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真っ白な紙を見るような目で、Kは僕を見ている。

自分が今どんな顔をしているのか、わからない。残酷な笑みでも浮かべているだろうか。案外無表情かもな。

「今、なんて」

かすれた声でKが言う。普段は血色のよい顔が白く染まっている。少しやつれているのは流石に父親の死が応えたか。

「聞こえなかったかな? 今月中に事務所を退職してくれ、と言ったんだ」

「でも、この事務所は当職のパパが当職のために……」

「いいかいK。今、ここの責任者は誰だい」

「……Y君、ナリ」

「そうだ。そしてここには事務員もいる。経営者としての立場で、僕は物事を判断しないといけない」

「当職が、足手まといだと?」

「君の能力がどう、というのではないさ。しかし、君がネット上でどういう扱いかはわかっているだろう。どこの業界でもそうだが、イメージは大切だ。

サジェストで不穏な言葉が出るような会社は信用されない。そう最初に言っていたのは君だったと思うが、何か違ったかな」

「でも」、そこまで言うとKは言葉を切ってうつむく。

その後に続く言葉が見つからないのかもしれない。

何を言っても無意味なことを悟ったのかもしれない。

僕は立ち上がり、オーディオのスイッチを入れる。Kの好きなアーティストの楽曲が流れ出す。

この場にはふさわしくもない、「愛してる」という言葉を水で10倍に薄めたようなラブ・ソング。

とても安全な、飲み干してしまえばあとには何も残らない、水のようなラブ・ソング。

「この曲をかけながら君と愛し合ったこともあったな」

僕は誰にともなく言う。最初は本当に純粋な愛情があったはずだった。

いつしかそれは欲望に飲み込まれた。黒々とした、底の見えない沼のような欲望の中へ。

どちらが正しいか、なんて考えてはいけない。もうすべては動き出してしまったのだ。崩れた塔は元には戻らない。

「Y君は、どこで、変わってしまったナリか」

「すまないとは思っている」

心にもないことを。誰かがそう言ったような気がした。

「Y君」

3分半の曲が終わったころ、Kが弱弱しく言った。

「なにかな」

「当職はこれから、どうしていけばいいナリか。ひとりではやっていく自信がないナリ」

僕は立ち上がって彼の肩を軽くたたく。Hと同じようなことをしているな、と頭の片隅で思う。

「大丈夫、君なら立派な弁護士になれるよ。Hさんの息子だろう? もっと自信を持たないと。

それに大阪の君の先輩が、君の面倒を見ると言っているそうじゃないか」

「ちがうナリ。当職の言いたいのは……そんな意味じゃないナリ」

知ってるさ。知ってるよ、それくらい。

僕はそれは言わない。口にするのは上辺の義務的な言葉だけで、あまりにも十分すぎる。

やがてKは立ち上がる。

父を、恋人を、職場を失った男は、ふらふらとした足取りで事務所を去ろうとする。

その背中に、なんとはなしに尋ねてみた。

「なあK、胸のシリコンはまだ痛むのかい」

返事はなかった。

代わりに事務所の扉が閉まる重々しい音が宙をさまよい、それはやがて空調の効いた空間に吸い込まれて跡形もなく消えた。


‐了‐

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