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片桐組の本部が入る灰崎ビルの六階から、いつもより静かな深月区が見える。静馬は結露した窓越しに見える、遠くの建物の灯りを見ていた。
溜め息をつきながら静馬は、今後の動きについて考えていた。
組の再編に協力すると契約した日から、早くも二週間が経っている。
秋桜との接触の件や、尾行の可能性については捜査中だが、直接的な指示はまだ伝えられていない。
玲司は二週間、沈黙を保っている。
静馬に協力を仰いだことには、何か理由があるはずだ。
考えても答えは出そうにないので、静馬は諦めて外へ出る。
昨日に比べると雪の勢いは、収まっているように感じる。
特に行く宛てもなく、港湾倉庫のある海沿いを歩く。
突然、ポケットに入れていたスマホが振動する。
表示された画面を見て、静馬は一瞬動きを止める。
「珍しいな…」
応答の表示を押しながら、歩き出す。
街灯のほとんどない道なので、月だけが道を照らす唯一の光源になる。
その光が、底の見えない灰崎湾に浮いているようだ。
「進んでいますか。」
「何の話だ。」
「とぼけないでください。幕を上げる準備ですよ。」
冷たい潮風が静馬の髪を揺らす。
「回りくどい言い方は嫌いだ。用件を言え。」
「今から来られるか。」
「場所は。」
「旧、深月シネマ。第二シアターでお待ちしています。」
それだけ言うと、玲司はすぐに電話を切った。
旧深月シネマは、特区制度の影響で閉鎖した、古い映画館だ。
解体予定ではあるが、未だ手を付けられておらず、建物は閉鎖した時のまま残されている。
静馬は歩いて灰崎ビルまで戻り、車を出す。
旧深月シネマの位置は、おおよそ把握している。
渋滞にでも巻き込まれない限り、三十分もかからない。
今回の対面で、再編に向けた指示を出される可能性は高い。
玲司から情報を聞き出せる日は、恐らくもうこない。
玲司は警戒心が強く、ほとんど心を許さない。
協力するとは言っても、信用がなければ情報など伝えたりはしないはずだ。
そこで静馬が考えたのは、一度目の指示には従順に従い、二度目で玲司を出し抜くという手段だった。
正直、成功するのか怪しい策ではあるし、玲司から告げられた内容が、あまりにも容認しがたいものだった場合は、また別の策を練らないといけなくなる。
面倒なことに巻き込まれたな、とつくづく思う。
手首の時計は、午後九時二六分を指している。
案の定、指定された場所までは、三十分もかからずに着いた。
廃れた街の路肩に車を止める。
昔ながらの映画館は、想像していたよりも朽ちていない。
流石に通電はしていないようだが、非常用電源ぐらいは生きていそうだ。
窓ガラスは割れ、所々にツタが覆っているものの、扉や壁はしっかりとしている。
誰もいない受付カウンターを抜けて、第二シアターに向かう。
壁には、知らない映画のポスターが、そのまま残っている。
第二シアターのメッキ銅製の扉を押し開け、シアター内へ入る。
抜糸を終えたばかりの傷が、少しばかり痛むが気にしない。
玲司は壁にかかる白く裂けたスクリーンの前に立っていた。
静馬へ向き直ると、「思っていたよりも早かったですね。あなたの家からは一時間ほどかかるはずですが。」と抑揚のない声で言った。
自分の住居まで割れていることにうんざりしつつ、「本部にいたからな。」と返す。
「そんなことはどうでもいい。こんなところまで呼び出して、何の用だ。」
「観客のいない劇場は、静かでいいと思いませんか?」
玲司は大袈裟に手を広げながら、尋ねる。
「回りくどい言い方は、嫌いだと言ったはずだが。」
玲司の立ち回りが早いのは事実だが、静馬と話す時、玲司はいつも余裕のある話し方をする。
追い詰められているのか、余裕があるのか分からない。
「そう焦らなくても良いでしょう。」
「単刀直入に言え。何をすればいい。」
「もう、幕を引いてもよい頃合いではないでしょうか。」
玲司の言いたいことは大方理解できたが、静馬はわざと何も言わなかった。
「あなたは思いませんか。この街は喧騒に支配されている。私はこの仕組みを壊し、本当の平和を作りたいのです。」
静馬の指先が僅かに動く。
「本気で言っているのか?お前にそんなおおそれたことが出来ると。」
「できますよ。そのために五年間も、息を潜めてきたのですから。」
玲司の目には、確かな決意の色があった。
「俺に、その幕を引けというのか。」
「あなたは古い幕を引くだけでいい。新しい幕は私が開ける。」
「そんな並外れた指示に、俺が従うと思っているのか?あの人は俺を拾った人間だ。」
「契約を破るとは言わせませんよ?もちろん私の計画が完遂されれば、あなたの組織内での地位も保障します。」
「そこまで悪い話ではないでしょう?」
ホールを包む非常灯は玲司の瞳に反射する。
赤く光る瞳孔は、血のようだ。
「立場を保障されたとしても、俺にとってはデメリットのほうが大きい。組の頭を潰すなら、崇拝者からの恨みは付き物だ。逆恨みされたらどうする。」
「安心してください。もちろん、この事は公にはしません。もし目撃者がいれば、私が片付けます。」
「俺が従わなければ、どうするつもりだ。内部に情報を洩らすかもしれん。」
静馬はずっと思っていた疑問を、口にした。
五年間、玲司は内密にこの計画を進めていた。
他の組や、外部勢力はもちろん、下手をすれば警察にまで、玲司に盲従する人間がいるだろう。
