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最近、アルトがよくカンターヴィレに顔を出すようになった。あの事件の後から頻繁に訪れては、バスと一緒に武器の手入れをしたり、狩りに出かけたりする仲間になっている。
アルカノーレには、「人格」という枠組みがある。
その「人格」とは、その者が持つ性格や趣味、あるいは思考がそのまま具現化したものだという。つまり、アルカノーレは適正音域の名前が自分の名前になるので、先代と区別するために使われるそうだ。いくつもの人格が現れる人もいるらしく、別々の性格や才能が表れることがある。
バリトンは「銃使いの人格」、アルトは「武器使い」の人格。
それぞれが持っている能力や性格が「人格」として記されたり、呼ばれているわけだ。
アルトとバリトンの関係がしっくりくるのもそのためだろう。彼らはそれぞれ強い戦闘能力を持ちながら、同じような戦術や考え方をしているため、自然と仲良くなったのだと思う。
ある日も、そんな二人と一緒に森の中で狩りをしていると、アルトが楽しそうに銃を構えている姿が印象的だった。
「こいつ、かなりデカいぞ」とバリトンが言いながら、うっすらと笑みを浮かべている。
アルトはそのまま「お、獲物だな!」と、興奮気味に銃を構えた。
その時、アルトとバリトンのやり取りを見ていると、ふと気づくことがある。
二人は似た者同士だということだ。
狩りの後、二人で武器の手入れをしながら、自然と笑い合っているシーンを見かけることも増えてきた。
「よし、今日も一発いい仕事したな!」
アルトがにっこりと笑って言うと、バリトンもそれに応えるように軽く笑って、「お前と狩りするの、やっぱ楽しいな」と答える。
その様子を見ていると、彼らの間に深い信頼があることがわかる。
「ま、バスがいてくれたおかげで、こっちも楽にいけたな」とアルトが言い、バスがちょっとだけ照れくさそうにうなずく。
そんな会話を聞きながら、俺は改めて思う。アルトとバリトンは、本当にお似合いの仲間だと。
その後、皆で昼食を取るために館に戻る。
バスは、狩りの疲れ見せずに食事を作り始めるし、アルトはおそらくその後の武器のメンテナンスに向けて意気込んでいる。
ああ、やっぱりこの二人はどこかで結びついているんだなと感じる。
それが、彼らが持っている「人格」の力なのかもしれない。
アルトの武器使いとしての姿勢、そしてバスの銃使いとしての誇り。
それぞれが持つ特異な力は、カンターヴィレに新たな風を吹き込んでいる。
ふと、アルトが俺に話しかけてきた。
「そういえば、アソビも銃使いになりたくないのか?」
思わず笑ってしまう。
「いや、俺は銃はちょっと、苦手だよ」と答えると、アルトは大きく笑って、「そっか、無理にやらなくてもいいけど、やっぱり仲間がいると面白いぞ?」と言いながら、俺に手を差し出す。
その言葉を聞きながら、少し考える。
もしかしたら、この仲間たちの間で、これからどんな冒険が待っているのかと思うと、自然とワクワクしてきた。
「リトニア」の市場は今日も活気にあふれていた。新鮮な果物や野菜の香り、店主たちの威勢の良い声があちこちから聞こえる。
バリトンと二人で買い物をしていた俺も、その賑やかさにつられてつい足を止め、商品を眺めていた。
ふと視界に、ひときわ目を引く女性の姿が入る。
長い髪に紅いインナーカラーとエクステが鮮やかで、その雰囲気はどこかアルトに似ている。
「……綺麗な人だなぁ」と思わず口に出してしまうほど、彼女の存在感は強かった。
だが、その瞬間――
隣のバリトンが突然立ち止まり、顔色を一変させた。
