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五月二十四日、十時十二分。
シオンたちは朝からキサラギに向けて出発した。
小田原集落からキサラギまで、車で二時間ほどかかる。シオンとアーシャの運送は三〇八小隊が担当することになっており、彼女たちはまた小田原に戻ってくる予定だ。既に半分ほど道程を進み、今は茅ヶ崎市を走っている。
シオンはヒムロの運転する幌トラックの後部に乗せられ、ずっと窓の外を眺めていた。窓といっても、黒い幌の一部が透明ビニルになっているだけだが。
(曇りか。昨日は風も強かったし、あっという間に天気が悪くなったな)
昨晩は月明りも見えていたが、今は曇天が広がっている。
じきに雨が降るだろう。空気の湿り具合からして間違いない。先程から強風のせいで幌がはためいており、それが耳に障る。
(移動にもう少し時間をかけていたら……この雨に足止めさせられたかもな。運が良かった)
そんなことを考えるシオンの隣に赤い髪が映った。
同時に強い力で押しのけてくる。
「あたしにもそっち側の外を見せてよ」
「アーシャ」
「シオンばっかりずるい」
「面白いものはないぞ」
そう言いつつもシオンは場所を譲る。
小田原からキサラギのある旧横浜市までの道は途中まで海沿いだ。なので右側の窓は特に変わり映えのない景色が続く。特に今は曇り空であるため、青い海の美しさもない。しかしアーシャからすれば全てが新鮮だった。
大風で波立つ海すら、いつまでも見ていられる。
アーシャはもう窓から離れないだろう。
シオンは仕方なく、積み荷の傍に座った。
「興味津々ね、その子」
「セリカ。言い方が刺々しいわよ」
「だったら初めから私が助手席に座れば良かったのよ」
氷花が窘めるも、セリカは不満げに返しつつ運転席の方を指さした。
運転席には談笑する如月ヒムロが、一方で助手席には八神ハルが座り、フロントガラスを指さしながら何かを話していた。よく見ると一部が割れている。
会話に困ったシオンはそのことについて尋ねた。
「あれは?」
「フロントガラスね? あれ、行きがけにヒムロの銃が暴発したの」
「大丈夫だったのか?」
「見てのとおりよ」
大事に至らない事故で済んで良かったと氷花は笑う。
しかしあまり笑える話ではない。どうしたものかと考え、ふと思い出した。こちらを睨みつけるセリカへと向いて軽く頭を下げる。
「そういえばセリカの知識で助かった。竜の巣でキノコを採って飢えを凌いだんだ」
「……そう。まさか役に立つとは思わなかったわ」
「調理の話をもっと聞いておけばよかったと思ったよ」
「まさかそのまま食べたの?」
「海水で茹でた」
「……酷い料理ね。せめて炒めるべきよ」
「生憎料理には縁がなくて」
「ま、合成食品ばかりだものね。キサラギで食べるキノコもオートミールみたいなものだし」
キサラギで一般的に配布されている食料は化学合成されたものであり、味も栄養も調整されている。基本的に不味いと感じることはない。
逆に天然素材の不安定な味は現代人であるシオンたちにとっては不可思議なものだった。
「礼なんて不要よ。あれはただの戯言」
「それでも君のお陰で助かった。ありがとう」
「……ふん」
気恥ずかしさからか、あるいは受け入れないと言う表明か。セリカは顔を背ける。
不意にアーシャが悲鳴を上げた。
「きゃっ!?」
「どうしたアーシャ!」
彼女は尻餅をついて窓を指さしている。シオンも慌てて窓の外を見るが、何もなかった。強いて言うならば雨が降っている。かなりの大雨で、いつの間にか幌を叩きつける雨音が響いていた。
(ドラゴンでもいたのか?)
シオンは視界の悪い外を確認するが、それらしい姿はない。この悪天候でもドラゴンの赤い巨体を見逃すことはないだろう。
この幌トラックは前後左右と上面に一つずつ透明ビニルの窓が確保されている。
全方向を確認してもドラゴンは確認できない。
「何を見たんだアーシャ?」
「み、水が窓に……」
「水? 雨のことか?」
何故そんなことで驚くのかと疑問に思うが、そこでシオンはある事実に思い当たる。アーシャは地下研究所で育ったので、雨を知らないのだ。
確かに知らなければいきなり水が降ってくる現象に驚くことだろう。
「大丈夫だ。ただの天気だから」
「天気? 何よそれ?」
「あー……外の世界では空から水が降ってくることもあるんだよ。別に不思議なことじゃないから、そんなに怖がらなくてもいい」
「べ、別に怖がってなんかいないわよ! 初めて見ただけだし!」
アーシャは強がっているが、怖がっているのは明白である。しかしシオンも余計なことは言わない。彼女の性格を考えれば、押し問答になるだけだろう。
事情のよく分からないセリカが氷花に尋ねる。
「あの子どうしたの?」
「雨を初めて見たらしいわ」
「そうなのね」
「セリカは英語が苦手だっけ?」
「読めるけど、会話は苦手で」
彼女は英語があまり分からないので、アーシャの言っていることを理解できていなかった。セリカは竜殺一族ではなく、一般の出自であるため、英語をそれほど深くは会得していない。
如月家のように生まれながらに竜殺を義務付けられている一族は、その必要性から英語を必ず習得する。そのため氷花もアーシャの言っていることは理解していた。
「ほら、アーシャ」
シオンは手を差し出す。
その手を取ろうとしたアーシャは、しかしもう一度窓を指さした。