それなのにどうして、最後の最後で他人の力に縋るのか、静馬はあの契約を交わした日から、ずっと考えていた。
だが、玲司から発せられた返答は、静馬の想像していたものとは、似ても似つかない内容だった。
「氷影静馬。あなたにはいずれ、組織のトップに立っていただきたい。私はその土台を整える。」
あまりに唐突な告白に、静馬は一瞬言葉を返せなかった。
「俺を、利用したいだけだろ。」
拳の中で爪が皮膚に食い込む。
「あなたはまだ、あの人の背中を追っている。違いますか?」
微笑しながら、目を細める。
「黙れ。」
静馬は顔をしかめ、玲司を睨むように見る。
「組のトップに立て。それがあなたの生き延びる唯一の道です。」
誰もいないはずの客席が、静かに判決を待っているかのようだった。
「俺にそんな器はない。」
玲司は小さく笑いを零しながら言う。
「ありますよ。なければあなたを選ばない。」
静馬の考えていた作戦は、結局無駄骨に終わった。
いくら玲司を止めるためとは言っても、組のトップを手にかけることは出来ない。
それに組長――片桐宗一郎は、捨て子だった静馬を拾い、組の若頭にまで育てた恩人だ。
だが、今は玲司からの提案を飲み、裏から手を回すしかない。
玲司は静馬が裏切れば、組長だけでなく秋桜や、他の者をも巻き込むかもしれない。
それだけは、絶対に避けたかった。
「分かった。俺が古い幕を引き、お前が新たな幕を開ける。それで構わない。ただし、条件がある。」
作戦が徒労に終わった以上、このまま何の進展もないままで帰るわけにはいかない。
「なんでしょう?」
「その再編とやらの詳細が知りたい。」
玲司は訝しげな表情で静馬を見る。
「詳細、というと。」
流石に踏み込みすぎたか。
だが、チャンスは今しかない。
「今後の動き、具体的にはどんな方法で組を統一するつもりなんだ?」
「具体的な方法、ですか……」
まだ疑り深い視線であることに変わりないが、少しは警戒を解いたのか、玲司は語り始めた。
「まず、資金管理を一本化する。金の動きを制した者は、実権を握ることができる。
次に、若いものをこちら側へ引き寄せる。理想を語れば、彼らは簡単に動かすことができる。」
「忠誠を誓っている奴らが、そんな簡単に動くとは思えない。裏切られるのがオチだろう。」
だが、人間は欲に逆らえない。
時に人は、過去に誓った忠誠よりも、未来の地位を選んでしまう。
裏切る者などいないことは百も分かっていたが、玲司からの信頼を少しでも得ようと、わざと心配する素振りを見せた。
玲司はこのセリフが嘘だということに気がついたか、様子からは窺えない。
「古い忠義など、未来を餌にすれば、いとも容易く壊すことができる。」
やはり、玲司は静馬の考えていた通りのことを話した。
「幕を降ろすのは、まだ早い。その前に一度、片桐宗一郎には失態を犯してもらいたい。」
失態を演出する、か。
失態が公にされる。それだけで、流れは大きく変わってしまう。
玲司はこの操作によって、味方を増やそうとしているのだ。
「具体的には。」
「そこまであなたに話す必要はない。」
玲司の目はいつもに増して冷たく、滄溟の氷のようだった。
できれば、今後の動きを全て把握しておきたかったが、これ以上の詮索は、玲司の警戒を強めるだけだ。
「今日は終わりにしよう。連絡があれば電話しろ。」
玲司は何も言わず、ただ静馬を見つめるだけだ。
劇場には静馬の足音だけが、響いている。
扉に手をかけた時、玲司が「あなたが選ぶ道は、誰かを巻き込むかもしれませんね。」と確認なのか脅しなのか、分からないことを言う。
静馬は無視して扉を開く。
古い映画館は、入ってきた時よりも暗く、冷たく感じられた――。
灰崎ビルの組長室では、紙がめくられる音だけが響いていた。
「顔色が悪いな。」
片桐宗一郎は、静馬の報告書を閉じながら言った。
かつては、その場にいるだけで空気を張り詰めさせた男も、今は膝に毛布をかけていた。
「そうでしょうか。」
顔色の悪さは、恐らく寝不足のせいだろう。
「玲司の件はどうだ?」
「どうと言われましても、特に目立った動きはありません。」
「わしも手を回してはいるが、あれは一朝一夕にはいかないな。」
「勝手に動かないでください。」
珍しく、静馬の声には棘があった。
宗一郎は小さく溜め息をつく。
「お前は、俺を守らなくていい。」
「守らせろ。」
静馬の声には気迫がこもっていた。
ゆっくりと左右に首を振りながら、宗一郎は問いかける。
「わしの命と、この組と、どちらが重い?」
ずっと昔から、答えは決まっている。
だが、静馬は口を開かない。
「お前は次だ、俺じゃない。」
依然、静馬は黙ったままだ。
「静馬。」
その名を呼ぶ声は、昔と同じ力強さを持っていた。
「わしが消えても、ここは廻り続ける。廻し続けることのできる男を選んだつもりだ。」
「玲司は危険だ。」
静馬は話題を変えた。
自分が組長になった後の事など、まだ考えたくはない。
「分かっておる。だからわしが行く。若い奴らが巻き込まれる前にな。」
静馬の目に、僅かに動揺の色が浮かぶ。
宗一郎は立ち上がろうとするが、その動作はやけにゆっくりだ。
それでも、笑っている。
「お前は、わしを超えろ。守るな。背負え。」
静馬は何も言わないままそこに立っていた。
玲司が幕を開けるまで、残された時間は少ない。
ビルを出ると、また雪が降っている。
「全部終わらせてやる。」
静馬の吐いた白い息は、街灯に照らされ、消えていった――。