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弦は、相手の言葉を受け取っているみたいに、何度も小さく頷いた。
「……うん……」
「……そう、だよな……」
誰もいない空間に向かって、視線が揺れる。
そこに立っている“英二郎”の目を、追っているかのように。
「……怒ってる、?……」
一度、言葉を切って、息を吸う。
「……当然だ……
……俺だったら……許せない……」
そう言って、弦は苦しそうに笑った。
泣き顔のままの、歪んだ笑み。
「……でも……
……話、聞いてくれてるなら……」
また、こくりと頷く。
まるで、
「いいから続けろ」
そう言われたみたいに。
「……あの時……
……呼びたかった……」
声が、また震え出す。
「……名前……
……大声で……」
弦は、胸の前で拳を握りしめる。
「…避けろって……
……一緒に、帰ろうって……」
何もない場所に向かって、深く頭を下げた。
「……ごめん……
……本当に……ごめん……」
その仕草は、
謝罪というより、
必死な祈りだった。
弦は、しばらくそのまま動かなかった。
やがて、ゆっくりと顔を上げる。
「……え……?」
何かを聞いたように、目を見開く。
「…………?」
声が、少しだけ上ずる。
「……俺が……
……生きてて……?」
その問いは、
六年生の胸を、強く締めつけた。
弦は、しばらく黙り込み、
それから、ゆっくりと、何度も頷いた。
「……そっか……」
喉を鳴らして、息を整える。
「……分かった……
……でも……
……すぐには……無理、だ……」
また、頷く。
会話の終わりが、近づいているみたいに。
「……うん……
……またね……死んだら殺す?……なにそれ…、笑」
最後は、とても小さな声だった。
「……また、な……」
弦の視線が、ゆっくりと下がる。
目の前の“誰か”が、離れていくのを見送るように。
その瞬間。
膝から、力が抜けた。
——どさり。
音を立てて座り込む。
仙蔵が、ほんの一歩だけ前に出る。
まだ、触れない。
弦は、何もない床を見つめたまま、呟いた。
「……いった……」
それが、
別れなのか、
一区切りなのか。
誰にも、分からない。
六年生たちは、
まだ黙ったまま、
弦の背中を見ていた。
雲に隠れた満月は、
相変わらず、姿を見せない。
その夜、
弦は確かに――
英二郎と、会話をしていた。
弦は、しばらくそのまま動かなかった。
畳に座り込み、
視線は落ちたまま、
肩だけが小さく上下している。
さっきまで確かに“そこ”に向けていた意識が、
ゆっくりと現実に戻ってくるのが、
後ろにいる六年生にも分かった。
「……」
弦の指先が、畳を掴む。
「……いない……」
ぽつりと落ちた声は、
幻覚が消えたことを理解した声だった。
仙蔵は、そこで初めて動いた。
音を立てないように一歩近づき、
弦の視界に、そっと入る位置で止まる。
「弦」
低く、静かな声。
弦は、ゆっくり顔を上げた。
目は赤く腫れ、
涙はもう出ていない。
代わりに、ひどく疲れ切った色をしていた。
「……ごめん……」
反射みたいに、その言葉が出る。
仙蔵は、首を振らなかった。
肯定も、否定もしない。
「……今は、それでいい」
それだけ言った。
文次郎が、ようやく息を吐く。
握っていた拳を、ゆっくりほどく。
「……聞こえてた」
短く、事実だけを告げる。
弦の肩が、びくりと揺れた。
「……」
「止めなかった」
留三郎が続ける。
「止める権利、俺たちにはないからな」
弦は、何か言おうとして、
結局、何も言えずに俯いた。
小平太が、床に胡坐をかいて座る。
「……あれが、弦に必要な夜だったなら」
視線を逸らしたまま、続ける。
「俺たちは、起きてただけだ」
長次は、弦の近くに座り、
何も言わずに、そっと背中に手を置いた。
その手は、重くも軽くもない。
逃げられる距離。
弦は、しばらくしてから、かすれた声で言った。
「……俺……
……あいつが……怒ってるって……思ってた……」
声が、震える。
「…怒ってた…でも……
……ちゃんと……聞いてくれた……」
少し笑いながら
「……英二郎…、に…説教された…メソメソすんなって…」
それが事実かどうかは、
誰にも分からない。
けれど、
弦がそう“感じた”ことだけは、
確かだった。
伊作は、静かに言う。
「……今日は、もう休もう」
弦は、少し迷ってから、頷いた。
「……うん……」
誰かが布団を敷く。
誰かが灯りを落とす。
弦は、布団に横になりながら、
天井を見つめた。
月は、見えない。
それで、よかった。
目を閉じる直前、
弦は小さく息を吐く。
「……英二郎……」
それは、呼びかけではなく、
確かめるような声だった。
その夜、
弦はまた、眠りに落ちた。
深いかどうかは分からない。
夢を見るかも、分からない。
ただ、
誰にも起こされず、
誰にも否定されず。
六年生の気配に囲まれたまま、
静かに、夜を越えていった。