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二人はこっそり魔女ソヴォラの所へ戻ろうとした。まだ何の成果も得られていないのでジョザ村のことを調べたいが、救済機構のそばで寝泊まりする気にはなれなかった。しかし自警団の若者は村のあちこちにいて、行く先々で見かけ、特にソヴォラの家の方向は重点的に配置されていた。少しそばへ行くだけで何の用かと問われる。適当な言い訳をしても良いのだが、何度も出入りしつつジョザ村を調査する適当な言い訳というのは中々思いつかなかった。
ソヴォラのことは黙ったまま他に人の住んでいそうな集落について話を振ると、彼らはベルニージュたちを引き留めた。出ていかれては困るのか。外の話を聞きたいだとか、せっかくの客人をもてなしたいだとか、様々な理由が出てくる。
結局その夜――ということになっている時間帯――はある空き家を借りて一泊することになった。他と変わらない古びた家屋だが埃の積もり方が尋常ではない。四十年前から放置されているというのだろうか。
「すごい歓迎ぶりだったね。」とグリュエーが綺麗になった寝台に寝転がって腹をさすりながら呟く。「やっぱりみんな外のこととか気になるんだ。この村の外のことはほとんど分からない状態だろうし」
このクヴラフワで提供される御馳走などたかが知れているのだが、ベルニージュたちにとっても久しぶりに食べ応えのある食事だった。
「どうかな。最初はそう思ったけど、この歓待ぶりを考えると、外からの客はもう珍しくないんじゃない?」埃に辟易しながら寝台の感触を確かめ、ベルニージュは推測を口にする。「救済機構の連中がいつから出入りしているのか知らないけど、あれだけの大人数を客に迎えて、ワタシたち二人をわざわざ引き留める必要ある? 救済機構が口出ししているのかもしれない」
グリュエーも今の説明を聞いて懐疑的になったようだった。
「そう言われると不自然かも。人を引き留めてしまう呪いってことはない?」
「ありえなくはない。それならシシュミス教団の派遣した神官が戻って来ない理由も説明できるし。そんな呪いに戦略的価値があるのかは分からないけど」
「敵方を混乱させるだけでも十分だよ」
「敵を倒さないで十分とは言えないね」
ベルニージュは藁か何かが詰まっているらしい布団を調えて、まるで誰かが眠っていそうな膨らみを作っていた。そこへささやかな呪文を詰め込む。冬眠する獣のいびきを古い子守唄に組み込んだもので、布団の中に何者かがいる実在感を生み出した。小さな寝息と規則的な伸縮。
「それってどんな罠? 敵を倒す罠じゃないよね?」グリュエーが疑わしげに尋ねる。
「罠じゃない。囮。多少は時間稼ぎになるよ」
「そんな人がいるとしたらきっと今もこの家を見張ってるよ。どうやって出て行くの?」
「グリュエーなら分かるんじゃない?」
グリュエーは少しだけ考えて、答える。「斥候しろってこと? いいの?」
「いいけど。何か問題?」
嫌がられるとは思わなかったが、許可を求められるとも思っていなかった。
グリュエーはもじもじしながら答える。「ユカリに何か言われそう」
ベルニージュは大したことでもないという風に鼻で笑う。
「言わなきゃいいし、呪いの身代わりとは違うでしょ。そもそもグリュエーの妖術をどう使うかはグリュエーが決めることだよ。あ、もちろん身代わりに使うのはワタシも反対だけどね。でもそれはそれ、これはこれ。やりたいことをやって、言いたいことを言わせればいい。でしょ?」
「そうだね。その通り」グリュエーは閉じられた窓辺に近づき、少しだけ窓蓋を開く。緑色の明かりが漏れ入る。「それはそれとしてベルニージュは単にグリュエーの妖術を観察したいんでしょ」
「御明察」
しかし観察したところでよく分からなかった。グリュエーが呪文どころか言葉を発することはなく、魂が離れた様子を見て取ることも出来なかった。それでも使命はきちんと与えられたらしく、小さな風が渦巻いて窓をかたかたと揺らし、ベルニージュの頬を一撫でして家屋を離れた。
