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やっぱり帰ろう!
紗理奈は数分もしないうちに直哉を無視するという、アイディアが良いものだと思えなくなってきていた、周りは白熱するレースに夢中になっている
次のレースとの休憩時間ざわつく主賓席フロアで、なるべく目立たないように、人が少ない観覧シート席を見つけ、端っこにちょこんと座った
目の前の広いレース場をくまなく見渡したが、彼はどこにもいないようだった
今なら顔をあわせずに済む、よしっ!やっぱり帰ろう!山上先生には後で連絡をすればいい
そう紗理奈がガバッと立ち上がった瞬間、入り口の自動ドアが開き、直哉がこのフロアに入って来た
紗理奈はそちらに目を向け、その途端手に持っていたバックを落としそうになった
入口にいる彼は人里に現れた野生の豹みたいに、場違いだった
スーツを着ているとはいえ、鮮やかな金メッシュの入った茶色の髪、ハーフアップに括っているが、一房垂れている前髪が粋だ
今はジャケットを脱いで片手に持っている、半袖のビジネスシャツから覗く逞しい腕と広い肩
豹みたいな侵入者はキョロキョロと誰かを探している
自分だ!
ガタンッとまた紗理奈は座り込んだ、もうこれで彼がこのフロアから出て行くまで、この席から離れられない、どうか見つかりませんように
紗理奈は俯いた
顔は真っ赤で
心臓はドキドキしている
しばらくして直哉が観覧席の後ろの方に歩いてきた、紗理奈が座っている席と同じ列に入り、席の間を縫って近づいてくる
ああっ!神様!
紗理奈は髪で顔を隠した、ほとんどが空席なのに直哉は紗理奈の、座っている列にとうとうやって来た、金縛りのように体が動かない
紗理奈はここがどこか一瞬で分からなくなり、パラレルワールドに入り込んだ気分になる
手汗はぐっしょり
世界がひっくり返る
時間が逆行する
紅の豚が空を飛ぶ
「ここ、空いてますか?」
紗理奈の隣を指さした、彼の声は低くなめらかだった
―ここの他にも100席は空席があるでしょっ!―
紗理奈は心の中で叫んだが、ぎこちなく俯いたままだんまりを決め込んだ
顔を隠すのよ!もしかしたら本当に私だとわからずに、ここに座るのかもしれない!
自分の運命を呪った
彼は猫みたいにしなやかな動きで、椅子のクッション部分を倒し、紗理奈の隣に腰をおろした
次のレースが始まる放送が聞こえる、目の前の大型ビジョンに馬が映り、一頭、一頭紹介している
紗理奈は俯き、髪が顔にかかるようにして、心を震わせながら、顔はいっさい動かさずに、横目で見られるだけのものをじっくりと見つめた
隣の彼の長い脚が通路に飛び出ている、肩が広くて、ひとつの席に与えられた、空間に収まりきらない
彼は手すりに腕を預け、半袖からむき出しの腕が、紗理奈の腕にぴったり触れた、それだけで飛び上がりそうになる
腕には筋肉が盛り上がり、日に焼けて生えた産毛が見える意外と腕毛が濃い
彼はじっと前を向き、無言でレースを観覧している
腕が触れ合った所は焼け付くように熱く、紗理奈はそこを意識せずにはいられなかった
全身の神経がそこを中心につながっていた
彼はハーブのシャンプーの香りがした、スラックスの腿に置かれた手は大きくごつごつしていた
あの手が・・・私の体を・・・
ダメよっ!そんな事今絶対思い出しちゃダメ!紗理奈は自分に叱咤した
こんなに怯えて緊張し、そして興奮したのも初めてだった、心臓が口から出そうだ
こんなに素敵な人が牧場主?農夫?世の中間違ってない?
何か落とし穴があるはずだ、こんな人が紗理奈を相手になんかするはずがない
その時直哉が紗理奈の顔に罹っている、髪の毛を一房持ち上げ耳にかけた
次の瞬間直哉の顔が数センチ近くにあった
紗理奈は仔犬が蹴り飛ばされたような、甲高い声をたてた
直哉は目を見開いて紗理奈の顔を見つめる、紗理奈は身動きもできず、呆けたように口を開けてただ彼と見つめ合った
甲高いファンファーレの音と共に、メインゲートが開いた瞬間、舞うように馬達が飛び出した
馬を操る騎手達の色鮮やかなヘルメットが、砂埃の中、勢いよく宙を舞う
階下の埋め尽くされた一般観覧席から歓声が広がる
しかし二人はまったくレースを見ず、お互いを見つめ合っていた
そして数秒が過ぎ彼はこう言った
「やぁ!フルメイクをしたら凄い美人になるんだな!ところで君はまだ処女かい?ピーチ?」
紗理奈はあわててその場から逃げ出した