「……っ!」
普段は冷静な彼が、明らかに動揺している。顔は真っ青で、視線を彷徨わせながら彼女を凝視していた。
「おい、どうしたんだよ?」
俺が声をかけると、バリトンは短く「戻る」とだけ言い、足早に市場を後にしようとする。
「戻るって……まだ買い物終わってねえぞ!」
慌てて俺が追いかけるが、彼は耳を貸さず、早足でリトニアの街を抜けて館へと向かっていった。
◇◆◇
館に戻ると、アルトとバスが裏庭で談義しているのが見えた。アルトはバスに何かを説明しながら、持っていた武器を見せている。
「ほら、このグリップの改良がさ、やっぱりいい感じなんだよな」と得意げに語るアルトに、バスも珍しく「……悪くない」と頷いている。
その光景を見た瞬間、バリトンの顔色はさらに青くなった。
彼はまるで追い詰められたように立ち止まり、短く息を吐き出した。
「おい、大丈夫か?」
俺が声をかけると、彼は眉間にしわを寄せたまま小さく答えた。
「……嫌な予感がする」
その言葉に、俺も思わず息を飲む。
「嫌な予感って……もしかして、さっきの女性のことか?」
俺が尋ねると、バリトンは少しだけ間を置いて頷いた。
「……姉さんだ」
「えっ、この前言っていた、『メゾソプラノ』?」
「あぁ…俺の姉だよ……双子のな」
バリトンの言葉を聞いて、俺は驚いた。
「え、あの人が姉さんなのか? それにしても、何でこんなところに?」
「たぶん……アルトを探しに来たんだろうな」
「アルトを?」
バリトンは険しい表情のまま、アルトの方をちらりと見た。
「アルトと姉さんは昔から折り合いが悪い。お互いに正反対の性格だし、彼女はアルトを疎ましく思っている節がある」
アルトがこちらに気づき、「お、戻ったのか」と声をかけてきたが、バリトンはそれに答えず、焦ったように奥へと歩き出した。
俺はその様子にますます不安を感じた。
「なあ、本当に大丈夫なのか?」
「……わからない。でも、メゾがここに来るのは久々だ。何かが起こるかもしれない」
バリトンの言葉がやけに重く響いた。
一体、何が起こるのだろうか――。
テナーが帰ってきて、ようやく買い物の続きをしようと市場に足を運ぶ。
普段ならもっとゆっくり買い物を楽しむところだが、今日の空気は少し違う気がした。
バリトンがあんなに焦った理由、そして彼の表情がどこか気がかりで、つい心配してしまう。
市場の雑踏の中を歩いていると、すぐにその女性を見つけた。
目立つ存在だったからだ。
彼女――メゾソプラノが、まるで周囲の人々に話しかけるように動きながら、店を覗き込んでいる。
背が高く、紅いインナーカラーの髪が風に揺れて、彼女が一歩踏み出すたびにその存在感が増す。
「……あれ、メゾソプラノ?」
俺とテナーは足を止めて、お互いに顔を見合わせた。
そして、ふと、メゾソプラノがこちらに向かって歩いてくるのに気づく。
「おっと……」
これは、ちょっと面倒なことになる予感がした。
メゾソプラノは俺たちに気づくと、まっすぐに歩み寄ってきて、手話を使って質問してきた。
「銃や武器を腰に着けた女の子を見ませんでしたか?」
その言葉に、思わず俺とテナーは顔を見合わせる。
……まさか、バリトンの姉が、こんな場所で探し物をしているとは。
彼女の質問に答えるべきか迷ったが、これがうまくいかなければ、余計に面倒に巻き込まれそうだ。
目を合わせ、無言で意思を伝え合う。
「見なかった」――それだけで済むなら、何も起こらないだろう。
だから、俺たちは揃って首を振り、メゾソプラノの問いに「いなかった」と伝える。
すると、メゾソプラノは少しがっかりした様子で肩を落とし、しょんぼりとした表情を見せた。