使命の通りに家の周囲を含め、村全体を斥候したらしき風は、しばらくして帰還し、グリュエー本体に迎え入れられる。
「ハーミュラーだ!」とグリュエーが窓辺で声をあげる。
「どこにいた? 何してた?」とベルニージュはせっつく。
予想外で、今も少し信じられないが、グリュエーが言うのだから本当にハーミュラーがいるのだ。しかしベルニージュにはその理由が全く想像つかなかった。
「村の通りを歩いてた。でもどこかに向かっているのではなさそうだったよ。散歩してるみたいな感じかな。いや、でも少し前のめりで急いでいるようにも見えたかも。それに、うーん、上手く言えないけど、なんだかいつもと違ってた」
キールズ領はずっとシシュミス教団も近づかなかった土地だ。送り込んだ誰もが戻って来ない以上、指導者たるハーミュラーも危険を冒してまで近づかなかったはずだ。
そのように理解していた。予想が外れたことをベルニージュは心の内で悔しがる。
「とにかくハーミュラーに接触しないと。何か悪さをする前に」
「呪いを復活させたのか、と、もしそうなら理由を問いただすんでしょ?」
「そうだけど。呪いを復活させたのは悪いことだし、もっと悪いことを企んでいるのかもしれない。外の様子を教えて」
本来の斥候の目的、グリュエーはこの家屋を監視する加護官の人数と配置を細かく説明した。
二人は魔法を駆使して加護官の視線を掻い潜る。時に遠方の木々の葉擦れがまるで誰かが潜んでいるかのように不自然に騒めき、逆に自分たちの足音や衣擦れを掻き消し、緑の明るい夜を実体なき影のように進む。たとえ千里を見渡せる眼で天から見下ろしていても二人の姿を捉えることは出来なかっただろう。
ソヴォラの言っていた通り、皆が同じ時間を生活しているらしい。村民全員が示し合わせて起きた時間が朝であり、夜だと決めた時間帯では誰も出歩かないのだ。村は春を待つ獣のように穏やかに閑散としている。時折閉め切った家屋から人の囁きが聞こえるくらいで、見張りの加護官以外の僧侶やキーグッドたち魔法使いも見かけなかった。
かといって堂々と村の真ん中を突っ切るわけにもいかないので、病を運ぶ鼠のように家の陰や植垣をたどるようにして密やかに坂を上り、グリュエーの言うハーミュラーの歩き去った方へと向かう。
坂を上っていく者を見つけ、ベルニージュとグリュエーは影のように身を潜め、覗き込む。ハーミュラーだ。純白の一揃いの衣を軽やかに靡かせている。見紛うはずがない。
確かにハーミュラーは散歩のような歩調で、少し前のめりで、何かを探すように視線を彷徨わせている。しかしどこかがいつもと違うのかは分からない。ベルニージュには前に見た時と同じように見えた。
「まさかキールズに来てたとはね」と改めて呟いたのはベルニージュだ。「でもどこか違う? 同じに見える」
グリュエーの方を窺うとその横顔には不審のような不安のようなものが浮かんでいる。
グリュエーは考え込むように目を伏せ、不安げにベルニージュを見上げる。
「違う、気がする。でも何が違うのか分からない」とグリュエーはハーミュラーをじっと見据えながら答える。
ベルニージュはハーミュラーの方を振り返り、その姿が消えていないことを確認する。
「グリュエーの魂の感じ取り方は普通の五感とは違うのかもしれない。あのハーミュラーは何か特殊な状況にある存在なのかもしれない。とにかく追おう」
自警団は見当たらなかった。初めから山側には配置されていないのか、夜には誰もいないのか。どちらにしても一体何から村を守っているというのだろう。
ハーミュラーがやって来たのは一軒の家だった。他の家と比べて特別なところは見当たらない。傾斜にへばりつくように建てられているが、ジョザ村においてもキールズ領においても特段珍しくのない建築物だ。古びていて、人の気配もない。空き家のようだ。ハーミュラーは躊躇うことなく扉に手をかけ、扉の方も何の抵抗もなく訪問者を招き入れた。
