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蝋燭の灯りもない月夜の灯りのなか目を閉じても眠れるわけがない。時間が経つと沸き上がる怒り。二度はないのよ。
ディーター侯爵家キャスリンがゾルダーク公爵家へ嫁ぐ事が決まったのは学園に通い始めた頃、私が一年生で彼が二年生。カイラン・ゾルダークは濃い青の長い髪を1つにくくり長身であり剣も嗜む相応の体を持ち感情のわかりにくい黒い瞳を持っている。相貌は良く年頃の令嬢にはそれなりに人気があった。その上公爵家なのだから彼の婚約者が誰になるのか皆が気になるところだったろう。そこへ妥当な侯爵家の私が選ばれた。もちろん年頃の家格の合う令嬢はまだいたが我がディーター家の生業としている生地生産の関係でゾルダーク家との繋がりを欲し、ゾルダーク側も同じ思惑で了承しての婚約が成り立った。
互いに助け合い仲良くしていこうという典型的な婚約。彼もはじめは納得したから了承したことだろうに、彼の悲劇は婚約の直ぐ後やってくる。リリアン・スノー男爵令嬢。彼は彼女に惹かれてしまった。私と同じ一年生のリリアンは下位貴族だろうに淑女としてのマナーが足りないとみえる少女だった。大きな声で笑い転べば泣く。腹芸など知らないという笑顔で彼女の周りの空気はきらきらと輝いているようにみえる。薄い赤の入ったふわふわな長い金毛が余計に輝かせて魅せる、それにやられた令息はかなりいたようだった。しかし、輝いても男爵、緑の瞳がとても大きく、唇がとても綺麗な赤でも男爵なのだ。高位貴族の、まだ婚約者がいない令息でも躊躇してしまう。
そこへ現れたのが二年生に在学中のアンダル・フォン・シャルマイノス第二王子だった。彼は婚約者が同じ学園の三年生にいるにも関わらずリリアンに近づいた。リリアンは当初アンダルをこの国の王子とは知らず貴族令息として接していた。それが新鮮だったのだろう、王子はリリアンにのめり込んでいく。側近としてそばにいたカイランはその行動をはじめは諌めていたようだが時が経つにつれ一緒になって会話を楽しんでいる所を何度も目撃した。
カイランは婚約者の私をないがしろにはしなかった、予定通りに邸へ会いに来てお茶をしたり庭を散歩したり誕生日には贈り物をくれた。婚約者として夜会に出席しエスコートして役割を果たしていた。だから彼が熱を持った瞳でリリアンを見つめていても、楽しそうに談笑していても、その笑顔を私には見せなくても何も言わなかった。彼は役割を果たしていたのだから。しかしアンダルは役割を果たさなかったのだ。夜会では婚約者をエスコートせずリリアンを連れて現れファーストダンスから離れずまるでリリアンが愛しい婚約者のように夜会を過ごした。さすがにこれはいけないと王家のほうでもアンダルを諌めたが聞く耳を持たず、そのまま時はたち、いい加減にしろと婚約者側から言われたことが発端だったのか、処女性を大切にしている貴族令嬢と既成事実を作ったのだ。それも人も多い、当の婚約者も参加している夜会の最中に個室に連れ込んでリリアンと愛し合った。部屋から出てきた薔薇色の二人はその場で婚約者に解消を申し出た。リリアンの純潔は僕が散らしたんだと、だから責任をとるとのたまった。婚約者の令嬢はその場から離れ、アンダルは王家の騎士に王宮へ連れていかれた。この時アンダルは離ればなれにされるリリアンに向かい愛していると叫び迎えに行くと約束した。そしてリリアンを友であるカイランに預ける。私はそれをその場で観ていた1人だ。カイランのパートナーとして参加していたのだが、アンダルからリリアンを預けられたカイランは私が見えていないのか存在を忘れたのか知らないが、アンダルが馬車に乗り込んだ後リリアンの腕を掴みゾルダーク家の馬車に乗せ走り去った。私はさすがに唖然とし動けなかった。アンダルの軽率な行動も理解できなかったがカイランのリリアンしか見えていない行動に驚いたのだ。
1人残された私は邸に帰る馬車がないのに馬車留まりまで歩いた、この時の記憶は曖昧だが誰かが私の肩を掴み止まらせ話しかけてきた。馬車を貸すと言っていたように思う。その声に従って馬車に乗りディーター家へと帰りついたのだ。後から夜会の警備にきていた騎士団の団長が馬車を手配してくれたのだと家族から聞いた。色々なことがありすぎた翌日、カイランが我が家に謝罪のため訪れたと父に呼ばれ自室からカイランの待つ庭へと出ていくと、どこか遠くを見ていた彼は私が現れた気配に気付きこちらに近づいてきた。彼の瞳は悩ましげに私をみてそして頭を下げてきた。
