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第31話:忙しさの陰で、聞こえなかった報せ
疫病が完全に鎮まってから、私の日々は思いがけない方向で忙しくなっていた。
「今日も、山のようですわよ。……本当に、後宮中の人気者ですこと」
椿が一抱えの書状を運んできて、文机に積み上げていく。かつて『死神の檻』と呼ばれ、誰も近寄らなかったはずのこの離宮に、今では朝から絶え間なく人の出入りがある。
「人気者、というより、便利な道具として使われているだけだと思いますが」
「あら、そういう物言いをする割には、まんざらでもなさそうなお顔ですわよ」
「気のせいでしょう」
(……そういうことにしておこう)
その日だけでも、様々な頼み事が舞い込んだ。若い女官が、頬に浮いた吹き出物の相談を持ち込んでくる。
「薬師様、恥ずかしながらご相談が……。最近、肌の調子が悪くて」
「なるほど。当ててみせましょうか、菓子の食べ過ぎでは?」
「うっ……図星です」
「食生活と、睡眠の質は、肌の状態に大きく影響を与えますので、規則正しい生活と続けていただければ自ずと改善しますよ」
「が、頑張ります」
年配の女官からは、腰痛に効く薬湯の作り方を尋ねられた。
「薬師様のおかげで、この歳になっても畑仕事が続けられますわ」
「無理のない範囲でお願いします。私の薬は万能ではありませんので」
やがて、官吏までもが姿を見せる。
「月白様、恐れながら。来年度の薬草備蓄について、ご意見を伺いたく参りました」
差し出された帳簿に目を通しながら、私は淡々と答えた。
「今の備蓄量では、正直心もとないですね。奇病が今年限りとは言い切れません、雲海地方の霧百合は、もう少し余分に確保しておくべきでしょう。……あとは、この鎮痛草の割合も、少し見直した方がいいと思います」
「はっ、承知いたしました。すぐに手配いたします」
頭を下げ、足早に去っていく官吏の背を見送りながら、私は小さく息をついた。
(……こんなことまで、官吏が聞きに来られるとはね)
少し前の私なら、考えられなかったことだ。薬師の枠を、いつの間にか飛び越えている。
日が暮れ、ようやく一日の忙しさが一段落した頃、私は誰もいなくなった部屋で、積み上げられた書状の山を眺めていた。かつて森の奥で一人、薬草だけを相手に生きていた頃には、想像もしなかった光景だ。
障子が開く音がした。
「……まだ起きてたのか」
「片付けなければいけないものが多くて」
「ふん。相変わらず、人使いの荒い連中ばかりだな」
「おかげさまで、退屈する暇がありません」
焔は答えず、長椅子にどかりと腰を下ろす。その隣に、私も当然のように腰を下ろした。
(……随分と、埋まったものね)
片付けても片付けても、また誰かが何かを持ってくる。それを、面倒だとは思わなくなっている自分がいる。
(……失いたくない)
柄にもないことが、頭をよぎった。
程なく仕事に一区切りをつけ、灯りを落として目を閉じる。
今日一日の忙しさが、心地よい疲労として体に残っていた。
……後から思えば、その頃すでに、王都のどこかで奇妙な報告が上がり始めていたはずだ。完治したはずの患者に、原因不明の症状が再び現れている、と。
だが、その報せが私の元に届くのは、もう少し先のことだった。日々の忙しさに紛れ、私はまだ、その存在にすら気づいていなかった。
コメント
1件
読ませていただきました! 疫病が治まった後の慌ただしい日常と、主人公が少しずつ多くの人に頼られていく温かい雰囲気がすごく良かったです。「死神の檻」と呼ばれていた頃とはまるで別人のような立ち位置になっていて、でも本人は「便利な道具」と冷静に言い放つところが彼女らしくて好きです。 そして、何より最後の一文が気になる……完治したはずの患者に再び症状だなんて、これから何かが動き出しそうでドキドキします。忙しさに紛れて主人公がまだ気づいていない不穏な空気、うまく仕込まれていましたね。 次が気になる!続きを楽しみにしています🌷