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テラーノベルの小説コンテスト 第4回テノコン 2025年1月10日〜3月31日まで
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夜勤明けの瞼に黄色い朝日が鋭く突き刺さる。|西村裕人《にしむらひろと》は目を閉じていても光を感じる気怠さをタクシーの運転席に預けていた。行き交う人の気配は後部座席のドアを叩く事なく、皆、勤め先へと足早に通り過ぎてゆく。



(・・・・粘り損だな)



深酒をした酔いどれ客やキャバクラ嬢の送りのお溢れに預かろうと繁華街のコンビニエンスストアのタクシー待機場で《《上がり》》の時間まで待ってみたが、どうやら今朝は外れの様だ。

その時ピーピーピーピーと車内に無線の音が鳴り響いた。勤務時間をとうに過ぎたタクシー会社の事務所からの呼び出しだ。



(はい、はい今から|帰庫《かえる》しますよ、いちいちうるせえなぁ)



右手で薄汚れた無線機を手に取り応答のボタンを押した。



「|106《いちまるろく》号車どうぞ」

「106号車、夜勤明けで悪いんだが・・・迎車、お願い出来ないかな」

「どういう事さ、日勤の奴らに振ればいいだろ?」

「いやぁ、他の|おっさん《ドライバー》たち嫌がってね」



対向車線の待機場にはのんびり欠伸をしている高齢ドライバーの姿が見える。



「ホテルの待機場に|124《いちによん》号車が暇そうにしてるぜ」

「いや、そこを何とかお願いしたい」

「マジかよ、ブラック企業だな。労働組合にチクっても良いか?」

「今回だけ・・・・頼む!」



だらし無く緩めていた|臙脂色《えんじいろ》のネクタイをキュッと締め直す。



「そこまで頼むって事は美味しい客なのか?」

「西村さん、42km超え。山代温泉までの送り、行くでしょ?」

「マジか、行くわ」



石川県の中心部、金沢城が見下ろす金沢市内から加賀市山代温泉までの距離は約46km、タクシー片道運賃は19.000円を超えるか超えないかの上客だ。

夜勤明けには少し辛いが40歳という若さでもう一踏ん張り出来ない距離でもない。行き先表示板を”予約車”に切り替えウィンカーを右に下ろす。



「で、お迎え先は何処だい?」



ナビゲーションの行き先ボタンを押そうとすると聞き慣れた病院の名前が無線から吐き出された。



「あぁ、有松の岡田病院だわ」

「は?」

「岡田病院。」

「医者の送りか?」

「患者」

「マジか、大丈夫なんだろうな?」

「お得意さんだから問題ない、と思う」

「料金未払いになったらテメェが負担しろよ」



有松の岡田病院といえば有名な精神科病院だ、料金未払いや《《面倒》》な客が多くこの迎えを嫌がる奴は多い。それでこの美味しい仕事を日勤ドライバーたちは”ご遠慮申し上げ候”で俺にその大役が回って来た訳だ。



「で、客の名前は?」

「金魚」

「はぁ?」

「受付窓口に《《金魚》》で声を掛ければ出て来るとさ」

「やっぱ、マジで料金未払いになったらテメェが補填確定な」



有松ならばタクシーの進行方向とは真逆だ。

この時間帯なら警察も居ないだろうと|転回禁止区域《Uターン禁止》で大きくハンドルを切って黄色から赤色に信号が替わる直前の交差点に突っ込む。ラッシュ前の直線道路は比較的空いていて、違反だと判りつつもバスレーンを走行した。横断歩道には黄色い帽子に赤や黒のランドセルを背中に担いだ小学生児童がふざけ合っている。



(ガキの世話くらいしろや)



パタパタと横断歩行旗を手にしたお喋りに夢中なご婦人たちを一瞥し、チンタラした右折車を避けながら幾つかの青信号を通過し左折。

106号車は予約時間より15分程早く岡田病院の正面玄関に横付けした。



(あぁ、早くウチ帰って・・・・ビール飲みテェなぁ)



少しばかり時間を持て余したので、昨晩の営業、何時から何時まで、何処から何処まで、幾らで営業したかを運行管理表に記入し乍ら時間を潰していた。 ピーピーピーピーと無線が鳴った。おもむろに無線機を手に取る。