「昨日のことは本当にすまなかった。ディーター侯爵からアルノ騎士団長が馬車を手配してくれたと聞いた。後で私から礼をしておく。」
そして私を見つめている。私が気にしないでいいと言うのを待つかのように。あの後リリアンをどうしたのか、ちゃんと男爵家に届けたのか、私の事は忘れてしまっていたのかと本当は聞きたかったが、私はその言葉を飲み込んだ。聞いてどうなると思ったからだ。でも許しはしないと、彼の黒い瞳をみて決めていた。二度はないと。私を蔑ろにすることは二度と許すことはないと。カイランから目をそらし遠くを見つめて口を開く。
「アルノ騎士団長様には私からも礼状を書きます」
アンダルの騒動は結局、貴族令嬢の純潔の責任をとるということでまとまりアンダルの婚約者には相当の賠償金をアンダルの個人資産から当てた。王家が支払ったのであれば貴族たちは納得がいかないからだ。王族が約束を反古にするなどあってはならない。臣下を裏切ることも。アンダルは廃嫡し王位継承権剥奪、そして仕度金などほとんどなく男爵家に婿入りする。スノー男爵家に嫡男がいなかったことが幸いだった。いたならアンダルは平民として生きていくことになっていただろう。
私とカイランが婚約して一年と半年後のできごとだ。カイランの卒業まで後半年、アンダルも学園には通うことは許されたようでリリアンとの学生生活を満喫していた。幸せそうな二人の横に今はカイランの姿はない。邪魔をしないためか見ているのがつらいためかわからないが三人で過ごすことはもうなかった。カイランが卒業して公爵家の仕事を学んでいる間、私は最終学年を過ごしてきて気づいたのは、アンダルがいなくなった学園のリリアンは一人きりということだった。周りの令嬢令息はリリアンに近づかなかった。時おり寂しそうにしているがやはりそれでも笑顔でいるリリアンに私は恐ろしい感じがした。
私は家のために義務を果たす。それは両家の橋渡し、良好に事業をするために。ゾルダークとディーターの血をゾルダークに残すこと。カイランは義務を放棄したのだ。まだリリアンを想っていたとは、なんて諦めの悪い男なんだろう。二人の間には何かがあったのかもしれない。それは私にはわからない、確証もないもの。でもこのままカイランのいうとおりにするなんて…私は子供を産みたいわ。自分の愛する我が子を。夫の愛なんて求めても無駄だものね、早々にカイランの本音がわかったのは良かったのかもしれない。期待しないですむもの。でも子供は一人ではできないわ。ゾルダークとディーターの血。カイランに兄弟はいないのなら、私がとる選択肢はもう一つしかない。
初夜の日から数週間が経つ。朝食は時間が合わないから一緒にはとらないけれど夕食はこの邸に住むカイランの父親ハンク・ゾルダークと三人でとる。ハンク・ゾルダークは陛下の側近で友人であった。それで年の同じアンダルとカイランも自然と仲良くなった。でもアンダルの騒動でカイランは父親の信用を失った。アンダルを諌め貴族社会に混乱を起こすことを防げなかったカイランにハンクは失望していた。そしてカイランとキャスリンが床を共にしていないと知っている。執事からそう聞いている。キャスリンは報告しなくても、知られているだろうとは思っていた。夫婦の寝室を使用していないのだから。
キャスリンは決断をしていた。それを実行しようと動き出していた。ジュノにハンクの執事ソーマへ相談があると伝えてもらった。ソーマはキャスリンの自室へとやってきた。ハンクよりも十ほど年上だろうか、それでも背筋を伸ばし白髪を後ろに撫で付け老いを感じさせない雰囲気がある。
「突然呼び出してごめんなさいね。」
「いいえ。とんでもございません。若奥様のご用となれば、しかし私にご用とはなんでしょうか。」
「実は閣下に時間を作っていただきたいの。公爵家の未来のため、と伝えてくれない?でも他の人には言わないように」
ソーマは少し考えた後、本日夕食の後時間を作ると言って礼をして去った。扉が閉まった直後ジュノが私に聞いてきた
「公爵閣下にカイラン様のことを話すのですか?」
ジュノは私が夫婦の問題をまさか父親に相談するなんてことはないと思っていたようだ。しかし、この問題はハンクにしか頼めない事は事実。もう私は決めたのだから。ハンクに解決してもらおうと。
夕食後にソーマと共にハンクの執務室へ向かっていた私はさすがに緊張していた。カイランの父親だからといってそんなに会話もしたことがなかった。両家で合っても寡黙なハンクの声はあまり私には届かなかった。いつも眉間に皺を寄せて何か考えている顔をしているがカイランによく似ている。カイランよりも濃い紺色の髪にカイランと同じ瞳。体も大きく威圧感がある。本当に数えるくらいしか会話をしたことがない。ハンクの執務室の扉をソーマが叩くと中から低く強い声で入れと聞こえてきた。ソーマが扉を開け私を中へと勧める。執務室の窓際に置かれた重厚な机で書類を捲っていたハンクは私が近づくと顔をあげて手を止めた。
