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Side 健治
「謝ってもらったからって、どうにもならない。健治が、野々宮果歩と切れないんだったら、私との縁を切って!」
泣き叫ぶ美緒を前に俺は立ちつくしたまま、何も言えずにいた。
野々宮果歩と別れたいと思っていても、別れられずにダラダラと関係を続け、挙句の果てに美緒に大けがを負わせてしまった。
果歩に脅されたなんて、言い訳に過ぎないのは、わかっている。美緒に指摘された通り、俺は自分から動いていないのだから。
これまで、美緒にバレなければどうにかなると……、ずっと、美緒と一緒に居られると思い込んでいた。
なぜなら、美緒が俺の事を大学時代からずっと好きだったと知っていたからだ。
だが、”ずっと好き”という気持ちが、永遠に続くわけではなかった。
そう、既に過去形になっている。
美緒の想いに甘え、美緒の優しさに縋り、夫婦でいようとしても無理があったのだ。
美緒の限界は、すでに越えている。
今からでは、遅いのかもしれない。けれど、今からでも出来る事をしなければ……。
家に帰った俺は、パソコンを立ち上げ、退職願をしたためた。
これまで、努力をして、積み上げてきた実績を失う事になるだろうが、野々宮果歩との関係を断ち切るためには、今はこれしか手立てが思いつかない。
****
翌日、社内で電話を受ける。
「株式会社 アルゴファーマ 医薬情報担当 統括責任者 菅生健治です」
電話口の相手は緑原総合病院の事務局長からで、接待の日にちの調整だった。
緑原総合病院からは、医院長の野々宮重則と副医院長の野々宮成明の2名が参加。
こちらからは、宮本部長と友部課長と俺の3名の予定だ。
デスクから立ち上がり、宮本部長に声を掛けた。
「すみません。緑原総合病院の事で少しお話したいことがあるのですが……」
宮本部長はフムと頷き
「それならミーテングルームに行こう」
と、席から立ち上がった。
なんだかんだで、フットワークの軽い上司で、たまに説教臭いのを除けば、頼りにしていた。
ミーテングルームのテーブルを挟んだ向かいあわせに座り、俺はゆっくりと話を切り出した。
「緑原総合病院の医院長と副医院長の接待の件ですが、私、辞退する事は出来ないでしょうか」
俺の申し出に訝し気に眉を寄せ、「どういうことかね」との問いかけに対し、
「実は……」と話を切り出し、退職願を宮本部長へ差し出した。
野々宮の娘と大学時代に付き合っていた事。最近まで不倫関係であった事。そして、別れた後も付き纏い、今回の取引に俺を指名して来た事、その上、妻にケガを負わされた事。
その話を聞いた宮本部長は、腕組みをしたまま、目を閉じ難しい顔をしている。
どの道、退職するつもりでいるのだから、何もかも話して危険回避が出来れば良いと思っていた。
腕組みをしていた宮本部長が、ゆっくりと瞼を開き、話し出した。
「そうか、退職願を出したのは、そんな理由があったのか……。だが、安易に退職を選ぶんじゃなく、何か手立てを探そう」
宮本部長は、声のトーンを落として話を続けた。
「不倫の事は、このご時世だから吹聴するな。問題は、緑原総合病院だな。会社としては、何としても取りたい契約で、お前が指名されている。友部を外して、何かあった時に話が漏れないようにしようか。契約締結後に異動するのはどうだ?」
自分の事を評価し、会社に残そうとしてくれる姿勢は嬉しいが、結局のところ、あたりの良い言葉に飾られて、俺の希望は何ひとつ叶っていない。
宮本部長は、自分の出世が掛かっている緑原総合病院の取引は落としたくないのだ。
緑原総合病院の接待には、あきらめて出席するしかないだろう。
「わかりました。では、4名で予約しておきます。水曜日、19時から2時間の予定で組んでおきますので、宜しくお願い致します。お時間頂きありがとうございました」
宮本部長にそう告げて、ミーテングルームを後にする。
窓の外は、すっかり暗くなり、街の明りが灯っていた。
「こんなんじゃ、何も前に進まないな……」
何ひとつ自分の思い通りにならず、深いため息を吐き、自分のデスクに向かった。
長い廊下を歩いていると、美緒の泣き顔が脳裏に浮かぶ。
あんな姿を見た事はなかった。
それだけ、美緒を追い詰めてしまったのだ。
今からじゃ、遅いのかもしれない。
それでも自分に何が出来るのか考えないと……。
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