾を備えた臨戦態勢だ。
反射的にかわる者も【笑みを浮かべ】、アンソルーペを魔法少女に変身させる。
「あなたにユカリを討てるとは思えないけど、第一の使い魔としてあの子の邪魔はさせない」
かわる者の決意を秘めた言葉にケイヴェルノは淡々と答える。
「その魔導書をお前が持っている今こそユカリを討つ最大の好機というわけだ」
「残念ながら、この魔導書を持つ私が一番強い私だよ」
そう言って魔法少女の代理人かわる者は杖を高く掲げる。と同時に息を【吹く】。小手調べに杖の先端から風を放つが、最大出力でも僧衣を棚引かせるのが限界だった。ケイヴェルノも焚書官たちも微動だにしない。続けて高密度の水流を撃つも赤熱する盾は余すことなく蒸発させ、冷たい夜を白く染めるばかりだった。であればと石礫を発射する。しかしそのどれも、ケイヴェルノどころか焚書官を打ち倒すことさえできなかった。首席焚書官の聖典たる盾には及ばないが、焚書官たちの携えた盾の内にも魔法が息づいているのだった。全ての石礫を防がれ、ケイヴェルノの聖典の盾に至っては石を溶解してしまう。
「もはや魔法少女の手の内など全ての焚書官が把握しておる」ケイヴェルノは戦いに臨む高揚など微塵も見せずに言う。「さあ、まだあるだろう。近づかねば使えぬ魔法が。遠慮するな。使ってみろ。それともこちらから行こうか」
焚書官たちが首席の歩みに合わせ、じりじりと迫ってくる。魔法少女の魔法を弾きながらもなお油断することなく包囲網を狭めていく。熱風、熱気が南の海の真夏のようにアンソルーペを苛ませる。
「手段を選んではいられないようだね」「選んでたんですか?」「傷つけたくないでしょ?」「優しいんですね」
そう言い残し、アンソルーペは空気に溶けるように消え去った。縦横高さのいずれとも違う別の次元、深奥に潜り、肉体に囚われた焚書官たちの死角へと逃れた。魂を剥き出しにした輝かしいガレイン半島の丘を駆け回り、焚書官たちの影を掴んでは同じ深さまで引きずり下ろしていく。湖の暗い水底に沈められたかのように魂が剥き出しになった焚書官たちは己を見失う。深奥での在り方を学ぶ機会などそうはない。その内、何人かは捉える前に逃げ出し、何人かは何らかの魔術でかわる者の気配自体を察知しているのか、第一の使い魔の伸ばす手から巧妙に逃れる。しかしそれで十分だ。焚書官たちの剣はかわる者に届かず、盾は防げない。
かわる者はケイヴェルノの魂に忍び寄り、【吐息を吹き付ける】。
「はい。喧嘩はやめやめ」とケイヴェルノが焚書官たちに向かって宣言する。「それともこの場合の対策は考えてる?」
困惑する焚書官たちを尻目にケイヴェルノとアンソルーペが向き合う。
アンソルーペの体の中でかわる者は眠りにつき、アンソルーペが表に出てくる。
「ありがとうございます」とアンソルーペが礼を言う。「お祖父ちゃんを傷つけないでくれて」
「何が? これが手っ取り早いってだけだよ」とケイヴェルノに【憑依】したかわる者が返す。「それで、どうする? 私との約束は果たしてくれたし、早速大王国を追い出す?」
「もういいのですか? 封印を受け入れるのですか?」
「アンソルーペとの約束を果たした後にね。それまではなんとかユカリから逃げなくちゃ」
かわる者は海岸に立つ要塞を見つめる。
アンソルーペは要塞を見つめるケイヴェルノの背中を見つめる。
「とすると初陣は目の前の要塞ですね」
「王子様がガレイン半島侵攻の総司令官だし、これを何とかすれば意外と何とかなっちゃうかもよ」
「楽観的ですね。ほぼ全ての使い魔が敵に回ったというのに」
「ユカリはユカリでまだ機構の所持する使い魔を手に入れないといけないだろうし?」
その時、背後から近づいたアンソルーペが封印をケイヴェルノの背中に貼り付けた。しかしそれはかわる者のものではなく、花形の封印だ。後光の差す翻車魚の絵が描かれている。と同時にかわる者の封印も自ら貼り直す。
「俺に逆らうな、かわる者。黙ってアンソルーペを抑えつけておけ」と虚無が【命じた】。
アンソルーペの肉体は虚無のみが主導権を持ち、二人の魂は命令のままに押し黙った。
虚無はかわる者にだけ【命令した】のだった。それはつまりケイヴェルノに貼った使い魔は虚無派だということだ。
「どういう状況です?」とケイヴェルノに貼られた祈る者が尋ねる。
「船が来た。予想通り巨人の遺骸を載せてな」
「復活の時という訳ですか。その暁には――」
「ああ、俺の知る限りの神々のことを教えてやろう」
「ガレインの守護神、天を司りしガユロのことも、ですよね?」
「ああ、もちろんだ。余すことなくな」
秘密裏に虚無と祈る者は手を組んでいたということになる。しかし魂同士で隠し事が可能だとは今の今までアンソルーペは思ってもみなかった。
「魂の秘儀に関して俺たち巨人に優る者なんていねえんだよ」
そう言って虚無は丘を駆け下りる。
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