「なんだ」
「お時間をいただきましてありがとうございます」
私が頭を下げ感謝の意を伝えても無言だ。用件を言えと沈黙が言っている。
「ご存知かと思いますが、カイランが私との子作りを拒否しています」
ハンクの表情は変わらない先を続けろと言っている。
「ある女性に操を捧げると、子は時期をみて親族から養子をもらうと。ですが私はゾルダークとディーターの子を欲しいのです。子が産めない体でもないのに養子は考えられません」
「そうか、それで?私に息子を叱れと、さっさと子作りしろと説教してくれと頼みにきたのか」
まぁそう思われるだろうとは予想していたが私の望みは違う。カイランの子など欲しくはない。私はハンクの瞳からそらさず見つめてお願いを口にする。
「いいえ。そのようなことは頼みません。これから永い年月清い身のまま生きるとおっしゃるカイランを尊重します。ですので私に閣下の子種をくださいませ」
さすがのハンクも目を見開いて驚いたようだ。固まってしまった。だがここで諦めはしない。
「閣下の子種ですとゾルダークとディーターの子ができます。ダメでしょうか?」
二人の間に沈黙が流れる。私の隣にはソーマがいるけれども、ハンクは私と目をそらさず組んだ手を顔の前まで持ってきて私の言葉を飲み込んでいるようだった。
「…まだ婚姻したばかりだ。あいつも気が変わるかもしれん。それまでまつ…」
「!いいえ!待つ事はありません。カイランはリリアン様を想ってます」
まさかカイランの想い人がリリアンだとは知らなかったようだ。ハンクは手で目をふさいでため息をはいた。
「スノーの。あれはあの令嬢に恋慕しているのか」
「学園の頃からです。あの騒動があった夜会で私は決めていたのです。次はないと」
私が騒動の日に夜会に置いていかれたことはディーターからゾルダークへは話していなかった。話そうとする前にカイランが謝罪してきたからだ。だからハンクにはこちらから話してはいない。カイランから報告しなければ。
「次?」
「あの日、カイランはアンダル様からリリアンを頼むと言われ、私を会場に置き去りリリアン様を連れてゾルダークの馬車で去りました。アルノ騎士団長に馬車を用意してもらわなければディーター邸には帰れませんでした」
ハンクはソーマに目配せしソーマは首を振った。ソーマにも報告がなかったということだ。
「言いたいことはわかった。しかし、いいのか?まだ時間はあるんだ…いや、お前はあれを見限ったか…」
「はい。私がゾルダークに嫁いだ覚悟を」
無碍にしたのだ。
強い覚悟を持ったキャスリンの言葉を聞いたハンクは思考を巡らせていた。
あいつを説得しようか親族から養子をとるか、自分がこの娘を孕ませるか。親族から養子をとなるといずれその親たちがうるさくなるやもしれない、だから養子は最後の手段だ。あいつの説得は、目の前の少女から女性へと向かうこの娘が拒んでいるが説得するのは父親である自分だ。説得してもこのままではこの夫婦は破綻する、しかし、自分が孕ませても破綻する。この娘を孕ませ、あいつは中継ぎとしてこの娘との子供を後継に…ハンクはこの時、カイランに兄弟を作らなかった事を悔いていた。キャスリンは責務を果たそうと嫁いだというのに子を産ませないと言われたのだ。見限られても仕方なしか…ハンクは覚悟を決めた。
「俺も年だぞ、できるとは限らん」
ハンクの答えを聞いてキャスリンは笑顔で頷いた。
「わかっています。私も石女かもしれません。閣下との子ができなければ養子を」
ハンクは顔には出さなかったが驚いていた。キャスリンの心からの笑顔を見るのははじめてだったからだ。少女のような笑顔だった。
「ありがとうございます閣下。それともう1つお願いが。この事はカイランには伝えないで欲しいのですが」
「なぜだ?孕んだら知るんだぞ?」
「閣下の子種が実を結びましたら私から話したいのです。カイランの願いを損なうことなく正統なゾルダークの後継を得るのですから。素晴らしい報告を」
キャスリンは笑顔でハンクと会話ができてとても満足していた。
「私はこれから医師と相談して妊娠しやすい時期を算出してもらいます。その時閣下の元を訪れても構いませんか?一月のうち二、三日お時間を作っていただきたく」
ハンクはうなずいてキャスリンを見た、笑顔でこれからの予定を話す少女を見つめていると自然と思えた。この少女がゾルダークの後継を産む未来を。