その姿に、どこか事情がありそうだと感じ、心の中で一層の興味が湧いてきた。
「……何かあるのかな?」
テナーが静かに呟いた。
俺は黙って頷き、少しの間彼女を見守る。
もし何か深刻な事情があるのなら、無視して通り過ぎるわけにはいかない。
買い物を終えた後、俺はテナーに言った。
「ちょっと、あの人を探してみようか」
テナーはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「行こう」
それから、俺たちはメゾソプラノを追いかけ、彼女が去って行く方向を見定めながら、静かに歩を進めた。
その先に、どんな事情が待っているのか――それを知るために。
北西の音楽の街、キーウにある女声種アルカノーレの住まう館「ヴァニタス」。
館内では、主人格であるコントラルトと癒やし手の人格であるソプラノが居間に座り、深刻そうな顔を突き合わせていた。
「……本当に帰ってこねぇんだけど。」
コントラルトは大きな溜息をつきながら、ソプラノの肩に顔を寄せる。
「確かにこんなに長いこと帰ってこないのは珍しいね……」
ソプラノも不安げに呟き、指を組んで考え込んでいたが、ふと小さく手を挙げた。
「あっ、もしかしてだけど……歌の練習の時、私がまた余計なこと言っちゃったのかも!」
「余計なこと?」
コントラルトが顔を上げる。
「ほら、アルトって『ベルガント』で歌うのが苦手じゃない?だからちょっと音程がズレた時に、『そこもうちょっと低音で!』って言っちゃって……」
ソプラノが申し訳なさそうに首をすくめる。
「……それ、確実に落ち込んでるやつだと思うぞ……」
コントラルトは目を細めながら冷静に突っ込んだ。
「だよねぇ……。はぁ、なんであんなこと言っちゃったんだろう。私も悪いけど、アルトも繊細すぎるんだよね」
ソプラノが頭を抱える。
そんな二人のやり取りを遠巻きに眺めていたメゾソプラノは、腕を組みながら小さく鼻で笑った。
「どうせまた森で狩りでもして、何か食べてるんでしょ。放っときゃ帰ってくるって」
「そういうのじゃないだろうが!」
コントラルトが即座に声を上げると、メゾソプラノは「なんで怒られてるの?」という顔をして肩をすくめた。
しかし、コントラルトは知っていた。
以前、メゾソプラノとアルトの間に大喧嘩があったことを。
あれ以来、アルトはヴァニタスを出ていくことが増えた。
「……なぁ、メゾソプラノ。」
コントラルトの声が突然低くなり、室内に緊張感が漂う。
ソプラノも黙り込み、顔を上げる。
「アンタが行きなさい。そして、アルトに謝りぃ。」
メゾソプラノは驚いた顔で振り向いた。
「はぁ!?私が謝る?なんで――」
「いいから行け!」
コントラルトが鋭く言葉を叩きつけるように言うと、メゾソプラノは一瞬怯むが、すぐに反論しようと口を開いた。が、
「……仲直りするまで、ヴァニタスに足を踏み入れるな」
コントラルトの声が静かに響く。その言葉には怒りというよりも、冷たい決意が宿っていた。
「はっ……」
メゾソプラノは苦笑いしながらも、コントラルトの威圧感に何も言えなくなった。
「どこにいるのか、心当たりくらいはあるだろう?探してきなさい。そして連れ戻してこい。それが、アンタの責任だ」
コントラルトは鋭い目つきでメゾソプラノを見つめる。
「……わかったわよ」
仕方ない、と言わんばかりにメゾソプラノは肩をすくめ、渋々立ち上がる。
「でも、私が本気出せばすぐ見つけてやるわよ。もし入れ違いであの子が帰ってきたら、調子に乗りすぎないように言っときなさい!」
そう言い残し、メゾソプラノは部屋を後にした。
扉が閉まる音を聞きながら、コントラルトは深いため息をつく。
