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それからも、変わらぬ時が流れて行った。
カリーナとの溝は深いまま。クロムは口答えをしつつも淡々と働くばかり。 そして、研究員たちは黙々と新薬の開発やデータ分析、実験等に勤しむ日々が続いて行った。
この研究所が設立され、12年が経とうとしている今、 もう、 誰もこの環境から抜け出すことが出来なくなっていた。
この場所を出ようにも、鬱蒼とした山の奥深く。出られたところで、社会から貼られるレッテルは非人道的な人体実験に加担した犯罪者。
此処を出れば、もう自分たちに明日はない。
逆らえば、どんな目に遭わされるか分からない。
そんな苦悩と恐怖を抱えながら、皆、黙々と働いていた。
そんなある日のことだった。日付も変わり、夜の闇も深くなる頃、カリーナが、久々に所長室を訪ねてきた。
「…あなた、起きている?」
「あぁ、カリーナか。何の用だ」
ストロンはぶっきらぼうに返事をしたが、カリーナは神妙な面持ちで俯き、黙っていた。
一向に口を開かない彼女に苛立ちを覚え、ストロンは急かす。
「何だ。早く言いたまえ」
すると、カリーナは重々しく言葉を紡いだ。
「あなた、落ち着いて聞いてね。……今日、病院の先生から連絡があって…カルシアの容態が…かなり、悪化したそうよ。…もう…もう、長くないかもしれないって……」
ストロンは、言葉を失った。
カルシアが、もう長くないかもしれない。
まだ、研究は完成していないと言うのに。
まだ、治療法も見つからないと言うのに。
「……急がねば。」
「え?」
「急いで、研究を完成させなければ!」
焦燥感で居ても立っても居られなくなり、ストロンは速やかに資料を広げ始めた。
「あなた、落ち着いて!ねぇお願いよ!こんな研究、もうやめてちょうだい!」
カリーナは、涙を浮かべ、嗚咽混じりに訴えかけた。
「カルシアが……病院で、一人で苦しんでいるのよ! 容態が急変して、もう長くないかもしれないって連絡があったのよ!あなた、それでも研究を続けるっていうの!?…お願いよ、もうこれ以上は……!自分の娘を助けるためなら、どれだけの命を犠牲にしても構わないとでも言うの!?」
しかし、盲目になってしまったストロンに、その必死の訴えが届くことはない。
「馬鹿なことを言うな、カリーナ! まさに今こそ、この研究を完成させなければならないのだ!時間が無い!カルシアの命が、風前の灯火なのだぞ!私は医者として、父として、ただあの子を救うためにここにいる!あの子を救うためなら、どんな犠牲も厭わない! カルシアは、私の全てだ!この研究は、全てあの子のためにあるのだ!」
「全てはカルシアのためですって!?違うわ!あの子は、こんなことで救われても決して喜ばない!… あの子は、優しい子なのよ?多くの命を犠牲にした結果で自分が助かったと知ったら、深く苦しむわ! …私はせめて、あの子が穏やかに、残りの時間を過ごせるようにしてあげたいの!だから、お願いよ!こんな研究はもうやめて!いい加減現実を受け入れてちょうだい!」
「では、お前はカルシアの命を見捨てろと言うのだな!?」
やはり、何度話し合っても平行線のままである。カリーナの心が折れかけたところを更に追撃するように、ストロンは言った。
「カルシアは、私の、たった一人の娘だ!あの子の命を救うためならば、私はどんなことでもする!今、カルシアが生きているという現実を見ているから、私はこの研究を続けているんだ!」
その瞳は、あまりにも切実で、真っ直ぐだった。
彼は、確かに娘を愛している。愛しているからこそ、救おうとしている。だが、それ故に何も見えなくなってしまった。
カリーナは、静かに悟った。
もう、彼は手遅れなのだと。
* * *
それからの時の流れは、恐ろしいほど早く感じられた。一分一秒と、争っている暇はない。試行錯誤いる間にも、カルシアには刻々と終わりが迫っている。
バークやローレンに促され、ベッドで眠りに就こうとはするも、全く眠れない。
眠ってしまったら、その間にカルシアが死んでしまうような気がしてならなかった。
(あぁ…カルシア…!)
今頃、彼女はどうしているだろうか。
こんなことなら、もっと会いに行けば良かった。もっと、顔を見て、話しておけば良かった。
明日にでも会いに行けば、まだ間に合うだろうか。しかし、血塗られたこの手で、娘に会いに行く資格などない。
後悔先に立たずという言葉では足りないほどの後悔に苛まれていた時だった。
階下で火災報知器が鳴り響き、何かが焦げるような臭いが、どこからともなく漂ってきた。
(何だ…!?)
慌てて飛び起き、様子を見に階段を降りると、所長室から大きな火の手が上がっていた。
一瞬、夢かとも思ったが、頬を撫でる熱風と、迫り来る黒煙がどうやらそうではないらしいことを突き付けてくる。
そして、訳も分からず辺りを見回すと、壁に何やら文字が記されていることに気付いた。
“From Chrom Lowell”
それを読んだ時、何が起こったのかようやく理解が追い付いた。
クロムが、所長室に火を放ったのだと。
「この痴れ者があああああ!!!」
ストロンは、気が狂ったように喚き散らした。
「私の、私の研究が!カルシアの、カルシアの全てが……!クロムめ!八つ裂きにしてくれるわあああぁぁぁぁぁぁ!!!」
彼は、叫ぶと同時に膝から崩れ落ち、虚ろな目で燃え盛る部屋を見つめることしか出来なかった。彼の顔は憎悪と絶望に歪み、血管が浮き出ていた。
すると、異変に気付いて駆けつけたカリーナが彼の腕を掴み、強く揺さぶった。
「あなた!しっかりして!何を馬鹿なことを言っているの!一斉避難指示を出してちょうだい!」
カリーナの声は、悲鳴混じりながらも、どこか凛としていた。彼女は、正気を失いかけた夫を必死に厳しく律しようとしている。ストロンは、カリーナの言葉に引きずられるように、ふらつきながらも立ち上がった。
彼の震える声で、研究所全体に避難指示のアナウンスが響き渡る。
「……全職員、被験者は、直ちに屋外へ避難せよ!繰り返す!全職員、被験者は、直ちに屋外へ避難せよ!」
指示が発せられると、慌ただしく研究員や被験者たちが、各部屋から飛び出し来て、我先にと避 難していく。
ストロンは、カリーナに言われるまま一階へ降り、被験者たちの檻を次々と開けて回った。
今、全てが、終わっていく。
研究データは炎に呑まれ、研究員も、被験者たちも次々とこの場所から出て行く。
もう、カルシアを救うことは出来ない。
全ての希望が、粉々に打ち砕かれてしまった。
そこからは、どうやって下山したのか覚えていない。
ただ、町に下りて来た道を振り返った時に目にした、真っ赤に燃え盛るグーレ山だけは、鮮明に記憶に焼き付いていた。
コメント
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うわあ、6話でここまでくるか…。ストロンの「カルシアのため」という執念が、もう完全に暴走列車になってて、カリーナの理性的な訴えが届かないもどかしさが痛いほど伝わった。研究データごと炎に包まれるラスト、「From Chrom Lowell」の一撃で全てが崩れる瞬間の絶望感、すごかったです。振り返った山の赤い記憶、この先に繋がるんでしょうね。続き、めちゃくちゃ気になります。