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「あら、また来てくれたのかい?」
「こんにちは、お兄さん」
年老いたサイの獣人が営む花屋《お花サイた》。
アオイは、今日もその扉をくぐっていた。
「お兄さんだなんて……まったく、お前さんは本当に変わらんのう」
「えへへ、今日はね……この子と、この子と……あ、これも欲しいな」
慣れた手つきでアオイは花を選び、その様子はまるで花と話しているかのように優しかった。
「はいはい、分かったよ。ほれ、束ねるからな」
サイの獣人は、言われたとおりに手際よく花を束ねながら、ふとアオイの顔を覗き込む。
「しかし……毎回こんなに買って。金のほうは大丈夫なのかえ?」
「うん、大丈夫!最近ちょっとお小遣い増えたからね。ある時はパーっと使うのが僕の流儀!」
「そうか……ほれ、できたぞ」
「ありがとう」
「……少し、待っとれ」
「え?」
サイの獣人は店の奥へと入っていき、しばらくして一本の白い花を手に戻ってきた。
「これ、いつも買ってくれる礼だ。サービスじゃよ」
「え、いいの?……ありがとう。じゃあ、ありがたくもらっておくね」
アオイは白い花を両手で丁寧に受け取ると、その花をじっと見つめた。
「ねえ、この花って……どんな花?」
「それは【幸せ草】って言う。部屋に飾っておくと、そっと幸せが舞い込んでくるって昔からの噂じゃ」
「へえ……」
「この店を建てるときに、縁起物として一本だけ買ってたんじゃがな。まあ、もう使いどきかと思ってな」
「そんな大切なもの、いいの?」
「気にするな。ワシももう先は長くないし、幸せなこともいっぱいあった。だから、今度はお前さんがもらう番だ」
アオイは、ふっと笑って頭を下げた。
「じゃあ、次は僕が幸せをもらっていくね。本当にありがとう。お邪魔しました」
花束を抱えて、アオイは店の扉を開けて外へ出ていく。
人通りの多い通りに、その姿はすぐに紛れていった。
……
「……いつも悲しい花ばかりを選んでいく子だ。だからこそ、あの子には――」
サイの獣人は、白い花が入っていた木箱をそっと閉じながら、ひとり静かに呟いた。
「……少しでも、幸せを分けてやりたくなるんじゃよ」
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______
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日が傾き、空はゆるやかに夜へと移ろいはじめていた。
かつてここには、一軒の家があった。
【ある事件】で跡形もなく吹き飛ばされたその場所には、今では小さな木の家がひっそりと建っている。
坂を下りたところには川が流れていて、少し前までは、そこであの家の少女がよく遊んでいた。
ここはアバレー。
おじいさんとユキちゃんが暮らしていた、あの跡地。
アオイは【アビ】との戦いを終えたあと、魔法でここへ転移してきた。
誰に呼ばれたわけでもない。ただ、自然と足が向いた。
……唯一、「帰れる」と思えた場所だった。
「……ただいま」
誰もいない六畳ほどの家に、小さく声を投げかける。
返事はない。
「えーっと……この子はここでいいかな。あとは……これと、これを持って……うん、よし」
手にした【幸せ草】を窓辺にそっと飾る。
その白い花は、差し込む夕暮れの光を受けて、ほんの少しだけ揺れていた。
花束を抱え直し、アオイは小さく息をつく。
そして玄関を開けて、静かに外へと歩き出した。
「…………」
家を出て、しばらく歩いた場所に、それはある。
なだらかな斜面の途中に、ぽつんと置かれた大きな岩。
表面には、いくつもの名前が刻まれていた。
アオイは岩の前で立ち止まり、そっと言葉を落とす。
「……みんな、来たよ」
買ってきた花を岩の前に添え、近くの地面に腰を下ろす。
手にしていた酒瓶の蓋を開け、仮面の口元を変形させて露わにした。
「……かんぱい」
ビンのままごくりと酒をあおる。
喉を通った液体の熱さに、ひとつ息を吐く。
「はぁ……今日も、いい夜になりそうだね」
岩に刻まれているのは、ヒロユキ、リュウト、そして――
アオイが出会ってきた、仲間たちの名前だった。
「…………」
言葉は続かず、ふたたび酒を口に運ぶ。
干し肉を一切れ取り、噛みしめる。
「そういえばね、この間また依頼に行ってさ。
なんかさ、久しぶりにちょっと危なかったんだよね」
静けさの中で、アオイの声だけが響いている。
誰も答えない。
それでも、言葉は止まらなかった。
──勇者の力を得た時。
無意識領域にかけられていた『呪い』が解けた。
その中の一つに『前の記憶に触れない事』と言うのがあった……
よって、思い出してしまった。
____皆が『山亀』に潰された事を__
学校にいた頃は考えることさえできなかった現実。
でも今は、逃げられない。
川のせせらぎが、かすかに聞こえてくる。
それにまぎれるように、アオイの言葉も、夜の闇に溶けていった。
ちなみに、キールのおかげで、みんな生きてるのだが……それを知るのはもう少し先の話だ。