「……大丈夫かな」
ソプラノが心配そうに呟くと、コントラルトは疲れたように頷いた。
「ま、きっとアルトを連れて帰ってくだろ。メゾソプラノだって、あんな風に見えてアルトを大事に思ってるんだから……」
◇◆◇
北西の音楽の街「リトニア」。石畳の広場を取り囲むように軒を連ねた店々は、昼下がりの活気に満ちていた。
メゾソプラノは、人々の間を縫うように歩きながら、目を凝らしてアルトの姿を探していた。
しかし、心当たりのある場所をいくつも回ったが、彼女の姿はどこにもなかった。
「……やっぱり、そう簡単に見つかるわけないか。」
溜息をつきながら、広場の片隅に腰を下ろす。
彼女の紅いインナーカラーが、午後の光に揺れて目立っていたが、メゾソプラノ自身はそれどころではなかった。
「それにしても……リトニアに来るしかないなんて、私も案外バカだなぁ」
自嘲気味に呟きながら、ぼんやりと広場の噴水を眺める。
街の人々にアルトの情報を尋ねて回ったが、手掛かりすらつかめなかった。
「こんなに探してもいないなんて……私、本当にあの子に嫌われちゃったのかな」
ふと手を組み、顔を伏せるメゾソプラノ。自分のしでかしたことが頭の中をぐるぐると巡っていた。
一方、リトニア近郊の館「カンターヴィレ」では、アルトがバリトンとバスと共に歌の練習を兼ねたトレーニングに励んでいた。
アルトは小柄ながら俊敏に動き、訓練用の武器を軽々と操りながら、リズムに乗って動いている。
「アルト、そこ、もう少しテンポを意識して!」
バリトンが注意すると、アルトは軽く片手を挙げて「はいはい」と返事をし、さらに動きを速める。
「……お前、いつヴァニタスに帰るつもりなんだ?」
一息ついたタイミングで、バスが低い声で尋ねた。
すると、アルトは動きを止めて苦笑いを浮かべる。
「んー、帰る気ないかなぁ。バリトンの姉さんとだいぶ前に『ベルガント』のことで揉めてね、挙句の果てに頬を叩かれたんだよ。そりゃ、心にくるでしょ?」
彼女は肩をすくめながら答えるが、その表情には明らかな苛立ちが滲んでいた。
「ベルガント唱法か……。バリトンの姉さんのひねくれた性格が災いしてるんだな。」
バスが呟くと、バリトンも頷く。
「そういや、前に姉さんが手紙で言ってたな」
バリトンがふと思い出したように口を開いた。
「なんて?」
アルトが険しい目でバリトンを見つめる。
「もしアルトを見かけたら、『家に帰ってくるように言ってほしい』って」
バリトンの言葉に、アルトの眉間がピクリと動いた。
「はぁ!?何それ!」
彼女は訓練用の剣を振り回し、苛立ちを隠そうともせず声を張り上げる。
「自分で追い出しておいて、今さら帰れとか虫が良すぎるでしょ!」
「まあまあ、落ち着けよ」
バスがなだめるが、アルトはむすっとした表情を崩さない。
「私、あの人の顔見ると、あの時のこと全部思い出しそうで嫌なんだよ。ほとぼりが冷めるまでは、この辺で自由にしていたいだけだし。」
そう言って、アルトは訓練用の剣を壁に立て掛けると、窓の外を見やる。
「でもさ、アルト」
バリトンが慎重に言葉を選びながら口を開く。
「姉さんもきっと、あの時のことを気にしてるから、こうやってわざわざ手紙を書いてきたんだと思うぜ?」
「だからって、俺が歩み寄る理由にはならないよ。」
アルトは冷たく答えると、再び剣を手に取り、練習を再開した。
昼下がりの広場は、行き交う人々と陽気な音楽で賑わっていた。そんな中、俺とテナーは市場を回りながら、先ほどの女性を探していた。
「……それにしても、どこ行っちゃったんだろうな?」
軽くため息をつきながら、辺りを見回す。
「多分、落ち込んでどこかで隠れてるんじゃないかな」