二人はしばし耳を澄ませ、中の様子を窺うが、何の物音も聞こえてこない。不審に思いつつ躊躇い、しかしお互いに目を合わせて決意し、建物の陰から出て行くとハーミュラーの通り抜けた扉をそっと開く。
二人があてがわれた部屋ともあまり違わない部屋がある。が、家具は多めで生活感がある。しかしこちらもやはり埃が積もっていて、長らく使われていないことは明らかだ。そしてハーミュラーの姿は消えていた。隠れられる場所はない。他に部屋もない。裏口もない。厚く積もった埃には足跡があるが、部屋の奥へすら移動せずその場で消えていた。
ベルニージュは背後にも通りの方にも目を向けるがハーミュラーはどこにもいない。
「やっぱり幻?」とグリュエーは不安そうに呟く。
「足跡が残ってるから違うと思うけど……」
問題はこちらに気づいたうえで身を隠したのかどうかだ。二人はしばらく不意打ちに備えるが杞憂だった。
結局ハーミュラーは見つからず、二人は当初の予定通り、来た道を戻り、坂を下り、こっそりソヴォラの家へ向かう。
「何だか、何も手応えを感じなかったというか」ベルニージュが周囲を見張りながら囁く。「魔女がどうのと言う割に魔法使いは拒まないし、拒む理由も拒まない理由もはっきりしなかった」
「うん」グリュエーは少し憮然として頷く。「ソヴォラさんを受け入れない理由は別にあるってことだよね」
「たぶんね。ソヴォラさんも全てを話しているわけじゃないんだろうし」
「ソヴォラさんといえばあの剣」グリュエーが言う剣とは広場の中心の銅像が掲げる剣のことだ。「ソヴォラさんの家に飾られた剣によく似ていたね。宝石はついてなかったけど」
二人は丁度、偶像のある広場が見える位置までやってきた。そして異変を見出す。
合掌茸に覆われた銅像自体は何も変わっていないように見える。勇ましく剣を掲げ、呪われた土地を眺めている。しかし掲げる剣に何かが引っ掛かっていた。その周囲にも何かが散らばっている。
二人は逃げ隠れしていることも忘れ、嫌な予感の冷たい手に背を押され、誘い込まれるように広場へ向かう。
銅像の剣にキーグッドが貫かれ、血に濡れた長衣が微風に揺れていた。配下の魔法使いたちはキーグッドに付き従うように、その周りに倒れている。全員が絶命している。
いや、ただ一人だけ生き残りがいた。聖女アルメノンの弟子だというあの大男だ。大男はただ凶行の結果を眺めている。襲われた様子も闘った気配もない。黒い衣に血を浴びていたとしても見て分かるものではないだろうが、少なくともまともにあの量の血を浴びれば滴り落ちているはずだが、それもない。
「どういうこと?」とグリュエーが震える声で呟く。「これが呪い? それともこの銅像は祟り神? あの人はなんでぼうっとしてるの? 仲間じゃないの?」
「考えるのは後だよ」既に別の方向からチェスタが広場に向かって来ていた。加護官たちを率いている。「南、はソヴォラさんに迷惑かけちゃうか。東に逃げよう」
ベルニージュがグリュエーの手を掴み、駆け出す背中にチェスタが問い質す。
「キーグッド氏殺しを弁明するつもりはないのですね!?」
「あんたの友達の木偶の坊に聞けば!?」とベルニージュは大男を指さして怒鳴り返す。
抜刀した加護官たちがベルニージュたちを追ってくる。魔術込みの足の速さでは敵わず、ベルニージュは炎の蝶をばら撒いて撹乱する。無数の光源は緑の太陽よりも明々と輝いて森を照らす。さりとて今追ってきている加護官は焚書官とはまた別の最優秀の僧兵たちだ。一切怯むことなく蝶を斬り捌き、距離を詰めてくる。
加護官たちがグリュエーの昔馴染みとはいえ、手荒な真似を自重してはいられないかもしれない。
魔導書を触媒にすべきかと考えたその時、「こっちよ」と呼ばわる声が聞こえた。ソヴォラだ。
しかし姿は見えない。すぐそばに身を潜めているのだとして、あの歳で走って逃げられるのだろうか、という疑問はもたげたものの他に選択肢はない。
ベルニージュとグリュエーは声の導くままに南の方へと進路を変える。