「106号車どうぞ」

「西村さん、今、何処に車着けてる?」



黒い革のハンドルを抱えながらフロントガラスから仰ぎ見る。

青々したポプラ並木の歩道沿い、白いタイル張りの愛想の無い建物には確かに”岡田病院”の看板が掲げられている。



「・・・何、俺、有松の岡田病院に居るなんだけど、合ってるよな?」



本社配車センターのパソコンでは140台のタクシーの停車位置、その方向、営業状況を確認する事が出来る。

営業状況は色分けされ、


街中を走り乗客を探す営業中 空車 は緑色

客を乗せ指定先に送りに行く 実車 は赤色

予約先の店や客を迎えに行く 配車 / 迎車 は青色

本社に戻って営業を終了する 回送 は灰色



更に各車に振り当てられた番号が表示される。

西村の車は106号車、迎車で青色、北向きで停車していた。



「正面玄関に着けてる?」

「そう・・・だな」



ベージュのカーテンが閉まった正面玄関に|人気《ひとけ》は無い。扉の掲示板には開院時間8:45〜とあった。



「あぁ、ごめんごめん。病院裏の救急搬入入口辺りに着けて」

「106号車、りょーかい」



どうやら俺の勘違いだったようだ。

正面玄関の脇道から病院裏に回ろうと運行管理表の青いバインダーを閉じた時、誰かが後部座席のドアをノックした。



「あ、済みません。これ予約車なんで」



振り返るとそこには小柄な女性が大きめの白いビニール袋を片手に、後部座席の窓からこちらを凝視していた。

吸い込まれそうな碧眼。

青白く華奢な手足、桜色の肩までのボブヘアー。

ノースリーブの膝丈ワンピースはふわりと広がり、裾に向かって|蕾《つぼ》む。まさに真っ赤な《《金魚》》だった。



「え、と。き、金魚さまですか?」



金魚。

その有り得ない客の名前を呼ぶ自分を滑稽に感じながら、右足元のハンドルを引き上げ、ゆっくりと後部座席側のドアを開けると女性はするりと座席に腰掛けた。

ふわりとした眉、カラーコンタクトレンズで彩られた碧眼、シュッとした小鼻、口元は小さくワンピースと同じく真っ赤な色をしていた。

年齢不詳だが若い事には間違いない。



「・・・・はい、そうです」



消え入るようなか細い声。

この可愛らしい娘が上顧客ならば|おっさん《ドライバー》たちは我先にと喰らいつきそうな予約配車なのに・・・・・とふと疑問が過った。

足元のハンドルを下げ、ドアをゆっくりと閉めるとふわりと空気が動いて甘ったるい飴みたいな匂いが車内に充満する。



(・・・この女、癖者客なのか?)



送り先は事前に配車センターから聞いてはいたが、念のために確認する。



「どちらまで行かれますか?」

「山代温泉まで」

「山代温泉の何処までですか」

「総湯のロータリー辺りで降ろして下さい。支払いはこれでお願いします」



差し出された細い指先は桜貝の色をしていた。

手渡されたのは|北陸交通《ほくりくこうつう》の乗車チケットだった。これは事務方が契約先に月末まとめて乗車料金を請求する時に必要な物だ。



「わかりました。お預かりします」



受け取って透かした《《それ》》は間違い無く本物で、会社名は(株)ユーユーランドと印が押され、使用者の署名欄には金魚と記入されていた。



「それでは車、出しますね」



シフトレバーをパーキングからドライブに切り替えると金魚がその小さな口をパクパクと開いた。



「済みません・・・・・7:30までに着くようにお願いします」



現在の時刻は7:05、金沢市から山代温泉まで軽く50分は掛かる。



「お客さん、それは無理ですよ」

「・・・・・お願いします」



成る程、|おっさん《ドライバー》たちが嫌がる意味が分かった。

明らかに無理難題を吹っ掛けるこの金魚はクレーマーでも酔いどれ客でもないが少しばかり《《困った変わった》》客だった。

金魚のため息 肉体関係に溺れた男の悲劇と末路

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