テナーが肩をすくめていると、ふと視線が止まった。
「……あそこ」
テナーが指差す先には、広場の隅のベンチで落ち込んでいる女性の姿があった。
紅いインナーカラーが揺れる髪、外した眼鏡を膝に置き、仰向けに座っている彼女は、どこか物憂げだった。
「見つけた!」
俺は小声で叫び、足早に彼女へと向かう。
「あ、あの……」
「あの、先程落ち込んでいましたけど、何かあったんですか?人探しお手伝いしますよ。」
テナーは優しく声を掛けた。
女性――メゾソプラノは、少し驚いたように顔を上げると、俺達と目が合い、慌てて体を起こした。
「あ、なんでもないです……大丈夫ですから」
メゾソプラノは手話で答え、眼鏡をかけ直して立ち上がろうとする。
「いやいや、ここリトニアでは、そんなに気にしなくてもいいですよ。この街の人たちはみんな理解がありますし、声を出しても大丈夫です。」
「そそ、普段から僕たちも喋っているし……ね?」
俺たちの言葉に、彼女は少し戸惑ったような顔をした。
「ほ……本当に?」
メゾソプラノが恐る恐る口を開くと、俺とテナーはその声に驚きのあまり固まった。
◇◆◇
「……えっ?」
目が大きく見開き、口がぽかんと開く。
その声――アルトとほとんど同じ響きだった。声のトーンも抑揚も、まるで本人そのもの。
「……何かおかしいですか?」
メゾソプラノが不安そうに問いかけるが、俺たちはただ呆然としていた。
テナーは咄嗟に扇子を取り出し、開いた俺たちの口元を隠しつつ、自分も目を泳がせながら微笑む。
「い、いえ!おかしいことなんてないですよ。ただ……綺麗な声だったので……(汗)」
テナーが慌ててフォローするが、アルトそっくりの声に内心の混乱を隠せない。
「……え?」
メゾソプラノがさらに尋ねると、アソビが慌てて手を振る。
「いやいや、気にしないでください!それより、さっき落ち込んでたみたいですけど、大丈夫ですか?」
言葉を変えて話題を逸らすと、彼女は少し困った表情を浮かべるが、頷いた。
「まぁ、色々あって……」
その声を聞くたびに、俺とテナーは動揺を隠すのに必死だった。
(あ、アルトと知り合いだなんて……絶対に言えない……)
(言えねぇ……な。)
しばらくの沈黙の後、メゾソプラノがぽつりと言った。
「実は、アルトを探してるんです。彼女がヴァニタスに帰らないから、心配で……」
なるほど、そういう事情だったのか。
「そっか、そんな遠いところから、わざわざ来たのか。」
俺が言うと、メゾソプラノはうなずきながら、顔を上げた。
「でも、どうしてもアルトに何か言い過ぎてしまったんじゃないかと思って……。だから、避けられてるんじゃないかって。」
うーん、なんか切ないな。
でも、そこまで彼を心配しているなら、何か力になれないかって思ってしまう。
その時、ふと隣を見たテナーが、少し黙ってメゾソプラノを見つめていた。
「……それで、ここまで来たのですね。」
テナーは小さなため息をつくと、さらに続けた。
「でも、そんな言われ方されたら誰だって避けたくなるよね。特に、バスのやつとかさ」
うん、それ、ちょっと分かる気がする。確かにバスとアルトは気難しいところもあるし、無理もないかもしれない。
その時、メゾソプラノが俺とテナーをじっと見て、何かを察したように言った。
「あなたたち、もしかして……テノールとテナーですよね?」
俺は思わず目を丸くした。
「な、なんでそんなことが分かるんだ?」
メゾソプラノは落ち着いた口調で答える。
「声と雰囲気で分かります。前に帰ってきたとき。アルトがあなたたちのことをよく話していたから……。」
(話してたんかい……っ!)
