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「歯ァ痛いし、怖いし、嫌や! こんな未開のエリアなんて行きたくないわ」
「弱音を吐かないでください、リカさん」
「そうじゃ。リカ殿らしくないぞよ」
……2人に叱咤激励された。
腑に落ちん。
そもそもカメさんが1人では怖いなんて弱音吐くからこんな事態になってんねん。
マフィアみたいな図体して何言ってんねん。
未開エリア──そう、オールドストーリーJ館最後の秘境、1─2号室前にアタシらは来ていた。
この部屋の住人は見たことがない。
アパート中が変人不毛ワールドで大騒ぎしていても、どこ吹く風と泰然としているような印象だ。
アタシからすれば、謎でいっぱいの部屋や。とにかく怖い。
関わりたくないというアタシに向かって、カメさんが言い張るのだ。
掃除をしたくて仕方ない。
それが無理でも、せめて現状を把握しておきたいのだと。
それなら一人でやってと言うと、信じられないことにアタシの首根っこをガッとつかむ。
恐るべきパワーで。
ちょうど帰ってきた桃太郎も道連れに、アタシらは1─2へと引きずってこられたところだ。
「グォーッ、ググーーーッ!」
地面を揺るがす勢いでかぐやちゃんの腹が鳴っている。
もうイヤや。
「何や、この環境。何や、この人たち。ありえへん。ああ、頭痛い。て言うか歯ァ痛い」
ブツブツ言ってると、ちょっと待たれよと桃太郎が人差し指でメガネを押し上げる。
「これは……? これはかぐや殿の腹の鳴る音ではないぞよ」
「じゃあ何や? 屁か? アンタの屁なんか?」
相当、投げやり気分なアタシ。
たしなめるようなカメさんの視線に応える気も失せた。
そんな中、桃太郎は1─2のドアを凝視してる。
「まさか? ま、まさか……!」
轟音はこの扉の向こうから聞こえていたのだ。
腹の鳴る音ではないと気付いた瞬間、背筋に冷たいものが走る。
「何や何や、猛獣でもいるんか?」
アタシら3人はピタと寄り添った。
正確には桃太郎とカメさんがアタシにしがみ付いたのだ。
「なぁ、入るのやめような?」
今更ながらの提案。
何せこの隣り《1─3》は噂のある幽霊部屋や。
本当に怖いモノは実はこっちに住んでいた、なんてオチもあるかもしれん。
一歩、足を踏み入れたらみんな死んじゃう究極のホラーハウスかもしれん。
「怖いって。何や、このスリラー展開は。怖い目に合ったあげく、幽霊に取り殺されるなんて理不尽や! それやったらアタシは歯医者に行くほうがマシや」
君子、危うきに近寄らず──そんなことわざを思い出した。
そう、今がまさにその状態や。
「……でも、気になるよな」
ああ、アカン!
変な好奇心を出すな、アタシ。身を滅ぼすで。
「ちょっと覗いてみるだけ。中には入らへん。せめて、この音の正体だけでも……」
アタシの右手は自然に動き、ゆっくりノブを回していた。
このアパートでは無用心なことにみんな鍵を掛けていない。
ドアの隙間から、轟音はますます轟いた。
中は真っ暗。
玄関から差し込む明かりを頼りに、アタシらはコソコソと中に入って行った。
「誰かおるっ!」
桃太郎がアタシの腕をつかんだ。
止める間もなくカメさんが部屋の電気をつける。
白熱灯の下、浮かび上がる光景。
「グーッ! ググーッ!」
8畳の板間の真ん中に大きなフトンが敷かれている。
家具は何もない。フトンのみ。フトンオンリー。
その中央にこんもりとした膨らみが。
音はそこから聞こえていた。
「あのぅ?」
人がそこに横たわっているのは分かった。
「こ、この音はイビキのようじゃな」
桃太郎、怯えた様子でフトンを見やる。
「そう言えば、大家さんが言っていました。この部屋に住んでいるのは三年寝太郎さん──根田(ねった)太郎さんだと」
根田太郎……ねったたろう……ねったろう……ねたろう……寝太郎?
「また太郎さんか! このアパート、太郎さん多いな」
あらためてツッこむ。
男7人中3人が太郎やで?
「しーっ! リカ殿、静かに」
桃太郎が口に指を当てるも、アタシは急にどうでも良くなってきた。
ひそめていた声のトーンを戻す。
急に怖さが失せたのだ。
「大丈夫。この人、ガン寝や。絶対に目ぇ覚まさへんわ。ホラ、見てみ。寝てる人の鼻チョウチンなんてアタシ、初めて見るで」
グースカ寝ている根田さん。
呼吸のたびに片鼻からプクーッとチョウチン出ている。
「ヒッキーで3年間この部屋にこもってるって人やな。だからこんな時間でも寝てるんや。食事とか家賃はどうしてはるんやろ。謎、多すぎやな」
「元国際警察(インターポール)の敏腕捜査官だったけれど、ある事件で恋人を殺され引退──天才探偵として日本警察と契約を結び、迷宮入り事件のみを取り扱うようになったのでは? 彼の天才っぷりには一定の周期があり、3年活動しては3年寝て。その繰り返しで、今は休眠期に入っているのではないでしょうか」
カメさんがおかしなことを言い出した。
何やソレ。この人、どこまでドリーマーなんや。
「何や、その設定は。それだけで1本、マトモな(?)小説でっちあげられるで。むしろそっちやで? なぁ! むしろそっちやろ!?」
「は、はぁ……むしろそっちとはどういう?」
「い、いや、こっちの話や」
困った人やと思いながら、アタシは根田さんのフトンをかけなおした。
何があったか知らんけど、3年の眠りって一体どういうもんやろな、なんて考えながら。
その時だ。
一瞬、目を開けた根田さん。
アタシとガチッと視線が合った。
「…………! ね、根田さん、今すこし微笑んだ……」
腰を抜かしてその場にヘナヘナとへたり込んだアタシを、桃太郎が支えてくれる──いや、支えようとして一緒に転んだ。
「あ痛ァ! リ、リカ殿? 何を申しておる? 根田殿はずっと眠っておいでじゃ」
「え?」
アタシたちの後ろでカメさんが呻き声をあげる。
「きゅ、急に眠気が……」
突然にその場に倒れこむ。
「亀殿、しっかり……ムニャ」
間髪入れず桃太郎もコテンと寝てしまう。
正体不明の攻撃を喰らったわけじゃない。
みんな気持ちよくなっただけや。
なにせ根田さん、スヤスヤと気持ち良さそうに眠ってる。
見ているうちにアタシもボーッと暖かくなって瞼が落ちてきた。
「グゥ」
安らかな気持ち。
ああ、こんな深い眠りは初めてだ。
気づいた時、そこに根田さんの姿はなかった。
アタシら3人は無人の1─2号室で、寄り添って眠りこけていたのだ。
3人ともヨダレまみれだ。
外はもう暗い。
アタシらは呆然と顔を見合わせた。
なぜだかとても満ち足りた気分。
かぐやちゃんへの復讐心も、歯医者への恐怖もスッと消えていた。
アタシは悟りを開いたのだ。
「すべて空しい。しかし全て素晴らしい。人の世は儚く一瞬だ。でもアタシにとっては、それが永遠なんや」
「な、何を言っておるのじゃ?」
「見える。光が…」
「そ、そちは何を言っておるのか?」
桃太郎、ドン引きでこっち見てる。
「35.不毛遠征計画~それは波乱の予感」につづく