「あ……」
反射的にそちらを見たシオン、そして氷花とセリカも思わず抜けた声を漏らす。
「え?」
「今の」
「ちょっと!」
大雨になりつつあるため分かりにくいが、複数の赤い巨体が窓の外に見えた。そして次の瞬間地面が揺れ、幌トラックが跳ねる。また車が急旋回したことで三人は体勢を崩してしまった。その際に氷花が幌を支えるフレームに叩きつけられ、倒れた。
「氷花!」
「何よ何よ!」
セリカが氷花に呼びかけるも返事がなく、アーシャは蹲って耳を抑えつつ叫んでいる。今もトラックは蛇行運転を繰り返しており、運転席を見るとヒムロがせわしなくハンドルを回していた。ハルがサイドミラーや窓の外を見ながら何か指示を出している。
シオンは幌フレームの一つに掴まり、改めて窓の外を見た。
「小型竜の群れ……中型もいるのか!」
最悪の天候の中、シオンたちの車はドラゴンに襲われた。
◆◆◆
運転席に座るヒムロは激しく心臓を鳴らし、連続でハンドルを左右に切っていた。小型ドラゴンですら車とほぼ同じ大きさなのだ。体当たりでもされたら幌トラックは横転してしまう。またドラゴンが横切るだけで凄まじい風圧が生じるため、それに煽られて思うように運転できない。
大雨による悪路や視界不良も鬱陶しかった。
「ヒムロ、左に小型接近!」
「うん!」
助手席に座る八神ハルは運転席からの死角を中心に監視しつつ、迫るドラゴンの情報を口にしていく。また同時にドラゴンの数も計測していた。
「三、四……小型四体に中型も一体いるよ」
「最悪だ、最悪だ」
「私たちじゃ倒せないよ! それにこの雨も……」
「分かっている。逃げるしかないよ」
三〇八小隊は新人上がりの部隊だ。また調査を主任務とする『三』の部隊であり、決してドラゴンとの戦闘は得意ではない。チームで挑んで小型一体を仕留めるのがせいぜいだ。
群れで、しかも今のように追跡される立場となると勝ち目はない。まして中型ドラゴンがいるとなれば尚更だ。
「キサラギに通信は? 通じないの?」
「まだ無線圏外だよ! せめて横浜市に入らないと!」
「救援も期待できないなんて……うわっ!?」
「右! 右! ヒムロ右!」
ドラゴンの主な攻撃は体当たりだ。しっかりと見極めれば避けることができる。また今のところは連携する様子もないので、連続して単発の攻撃が来るだけだ。
「タイヤがとられる……」
先程から何度もスリップしておりこのままではいつ横転するかも分からない。アクセルも踏みっぱなしだ。
「ヒムロ! そっちは道が!」
「分かってる! でも……」
茅ヶ崎市を抜け、今は藤沢市を走っている。そしてこのあたりで横浜方面へと左折しなければならないのだが、僅かでもブレーキをかければドラゴンに追いつかれてしまう。そのため直進せざるを得なかった。
このままでは横須賀方面に行ってしまう。
しかし選択肢はなく、ドラゴンが諦めてくれるまで逃げ続けるしかなかった。
◆◆◆
「うっ……」
「目が覚めたのね。意識ははっきりしている?」
「……いったい何があったの?」
激しく揺れるトラックの荷台で氷花が目を覚ました。シオンとアーシャは幌のフレームに掴まって揺れに耐えている状況であり、一向に好転していない。セリカとて氷花をしっかりと捕まえつつ、投げ出されないようにするのみだ。
目覚めたばかりで混乱している氷花に、シオンが状況を説明する。
「竜の群れだ。もう二十分ぐらい逃げているけど、まだ諦めてくれなくて。氷花は初めの揺れで頭を打って気絶していた。まだ痛むか?」
「大丈夫よ。もう治りかけてるわ。それで竜の数は?」
「多分、五匹だ。中型も一体いる」
「最悪ね……この揺れも!」
氷花もセリカの腕から離れてフレームに掴まり、そして自らの目で状況を確認するべく窓の外を覗いた。視界最悪の大雨でもドラゴンの赤い巨体は良く見える。
その翼は暴風を生み、ただの体当たりで家屋を倒壊させる。雨音と破壊音が連鎖的に響き渡り、その間に差し込まれるようにタイヤが地面を擦る不快な音がする。
「でもそろそろキサラギに着くんじゃない?」
「いや、横須賀の方に向かっているみたいだ。竜を振り切るために速度を落とせなくて曲がるに曲がれなかったらしい」
「救援も無理ってこと!?」
「この辺りは無線の基地があるはずだ。救援信号を飛ばせば誰かが拾ってくれる可能性が高い。諦めるには早いぞ」
シオンはそう言ってポーチからインカムを取り出す。富士樹海での任務以降、不要なので外していたものだ。まだ電池が残っているため、遭難時に使う救難信号を発信したのだ。
それを見た氷花も納得し、また窓の外を覗き見る。何もすることがなくとも、外が気になって仕方ないのだ。セリカも同様で、かなり緊張した様子のまま常に外の様子を確認していた。一方でアーシャは揺れるたびに叫んでいる。
「きゃっ!? ちょっと何よ! あ! また!?」
「無理に立つな。座ってこれに掴まってろ!」
「さっきから、揺れて……気持ち悪……」
「おまっ……まさか!」
左手でフレームを掴みつつも右手で口元を抑えるアーシャ。
それが何を意味するのか、シオンはすぐに察した。慌てて受け止めるための袋を探すが、そんな都合のいいものがあるはずもない。
「あたし、限界……」
「待て待て待てアーシャ! もう少……」
だが、そこでガコンと嫌な音がする。
同時に車体が傾き、四人の体が宙に浮く。
「あ……」
激しい衝撃と轟音が全身を貫き、シオンの目の前は真っ暗になった。