テナーが少し肩をすくめて、俺に軽く目配せした。
「さすがにバレちゃうか。」
俺も苦笑いしながら、何となく気が引けた。
「それに、もしよかったら、アルトがいるかもしれないあなたたちの館にお邪魔してもいいですか?」
メゾソプラノは少し戸惑いながら、でも真摯な目で俺たちを見ていた。
俺は一瞬考えた後、もう一度テナーと目を合わせてから、うなずいた。
「いいよ、行こう。」
俺が言うと、テナーも少しだけ肩をすくめて、「ま、行くか。」と軽く言った。
俺たちは、三人で歩き出すことに決めた。
アルトがいるかもしれない館に向かって。
なんだか、ちょっと心配だけど、こうして彼女を見ていると、なんだか放っておけなくてな。
「ありがとう……。」
メゾソプラノが嬉しそうに小さく微笑んだ。それを見て、俺もつい「うん、気にすんな」と答えてしまった。
そのまま、ゆっくりと足を進める三人。
アルトが待っているかもしれない館に向かって――。
館の扉が開き、俺たちは静かな廊下を通り過ぎる。しばらく歩いたところで、バリトンが部屋から出てきた。
「あ、来たか。」
彼は一瞬でメゾソプラノを見て、何かを察したように目を細めた。
「やっぱり、姉さんだったんだな。」
「おう、分かるだろ。」
俺が軽く頷くと、バリトンは小さくため息をつきながら、メゾソプラノに視線を向けた。
「バスの部屋にいるけど、呼んでこようか?」
「うーん、あの子が部屋から出たときでいい。」
メゾソプラノは少し照れくさそうに答えた。
その後、みんなでリビングに向かい、4人で歌の練習をすることになった。
その日、俺たちは少し遅れて歌の練習を始めた。音楽が館の中に響き渡り、メゾソプラノの声が加わることで、どこか暖かく心地良い空気が広がる。
「じゃあ、もう一度合わせようか。」
俺が指示を出すと、テナーとメゾソプラノが軽く頷き、それぞれのパートに集中し始めた。
やがて、練習が進み、皆が声を合わせると、空気の中に微かな震えが走った。それは、アルトとバスの耳に届いたらしく――。
◇◆◇
アルトが静かにバリトンの部屋で本を読んでいたが、突然、微かに響く歌声に眉をひそめた。
「……あれ、あの声……?」
アルトは一瞬、言葉を呑み込み、窓の外を見つめたまま固まる。その表情には、なんとも言えない複雑な感情が交錯していた。
「まさか……」
彼女は歌声が少しずつ近づいてくるのを感じ、顔を歪めて立ち上がると、慌ててドアを開けた。
「嘘だろ、あれは……。」
その時、バスも部屋の隅から歌声を耳にして、その身体がピクリと震えた。彼はすぐに顔を真っ赤にし、うつむいてこっそりと呟いた。
「う、嘘だろ……あんな歌声、久しぶりに聞いたぞ。」
彼は震える手で髪を掻き、部屋を出ようか迷うように立ち尽くす。
「アルト、あれ……メゾソプラノの声……だよな?」
「多分……」
アルトの答えが重く、静かな空気が流れた。
メゾソプラノの歌声が、どこか懐かしく、また痛々しくもあり、彼らの心に深く響いたのだった。
[newpage]
アルトが部屋に閉じこもっているのを見て、バリトンと俺が様子を見に行くと、そこにはすでに銃を構えるアルトと、それをなだめるバスの姿があった。
「おい、落ち着けって、アルト!」
バスの声がやけに落ち着いていて、そんな彼の姿にちょっと安心してしまう。
「だって、嫌な予感がするんだよ。あの歌声、絶対にメゾソプラノだって、もう感じ取ってるし!」
アルトが小声で言った。目は真剣そのもので、手に持つ銃はしっかりと構えられている。
「さすがだな、アルト。お前、メゾソプラノの存在がわかった時から、即座に準備してたのか。」
バスが言うと、アルトはにやりと笑った。
