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ストロンがカリーナを殴って以降、彼女が所長室を訪れる機会は、日に日に減って行った。
それと同時に、ストロンはますます研究にのめり込むようになり、食事を採ることも減って行った。そんな生活を続けているうちに、数年でみるみる窶れ、すっかり痩せこけてしまった。幸せだった頃の面影は、見る影もない。
ある日、ストロンが久々の食事を採りに食堂へ行くと、甥のクロムが座っていた。彼は黙って、薄い野菜スープを啜っている。
カリーナに世話を任せっきりで、しばらく顔を合わせていなかったが、問題なく育っているようだった。
やはり、ローウェル氏に似ている。大きくなるにつれ、どんどん似てきている。
─家族を壊した、あの男に。
その姿を目にする度、ストロンの中に激しい憎悪が渦巻いていた。
母親の罪の証でしかない子が、ダグラス家の呪いとも言えるようなこの子が、何故五体満足で、のうのうと生きているのだろうか 。
カルシアは、病気で苦しんでいると言うのに、何故よりにもよってこの子が健康なのだろうか。
そもそも、この子が産まれて来なければ、今こんなことにはなっていないはずだった。
クロム自身には、カリーナに隠れて「お前はこの家の呪いだ」と伝え続けて来た。しかし、幼い彼は、分かっているような、分かっていないような顔で、いつも黙って聞いていた。
そういえば、この子はもうそろそろ、6歳になるはずだ。十分働ける歳だろう。
ストロンは、クロムの側へ行き、声を掛けた。
「クロム、今日の夜、重要な話がある。私がお前の部屋に行くまで起きていなさい」
「…はい」
クロムは、きょとんとした顔で、短く返事をするだけであった。
* * *
その夜、ストロンはクロムの部屋を尋ねた。
彼は、言い付け通りストロンを待って起きていた。 吸い込まれそうな、真っ赤な瞳でこちらを見つめて来る。
あの男と同じ色の目で。
ストロンは、睨み付けるようにその目を見つめ返し、ダグラス家の呪いの物語を、改めて聞かせた。
クロムの髪色と瞳によって、アメリアの不貞が発覚したこと。それを知った夫のディアバークス氏が激怒し、一家が修羅場に見舞われたこと。それによって、親戚中から絶縁され、両親が憔悴死してしまったこと。
全てを語って聞かせた。
「……お前のせいで、あの美しい家は穢れた。父さんも母さんも、お前のせいで死んだのだ。ダグラス家の医師としての、高貴な血統も、全てお前が奪った」
クロムは何も言わず、ただストロンの言葉を聞いていた。
ガラス玉のような赤い瞳を一切動かすことなく、小さな椅子に座ったその姿は、まるで人形のようだった。
ストロンは、更に表情を強ばらせ、重々しく続ける。
「私は、誰からも必要とされていないお前を、わざわざ引き取ってやった。お前を孤児院に送ることも、野垂れ死にさせてやることも出来たと言うのにだ。だから、お前が我々家族に尽くすのは当然のことだ。感謝しろ。……お前を被験者にしないのは、お前がカルシアの従兄で、八分の一は血が繋がっているからだ。カルシアのドナーとして利用価値があるのだから、カルシアにも感謝しろ。お前には、明日から、研究所の雑務を手伝ってもらう。もう六歳になったのだ。充分に働けるだろう」
「…」
それでもクロムは、黙って頷くばかりであった。
泣きもせず、怒りもせず、怖がる様子も見せない彼を、ストロンは気味悪く感じていた。それと同時に、腹立たしくもあった。
こちらが何を言っても、全く響いている様子がない。
(…どこまでも、あの男に似ているな)
ストロンは、忌々しげに心で呟き、クロムの部屋を後にした。
* * *
クロムは、とてもよく働いた。荷物運びも、掃除も、ゴミ捨ても、毎日淡々とこなしている。
基本的に嫌がる様子も見せなければ、泣き言も文句も言わない。
時々口答えをしたり、揚げ足を取りはするものの、少し痛め付ければすぐに黙った。
労働力としては申し分ない。
しかし、どうにも癪に障る。
ストロンの中のどす黒い感情は、クロムが成長していくと共に大きくなっていった。
年々口答えが増え、暴力にも屈しなくなっていく。ただでさえ無反応だったと言うのに、もはや何も感じていないかのような顔でこちらを見つめて来るようになり、気味の悪さも増していく。
そんなある時、ストロンの脳裏に悪魔的な発想が浮かんだ。
ここまで何も感じないのなら、あの仕事に向いているのではないだろうか、と。
あの仕事と言うのは、霊安室の管理と、遺体処理のことである。
今まで研究員たちに交代制でやらせて来たが、もちろん皆嫌がるため、クロムにやらせられるのであればそれに越したことはない。
「クロム、お前に新しい仕事を与えよう。お前にしか出来ない、特別な仕事だ」
ストロンは冷たく告げ、クロムを地下フロアに連れて行った。
そして、淡々と仕事内容を説明しながら、フロアを案内する。
「いいか。お前には、今日からこの地下フロアの管理をしてもらう。手前の霊安室には、解剖前の遺体が置かれている。毎日室温取り遺体の状態をチェックするのだ。少しでも異常があれば、研究員に報告したまえ。それから、解剖が終わった遺体を施術室に回収しに行き、奥にある焼却炉で処分すること。遺体を入れてスイッチを入れるだけでいい。時々灰の手入れは必要だが、骨は残らないから、お前でも処理出来るだろう。分かったな?」
クロムは、相変わらず表情を変えることなく、静かに聞いていた。
ただ、成長して口が達者になった今、彼はただ黙っているだけではない。
「…そんな仕事、何の知識もない子どもにやらせるにはリスクが高すぎるかと。遺体に何かあったり、事故に繋がっても、僕にはどうにも出来ません」
「だからこそ、お前を使うのだ。お前と解剖済みの遺体であれば、事故に遭っても誰も困らないからな。つべこべ言わずに従いたまえ」
ストロンが威圧しても、クロムは至って冷静に返した。
「じゃあ、やりますけど…どうなっても、責任は取れませんので、それだけは。」
やはり、気味悪く、腹の立つ小僧である。
ストロンは、怒りに拳を震わせながら、苛立った声で冷たく告げた。
「痛い目に遭いたくなければ、それ以上余計な口を利くな。私は、誰からも必要とされていないお前を引き取ってやったのだぞ。私がいなければお前は生きられないのだから、黙って従え 」
「引き取ってくれなんて頼んだの、いつでしたっけ?」
その言葉に、ストロンは一瞬固まった。
僅か10歳の少年が、こちらの前提をひっくり返すようなことを口にしたという驚きと、自分が振りかざした条件は破綻しているという事実を突きつけられた恥と怒りで、言葉が出なかった。
クロムの真っ白な頬に、拳が入る。
「口答えをするな!罰として、お前の生活拠点はこのフロアとする!!せいぜい私の有り難みを思い知るがいい!!」
虚しく反響する自分の怒声を聞かぬよう、ストロンは足早に地下フロアを立ち去った。
その背中を、クロムは少しの憐れみが込もったような瞳で、じっと見送っていた。
コメント
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うわ、重い……第5話、一気に読んじゃいました。ストロンの歪んだ憎悪がクロムにどんどん向かっていく描写が、読んでいて本当に苦しかったです。特に「引き取ってくれなんて頼んだの、いつでしたっけ?」ってクロムが冷静に返すシーン、あれはゾクッとしましたね。10歳でこの逆転の視点、怖いけど応援したくなる。それにしても、地下フロアに閉じ込めるって……この先どうなるんだろう。続きが気になります。