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サラフェは左手で猫の首根っこを掴み、右手でその猫の首に刀を宛がう。猫が身をよじろうとするも彼女に強く掴まれており、逃げることもできない。また、猫の爪がサラフェの鎧を引っ掻くもまるで歯が立たない。
「フシャッ!」
「大好きなモフモフが傷つくところは見たくないでしょう? 降参なさい?」
大気が小さく震えた。初夏にも関わらず、風が急に冷たさを帯び始める。地面も心なしか小刻みに小さく揺れていた。草はざわめくようにあちらこちらへと風に吹かれている。
「サラフェ……今すぐ……今すぐその仔を離せ……」
ムツキの声が優しく諭すような声から怒りを押し殺しているとてつもなく低い声へと変わっている。彼が言葉を発しようとするだけで、サラフェの身体に、脳に、心にひり付く様な何かが刻まれる。彼女は気圧されるわけにはいかないと自身を奮い立たせてしまい、それが悪循環を生む。
「えぇ、あなたが降参すれば離してあげますよ?」
「サラフェ、それは悪手かもしれません。やめましょう。別の手を考えましょう」
キルバギリーが警告する。彼女は魔力の流れを読み取り、尋常ならざる何かを察知する。その彼女の機械的な冷静な声色とは裏腹に、彼女の中では警告音が最大音量で鳴り響いているような状況だった。
「……二度と言わないぞ? その仔を離せ」
「くどい!」
「ふぎゃっ!」
サラフェが猫の薄皮を一枚斬る。猫はその痛みに思わず声を上げた。
「お前、何を!」
「っ……」
突如、サラフェは全身が震えあがる。意識が吹き飛ぶような感覚、何かがのしかかった様な感覚、手足がひどく重く立っているだけでも辛いような感覚、そして、恐怖、そういったものに彼女は襲われる。
「にゃ……」
直接重圧の掛かっていない猫でさえも雰囲気に呑まれ、痛みさえも忘れて、鳴くことをやめた。ムツキが声を荒げるほどに怒っている。そのような彼の姿を今まで猫は見たことがなかった。
「サラフェ、まずいです! 今すぐその妖精を離し、撤退してください! 魔力が!」
「何が……うっ!」
サラフェがキルバギリーの声に気を取られていた瞬間に、彼女の右手が吹き飛ばされて消失したかと思うほどの衝撃を受ける。それと同時に左手首に痛みが走ったかと思えば、持っていたはずの猫がいなくなっていた。
「サラフェ、声を荒げて悪かった……でも、ちょっとお仕置きだ……少しくらい痛くても我慢しろよ? 強いんだろう? お前が今、この仔に与えた以上の痛みと恐怖は覚悟しろよな?」
「ひっ……」
サラフェはムツキが見せた形相と威圧に、身体が上手く動かず、口の動きもおぼつかない。やがて、彼女は意識が朦朧とし、膝から崩れ落ちてへたり込み、再び立ち上がろうにも立ち上がれなくなる。
「にゃー」
「そうだ、大丈夫か? 【ヒーリング】」
猫はムツキの表情を見て、必死に和ませようとしたのか、彼の顔に彼の大好きな肉球を押し当てる。彼はハッとして、猫に向かって優しく微笑みながら【ヒーリング】を唱える。
「にゃー」
「よかった……家でケットに手当してもらってくれ」
猫はムツキの言葉を聞いた後に、家の中へと駆け足で入り込む。
「サラフェ! サラフェ! サラフェ! しっかりしてください! 偏屈魔王から放出されている魔力量が違い過ぎます! サラフェ! 撤退です!」
「ぐっ!」
キルバギリーの呼びかけで意識をはっきりと取り戻したサラフェが翼を広げ、地上を滑るように飛んでいく。しかし、いつの間にか、彼女の目の前にはムツキが立っていた。
「なっ!」
「……逃げられると思ったのか?」
サラフェは上空へと飛び上がる。
「【レヴィテーション】」
ムツキが【レヴィテーション】を唱え、サラフェに迫る。
「空を飛べるだと!? キルバギリー、煙幕!」
「はい!」
鎧の隙間から白い煙が放出される。サラフェは煙幕を張った後、方向を変え、人族領の方に向かって飛ぼうとする。しかし、既に目の前にはムツキが空中で立っていた。彼女は再び煙幕を出し、地上へと急下降して草の中を分け入る。しかし、どこをどう逃げてもムツキが次の瞬間には目の前に立っている。
「…………」
ムツキがサラフェの頭に手をかざそうとする。
「ひっ!」
サラフェは再び声にならない音を出す。悲鳴さえ思わず飲み込んでしまうほどの威圧が彼女を包む。逃げられないと悟ったのか、はたまた、恐怖にただただ飲み込まれたのか、彼女は意識をはっきりと持っていたにも関わらず、再びへたり込んだ。
「どうした? さっきまでの威勢はどこにいった?」
「うっ……ううっ……」
サラフェは意識を強く持たなければ失禁さえしそうなくらいな状況だった。殺されるのかもしれない、殺されないにしても酷い目に遭うかもしれない、という恐怖を前に為す術もなく、涙も無意識に零れ流れていた。
「……偏屈魔王」
キルバギリーは再び機械的な落ち着きのある声でムツキに話しかけた。