「まぁ、野生の勘ってやつだな。あの歌声が館に響いた瞬間、俺の耳がピクっと反応したんだ。どんなに遠くからでも、あの声はすぐにわかる。」
俺はその話を聞いて少し驚いた。アルトがそこまで察知できるのは、確かにすごい。
「それで銃まで構えたのかよ?」
バリトンが尋ねると、アルトは「もちろん。なんかあったら、すぐに撃つ準備はしとかないと」なんて、あくまで冷静だった。
「さすがに、それは大袈裟だろう……」
バスが苦笑いしながら言ったが、アルトはまるでバスの言葉を意に介さない様子で、じっと部屋の扉を見つめている。
その時、俺たちはメゾソプラノのことを話していたのだが、どうやらその会話を聞いていたらしい。
「はぁ、やっぱり嫌なんだな、あの子。」
バリトンが小さく呟いた。
「アルトにはメゾソプラノが何かトラウマ的な存在なんだろうな。でも、どうしてそんなに嫌うんだ?」
俺が疑問を口にすると、バリトンが少し苦笑しながら答えた。
「それは……あの2人の間には、どこかで何かがあったんだろうな。」
バリトンが肩をすくめる。
その会話を影で聞いていたメゾソプラノとテナーは、互いに顔を見合わせて「うーん、ちょっとまずいかもな」と肩を落としていた。
◇◆◇
アルトは、まるでバスの背中に張り付くかのようにぴったりとくっついて、まったく離れようとしない。バスもそれを気にせず、無理やり引き離すことなく、ただじっとアルトの様子を見守っている。俺は、その光景を見て少しだけ呆れた。
「うーん、これじゃあ何も進まないな」とバリトンが、額に手をあてて苦笑いしている。その目にはちょっと参った様子がうかがえる。
そんな状況に、ちょっと口を挟みたくなった俺は、アルトを見て言った。
「コントラルトは君を気にかけてるだろうし、1回帰ったほうがいいんじゃないか?」
アルトは、少しだけ顔をしかめた後、ゆっくりと口を開いた。
「主はいい人だけど、ソプラノの2人が『ベルカント』のことになると、やたら厳しくなるんだよな……だから本当のところ、帰りたくないんだ。」
あぁ、なるほど。どうやら、コントラルトとメゾソプラノの間には、どうしても避けられない軋轢があるらしい。
それにしても、アルトはあんまり自分の気持ちを隠しすぎだなと思ったけど、こういうタイプも嫌いじゃない。
「じゃあ、君の好きな人は誰?」と、俺は少し軽い調子で聞いてみた。
アルトがびっくりして目を大きく開けた。
「え、えっ?!」
「答えやすいだろ?君の好きな人は?」と、少しにやりながら続けた。
「主だよ、もちろん!」
アルトが即答してきた。
「ふーん、主が好きか。じゃあ、君の服を作ったのは誰だ?」
俺が質問を続ける。
「それは…主だよ。」
アルトが少し照れくさそうに言った。
「じゃあ、メゾソプラノが今ここにいる理由は?」と俺はさらに質問を続ける。
アルトが少し考え込みながら答えた。
「主が謝れって怒って、メゾソプラノを追い出したから。」
「つまり、彼女が今ここにいるのは、主が君のことを心配してるからだろ?」と、俺はニヤっと笑った。
「じゃあ1回、家に帰ったほうがいい。2人のことが嫌いでも、君が好きな人が居るなら、さみしい思いをさせるのは嫌だろ?」と、優しく言った。
その瞬間、アルトがぷくっと頬を膨らませて、微妙に不満げな顔をした。
「まるで兄貴みたいだな、あんた…」
その言葉に、俺はちょっと驚いたけど、笑いながら答えた。
「実はな、ある三兄弟の長男なんだ。コントラルトの気持ちも少しわかるんだよ。」
その後、アルトが少しだけ黙った後、ふっと肩の力を抜いた。
「じゃあ、行ってみるか…謝りに。」
俺はその瞬間、内心でガッツポーズをした。やっとアルトを部屋から連れ出すことができた。
そっとバスに向かって「ありがとうな、任せておけ」と言って、俺はアルトと一緒に部屋を出ることに成功した。
アルトと一緒に、メゾソプラノの元へと歩いていくと、やっぱりアルトはすごく警戒している。
まるで猫がシャーっと威嚇しているみたいに、肩を縮めて、メゾソプラノを鋭く睨みつけているんだ。
「おいおい、そんなに睨むなよ、アルト。」と、つい口が出たけど、アルトは一言も返さず、ただ睨み続けている。
その視線にメゾソプラノは、思わず少し後ずさりして、視線を避けるように自分の手を弄りながら言った。
「あ、あの…ごめんなさい。突然来て、驚かせて……」
アルトは一向に反応しない。睨み続けながら、まるでメゾソプラノが何かしでかしそうな敵かのように感じているのだろう。
その様子に、俺も少し焦ってきた。
「アルト…、ちょっとは落ち着けって。」
俺が少し強く言ってみたけど、アルトはただ、頷くことなくその視線をメゾソプラノに向けている。
メゾソプラノも困っているのか、少し身を縮めて、やっと口を開いた。
「その、私は……ただ、謝りたくて……」
その言葉に、アルトの視線が少しだけ変わった。やっと、少しだけその目に迷いが見えたけど、それでも警戒心は抜けきらないようだ。アルトの鼻がヒクヒクと動いて、メゾソプラノの匂いを嗅いでいるのがわかる。
まるで、彼女が自分にとって安全かどうかを確かめているようだ。
俺は、そっとメゾソプラノの肩に手を置いて、軽く微笑んだ。
「アルトは、昔からこうだと思うから……すぐに信用するわけじゃないんだ。少しずつ、距離を詰めていけば大丈夫だよ。」
メゾソプラノは、少しだけ顔を上げて、アルトに向かって一歩踏み出した。だが、アルトはまるで壁のようにその一歩を避け、少し後ろに下がった。警戒心を解けずにいる。
「アルト……」
メゾソプラノが、少し震える声で呼びかける。やっと、その声にアルトが反応した。でも、彼女はただ「なんだよ」とだけ低い声で返事をする。
メゾソプラノは少し戸惑いながら、さらに距離を詰める。
「私は……あの時、悪くないって思ってたけど……。でも、貴方が怒ってるのもわかるから…本当にごめんね。」
その言葉を聞いて、アルトの目が一瞬だけふっと柔らかくなったが、すぐにまた強張った。猫が尻尾を振っているかのように、まだ警戒を解いていない。けれど、少しだけ前に出て、メゾソプラノの目を見つめ返した。
「……そうか。」
アルトが、ようやく少しだけ、相手の心情を感じ取ったような、少し冷ややかな口調で言った。
「でも、簡単に許せるわけじゃないから。」
その言葉に、メゾソプラノは少しだけ深く息をつき、うなずいた。
「わかる、でも、君に謝りたい気持ちを伝えたかったんだ。」
俺は、ついにアルトが少し心を開いた瞬間を見逃さなかった。アルトが、ほんの少しだけ肩を落として、メゾソプラノに向き直ったのだ。
「…じゃあ、少しだけ。」
アルトが言いながらも、まだ警戒した様子で、メゾソプラノの目をじっと見つめる。
それから、アルトはようやく、ほんの少しだけメゾソプラノの方に歩み寄った。まだ距離はあるけれど、目線が交わることで、わずかに心が通じ合ったような気がした。
「それで、今後はどうするんだ?」
アルトが、小さな声で尋ねた。彼女の目には、少しだけ期待が込められているように感じた。
メゾソプラノはその言葉に答えるように、しっかりと目を見て言った。
「私は、ただ、もう一度…ちゃんとやり直したい。」
その言葉を受けて、アルトは静かに頷き、やっと警戒心を少しだけ解いた。微妙な、けれど確かな一歩だった。
俺は心の中で、ちょっとした達成感を感じていた。